第18話『コトリの郵便ポスト』



「今日の荷物は——」

ヨルが不思議な笑みを浮かべた。


でも、いつもと違って、その笑顔にはどこか寂しさが混じっていた。


棚から取り出されたのは、手のひらサイズの赤いポスト。上部に小鳥の彫刻が施されている。


「これは……」


ヒバルが手に取ると、小鳥がかすかに震えた。まるで生きているみたい。


「天国への手紙を運んでくれる、特別なポスト」


ヨルの右目の時計が、ゆっくりと回った。


「亡くなった人に手紙を届けてくれる。そして、ごくまれに——」


「まれに?」


「返事が来ることもある」


ヒバルは息を呑んだ。そんなことが本当にあるのだろうか。


配達先は川沿いの一軒家。古い日本家屋で、庭には手入れされた花壇があった。


チャイムを鳴らすと、小学5年生くらいの男の子が出てきた。


「リョウです」


落ち着いた雰囲気の少年は、ヒバルを居間に通した。


仏壇の前に座ると、遺影が目に入った。優しそうな笑顔の老人。


「祖父です。3ヶ月前に……」


リョウの声が小さくなった。


「ずっと一緒に暮らしてました。両親は仕事で忙しくて、祖父が面倒を見てくれて」


部屋の片隅に、将棋盤が置いてあった。駒が途中まで並んでいる。


「最後の対局、まだ終わってないんです」


リョウは震える手でポストを受け取った。


「これで、本当に届くんですか?」


「使ってみないと分からない。でも、特別な荷物だから」


リョウは用意していた手紙を取り出した。何度も書き直した跡がある。


「読んでもいいですか?」


ヒバルが頷くと、リョウは震え声で読み始めた。


『じいちゃんへ


ごめんなさい。

最後の日、ひどいこと言っちゃった。

「じいちゃんなんか、いなくなればいい」って。


本当はそんなこと思ってない。

友達と遊びに行きたくて、つい言っちゃった。


じいちゃんは笑って「行ってこい」って言ってくれた。

でも、その日の夜に……


毎日後悔してる。

なんであんなこと言ったんだろうって。


じいちゃん、本当はありがとうって言いたかった。

将棋を教えてくれて、ありがとう。

釣りに連れて行ってくれて、ありがとう。

宿題を見てくれて、ありがとう。

熱が出た時、一晩中そばにいてくれて、ありがとう。


大好きだよ、じいちゃん。

世界で一番大好きだった。


もう一度会えたら、ちゃんと言う。

「ありがとう」って。

「大好き」って。


リョウより』


手紙を読み終えると、リョウは泣いていた。


「入れます」


震える手で、手紙を小さく折りたたんで、ポストの投函口に入れた。


その瞬間、小鳥の彫刻が動いた。


石だったはずの小鳥が、白い羽を広げて飛び立った。手紙をくわえて、窓の外へ。


「行っちゃった……」


リョウは窓の外を見つめた。小鳥の姿はもう見えない。


二人は静かに待った。5分、10分、15分。


「やっぱり、返事なんて——」


リョウが諦めかけた時、窓の外で羽音がした。


白い小鳥が戻ってきた。くちばしに、小さな紙をくわえている。


リョウは震える手で窓を開けた。小鳥は紙をリョウの手に落とすと、またポストに戻って石になった。


紙を開くと、見覚えのある文字が書かれていた。祖父の字だ。


『リョウへ


手紙、ちゃんと届いたよ。


あの日のこと、全然怒ってない。

リョウは元気な子だから、友達と遊びたいのは当たり前。

じいちゃんも子供の頃、同じだった。


それより、リョウが笑顔でいてくれることが、

じいちゃんの一番の幸せだった。


将棋、最後の一手はリョウが指してくれ。

きっと勝てる。じいちゃんが手加減してたの、

気づいてたろう?


こっちは楽しくやってる。

昔の友達と将棋したり、釣りしたり。

でも、リョウとの時間が一番楽しかった。


「ありがとう」はこっちのセリフ。

リョウのおかげで、じいちゃんは幸せだった。


泣かないで、笑って。

リョウの笑顔が、じいちゃんの宝物だから。


大好きだよ、リョウ。

いつも見守ってる。


じいちゃんより』


リョウは手紙を抱きしめて泣いた。でも、それは悲しい涙じゃなかった。


「じいちゃん……」


リョウは将棋盤の前に座った。そして、最後の一手を指した。


「王手」


まるで、祖父の笑い声が聞こえたような気がした。


リョウは涙を拭いて、ヒバルを見た。


「ありがとうございます」


「僕は配達しただけ」


「でも、このポストがなかったら、ずっと後悔してた」


リョウはポストを大切そうに抱えた。


「もう手紙は送れないんですよね?」


「たぶん、一度きり」


「十分です。じいちゃんの気持ちが分かった。それだけで」


リョウは仏壇に向かって手を合わせた。


「じいちゃん、これからは毎日話しかけるね。返事は来なくても、聞いてくれてるって分かったから」


遺影の中の祖父が、優しく微笑んでいるように見えた。


帰り道、ヒバルは空を見上げた。


死は終わりじゃない。想いは残る。愛情は消えない。


「どうだった?」


店に戻ると、ヨルが聞いてきた。


「手紙、届きました。返事も来ました」


「そう……」


ヨルの表情が少し曇った。


「本当に祖父からの返事だったのかな」


「分からない。でも、リョウくんにとっては本物だった」


ヨルは頷いた。


「それが大切。真実より、その人にとっての意味が」


その夜、ヒバルは考えていた。


いつか自分も、大切な人を失う時が来る。その時、伝えられなかった想いを抱えて生きるのだろうか。


だから今、伝えられることは伝えておこう。


明日があるとは限らないから。


配達完了の鐘が鳴る。

でも、ヒバルの心には、永遠の愛が残った。

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