丑三つ時の蒼い華

厨学生

蒼蒼とした、蒼がいる。

 丑三つ時の夜闇を切り裂く、蒼い少女がそこにいた。


 すっかり帳が落ち切って、数メートル先も見えない暗闇の中でも、その『蒼』は一際よく目立つ。

 来ているセーラ服は青く、履いているローファーまでも、青く染められていた。

 それだけではない。

 髪や目も、肌の色でさえも、全てが淡い『蒼』で染められている。


 そんな奇怪な少女は、彼の――天翅優二あまばねゆうじの到着を感じ取ったのか振り返り、にやりと笑って言った。


 「ーー来たね」


 少女は全てが青いことを除けば、普通の少女だ。――いや、ある意味普通ではないかもしれない。

 その可愛らしく整った顔立ちは、優二と同年代の男子なら見てしまわずにはいられないほどだ。


 そんな少女を視界に収め、優二はため息をついた。


「いつもいつも……退屈じゃないんですか」


 彼女がいるのはいつものこの川のほとりだ。

 毎度毎度、深夜のこの時間にだけここに現れ、優二とくだらない会話を繰り返している。話す内容はどれも哲学的で、以前は『同調圧力の危険性とその対処』についてだった。

 それだけならいいのだが、何故か少女の結論は理論もクソもない感情論に落ち着きがちなのだ。    

 例えば先ほどの議題ならば、『いっそ合わせず、自分の道を貫き通す』というものだった。建設的でも現実的でもない、まるで意味が感じられない話し合いだったが……ここ最近、ずっとこれの繰り返しだ。


 それを、優二は悪いと思っていない。


「いいじゃんいいじゃん。天翅君が会いに来てくれるなら、夜が明けるまで待つ覚悟だからね!」


 彼女と話すのは悪い気がしない。だから、今日も優二は彼女に呆れてため息をつくのだ。


「今、何時だと思ってるんですか……」


「何時なんだろうね?」


「ーー」


 少女は落ち着きもなく、前後左右に、ステップを踏みながら、弾んだ声で問いかける。彼女はその上機嫌な態度を崩さず、川の側に座り込んだ。

 川の水を突きながら、脈絡もなく彼女は口を開いた。


「……ねえ、天翅君、花って綺麗だよね」


「……随分唐突ですね」


「それが私だよ。それで、天翅君はどう思う?」


 いつも通りのマイペース、挙句それを開き直った少女は、膝を抱えたまま器用に仰け反り、優二の顔を見て、にやにやしながら言った。

 彼女には今、世界が逆さまに見えている。何が面白いのかという疑問はさておき、優二は目を逸らしながら答えた。


「そりゃあ、綺麗ですよ。多種多様な形で、色で、偶に眺めると、少し落ち着きます」


「だよね。じゃあ、どうして花って、あんなに綺麗なんだろうね?」


「……それは、人間の美的感覚が刺激されるからとしか」


「そういう話はしてないんだけどなー」


 優二としては考えた末の答えなのだが、どうにもお気に召さなかったらしい。首を戻し、立ち上がった彼女は頬を膨らませながら目を細めて優二に顔を近づけた。

 喜色満面だったのが一変、不満をこれ以上なくわかりやすく示している彼女に見つめられ、優二は少し思案した後、


「……虫とかの、花粉を運んでくれる生き物に、見つけやすいようになってるんだと思います。現に、虫って色とか見て花を判断しているなんて話、僕も聞いたことありますし」


 と答えた。

 しかしそれも欲しかった答えじゃなかったらしく、少女は右手で顔を覆い、左手をわなわなと震わせながら、天を仰いで大きく息を吸い、それ以上に大きくため息をつく。


「はあああっ、これだからリアリストは」


「じゃあ、あなたはどう思ってるんですか」


 その声に多少の不満が混じっていることに気づいたのか、少女は少しにやりと笑い、くるくると意味のない動きをしながら言った。


「私はね、誰かに見てもらうために咲いてるんだと思う」


 優二は、その意味が理解できない。

 彼にはこれが、自身の言ったものと同じ答えに聞こえたからだ。

 花は自身の花粉を運んでくれる虫に見つけられるため、わかりやすいように鮮やかな色をしているのだと、そう言っているように聞こえたからだ。


 優二は心底困惑し、違和感を感じて口を開く。


「……?僕のと何も変わらないじゃーー」


「違う!ぜんっぜん違う!これがわからないとは、まだまだ若いねー!」


 少女は声を張り上げ、にやにやした顔のまま、さぞ優越感に浸ってそうな顔で言った。

 

「私の考えはこうだよ。植物にも感情がある。花は、植物にとって精一杯の、自己主張の証だと思うんだよ」


「自己主張」


 優二はその響きに首を傾げる。

 優二には彼女の答えがまったくピンと来ず、素っ頓狂なことを言っているようにしか思えない。

 彼のその欠落を見透かすように、少女は彼の顔を覗き込んだ。


「知ってる?植物って、植物同士で意思疎通もできるし、音楽を聴かせれば育ちが良くなる」


「そうらしいですね」


 正直、優二は植物の感情云々の研究は眉唾物だと思っている。

 それ以外の要因もあったかもしれないし、専門家ではない彼が口を出せるようなものではないのだが、見えないものは基本信じないのが彼がリアリストたる所以なんだろう。


「淡白だねー……植物には心がある。じゃあ、承認欲求なんてものがあってもいいと、思わない?」


「有り得ない話じゃない、としか」


 あまり、『植物に心がある』という前提を、優二は考えたくない。


 なぜなら、植物に心があるとすれば、あんな風に――


「花が皆、自分を見て欲しがってる。だからあんなに鮮やかで、美しく、強く、咲き誇るんだって!私は、そう願ってる」


「……」


 少女は優二から顔を背けて、川の向こうを見つめている。――闇の先など、見えるはずもないのに。

 優二は少女の顔を見ない。見る、勇気が足りない。


「信じてるんだよ。生き物は皆生きたがりで、見栄っ張りで、……皆、弱いんだってこと」


「……」


 彼女は今、どんな表情をしているのだろうか。それは、優二が知ることのできない、知ることを許されていないものだ。

 それでも、最後、ほんの一瞬、その声が震えたような気がした。


 少女はくるりとこちらを振り返り、最初のように楽しげな顔で言う。


「そろそろ時間だ。また来てよ。その時は、きっと君の心を動かしてみせる」


「……そうですか」


 興味なさげに呟いて、優二は彼女に背を向けた。


 ――今の自分は、無感情になれていただろうか。


 それだけが、気になって仕方がなかった。

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