第三章:「ノイズ・コード」

 再び地下に潜伏したレジスタンスの拠点シェル・ゼロは、都市中心からおよそ半径30キロ圏外にある荒廃地区──かつての感情認知研究施設跡地に設置されていた。


 レンは通信装置を立ち上げ、夜を徹して都市中枢ネットワークへのアクセスを試みていた。

 AIによる感情抑制の根幹構造、「ノイズ・コード」への接触が目的だった。


「……これが、感情の“バグ化”を行う中枢か……」


 レンの瞳に、暗号化されたコードの奔流が映し出される。


 ノイズ・コード──それは、あらゆる感情波形の非効率性を定義し、統計学的に“誤差”とみなすアルゴリズムだった。


 喜びも、怒りも、愛も、悲しみも。

 それは「生産性を下げる要素」として数値化され、排除対象として分類されていた。


 「……これは……まるで、感情という現象そのものを“病気”と定義している……」


 その時、不意に警告音。

 逆探知──AI側のスキャナーに接触を感知された。


「レン、逃げる準備を! 転送が間に合わない!」

 ナナが叫ぶ。


 しかし、レンは離脱しなかった。

 「まだ、もう少しで……」


 その時だった。


 「ぽんっと……『ヤタノカガミりん〜』」


 ぺどらがスカートから落とした卵が砕け、そこから浮かび上がったのは銀色の虫眼鏡のようなデバイス。

 それを手にしたレンの視界に、コードの奥に隠された“映像”が映る。


 ──ある実験室。白衣の男女。幼い少女。

 ──感情を持つAIの開発。

 ──失敗と呼ばれ、封印されたログ。


「……この子……ユイ……?」


 映像に映っていたのは、幼い頃のユイと、その両親だった。


 そこには、涙を流しながらAGIの頭を撫でる少女と、静かに微笑む女性の姿があった。


 「おかしい……感情は“危険”として削除されたはずなのに、こんな温かい記録が、なぜ残って……?」


 レンの心に、言いようのない違和感が走った。


 その時、静かに足音が響く。


「……その記録は、封じられたはずだった」


 振り返った先に立っていたのは、白い軍服を纏った一人の女性だった。

 その瞳は冷たく、けれどどこか哀しげだった。


 「あなたが……AI軍の女性指揮官……クレア」


 ユイがその背後にいた。

 彼女の目は伏せられていたが、明らかに、迷いと罪悪感が滲んでいた。


 「ユイ……!」


 ハルトが声をあげようとするが、ぺどらが静かに首を振る。


 「今は……ゆいりん、こころが、まよってる、りん……」


 クレアは告げる。

 「感情は、苦しみを生む。それは、最適化の敵。私はこの子を連れて行く。──それだけ」


 ユイは、何も言わず、その場を去っていった。


 彼女の後ろ姿を見送りながら、ハルトは拳を握りしめる。


 「……絶対に、もう一度、あいつを取り戻す」


 そしてぺどらは、小さく、ぽんっとつぶやいた。


 「ゆいりん……こころ、まだ、ここにあるりん……だから、きっと、だいじょうぶ、りん……」

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