魔力ゼロで保護された僕、“白い象”と呼ばれて恐れられている件

のり

力ゼロで保護された僕、“白い象”と呼ばれて恐れられている件

『白い象』

第1章 転送

 「また一頭か……」

 誰かの低い声が聞こえた。記録装置の起動音と重なって、意味を取りこぼしかけたが、間違いなく“僕”を指していた。

 その言い方がただの比喩ではないと気づいたのは、ずっとあとだった。


 

 目を覚ましたとき、そこは知らない街だった。

 

 空は黒く、風はなかった。

 建物は古く、どれも同じ色をしていた。

 どこかで鐘が鳴った気がしたけど、すぐに消えた。音の余韻もなかった。

 

 俺の名前は――冬城律(ふゆしろ・りつ)。

 それだけは、なぜかはっきり覚えていた。

 

 それ以外は、空白だ。

 どうやってここに来たのか。そもそも、ここがどこなのか。

 思い出そうとすると、頭の中に霧がかかったみたいになる。

 

 立ち上がろうとしたとき、すぐ横に足音がした。

 反射的に体が動いた。咄嗟に立ち上がって、背を守るように振り向いた。

 ──その動きに、自分で驚いた。

 なぜそんな動作が、身体に染みついていたのか。

 

 白いコートの男がいた。

 背は高く、肌は青白かった。

 手に小さな水晶球を持っていた。

 

 「ようこそ」

 男は言った。感情のない声だった。

 

 「異常転送、確認済み。魔導干渉による転位と判定。君は……未登録個体、だね」

 

 男は水晶球を俺の額に当てた。

 球は曇ったまま、何の反応も示さなかった。

 

 「魔力量、ゼロ。属性、未検出。記録ラベル:空白」

 彼は静かに言い、胸元から白い札を取り出した。

 ぺたりと、それを俺の胸元に貼る。

 

 《観察対象:臨時A》

 

 胸に違和感はなかった。でも、背中が冷えた。

 体のどこかが、“名前のない何か”を察したような気がした。

 

 「ここは保護区域だ。しばらく、君には安静と適応の訓練が必要になる」

 男はそう言って、どこかへ通信を入れた。

 「塔に一名追加。記録済み」

 

 塔?

 訓練?

 何の話だ。俺は何も同意していない。

 

 でも言葉は出なかった。喉が固まっていた。

 違う、これは──俺が何も言わない“理由”を、知っている気がした。

 

 男が言った。

 「名前は?」

 

 俺は答えた。唯一覚えていた言葉だった。

 

 「律。冬城律」

 

 男は微かに目を細めた。

 「ふむ……冬城。ああ、なるほど」

 “なるほど”──?

 俺の名前を知っていたような、そんな言い方だった。

 

 この世界は、俺のことを知っている。

 そんな気がした。

 

 だけど俺は、この世界をまったく知らなかった。

第2章 塔

 塔と呼ばれるその建物は、想像していたものと違った。

 外から見たときは無機質な灰色の柱だったが、中に入ると異常なほど静かだった。

 足音すら吸い込まれるようで、まるで空気そのものが“監視されている”ようだった。

 

 エレベーターはない。階段を十二階ぶん登らされた。

 途中、誰ともすれ違わなかった。

 最上階に着くと、あの白いコートの男が待っていた。

 

 「ここが君の部屋だ」

 無感情にそう言いながら、部屋の扉を開けた。

 

 ベッド、机、扉つきの棚。

 すべてが規格品のようで、個性はなかった。

 ただ、部屋の隅の壁に埋め込まれた小さな黒いレンズだけが、じっと俺を見ていた。

 

 「必要最低限の備品は揃っている。食事は自動搬入。行動記録はこの部屋で行う」

 男は淡々と説明した。

 

 「明日から、作業に参加してもらう。初期配属は整備区だ。魔石の管理だよ」

 俺は聞き返した。「魔石?」

 「エネルギー資源だ。異物転送によって干渉された君のような対象には、有効な適応訓練になる」

 

 わからない単語ばかりだった。

 でも、身体のどこかが反応していた。

 ──“魔石”という単語を、聞いた覚えがあった。

 

 「質問は?」

 男はそう言ったが、俺は首を振った。

 聞いたところで、答えは“予定された言葉”だと思った。

 

 ドアが閉まる直前、男がひとこと付け加えた。

 「忘れてることは、いずれ思い出す」

 

 ……何を、だ?

 

 それを考える前に、扉が閉じた。

 ロックの音がした。

 

 ベッドに腰を下ろすと、硬さが妙に馴染んだ。

 まるで、何度も寝たことがあるような感覚。

 毛布の重さまで、どこか懐かしかった。

 

 頭の中に、声が残っていた。

 「冬城。ああ、なるほど」

 

 なぜあの男は、俺の名前を聞いてから、あんな顔をした?

 まるで──“知っていた”ように。

 

 初めて来た場所のはずなのに、俺の身体は階段の数を覚えていた。

 視線の角度、ドアノブの冷たさ、壁の模様。

 ……それが、異常だと思うべきなのに。

 

 俺は疲れていた。

 目を閉じると、夢も見ずに眠った。

 

 ただ、眠る直前、胸のタグが小さく発光していた。

 【観察対象:臨時A】

 

 “臨時”というわりに、準備が整いすぎていた。

 そのことが、静かに俺の中に引っかかっていた。


第3章 仕事

 扉の内側に打ち込まれた金属札には、《象11・観察中》と刻まれていた。

 “名前”ではなかった。けれど、これが今の僕の識別なのだろう。

 朝は、音で始まった。

 天井の角に取りつけられた黒いスピーカーから、電子音が一度だけ鳴った。

 それが「起床」の合図だった。

 

 誰にも起こされない。挨拶もない。

 部屋のドアが自動で開き、外廊下の端に無言の案内人が立っていた。

 同じ白いローブ。昨日と区別のつかない顔だった。

 

 連れていかれたのは、地下。

 照明は青白く、廊下は冷たかった。

 空気がひどく乾いていた。

 

 作業区には、すでに数人がいた。

 顔は見えなかった。皆、仮面のような保護具を着けていた。

 

 俺にも作業服が支給された。布製のつなぎ、手袋、ヘッドセット。

 口を開く間もなく、渡された作業表にはこう書かれていた。

 《午前:魔石片選別》《午後:研磨》

 

 どうしていいかわからなかった。

 けれど、不思議なことに、身体が勝手に動いた。

 

 選別台に立ち、ピンセットを持った手が、迷わず“使える魔石”を仕分けていた。

 知らないはずなのに、力の入り加減も、動作の順序もわかっていた。

 むしろ隣の作業者より手際がよかった。

 

 最初は偶然かと思った。

 けれど何日か経っても、同じだった。

 

 魔石の層を一目見ただけで、中心に含まれる“力の密度”が感覚で分かるようになっていた。

 そのうち、作業員のひとりがぽつりとつぶやいた。

 

 「……おまえ、ほんとに新人か?」

 

 その言い方が、妙に引っかかった。

 “新人か?”ではない。“ほんとに”という言葉が、刺さった。

 

 昼休み、倉庫の隅で古い資料箱を見つけた。

 作業員名簿のバックアップ、と書かれていた。

 

 ふと、手が止まった。

 リストの末尾に、見覚えのある名前があった。

 

 「フユシロ・R」

 

 アルファベットで綴られていた。日付は二年前。

 担当区画:研磨・整備。状態:抹消。

 

 抹消――?

 けれど、俺の記憶にはそんなこと、一切ない。

 というか、二年前、俺は……。

 

 考えるより先に、頭の奥がずきりと痛んだ。

 視界が揺れ、資料を閉じた。

 

 何かが、おかしい。

 だが、それが“何なのか”がわからない。

 

 塔の中は静かだった。

 今日も、誰も俺に話しかけてこない。

 

 ただ観察装置だけが、俺の背中に視線を投げていた。

 まるで、“思い出すな”と命令しているように。


第4章 検査 

 三週間目の朝、部屋の扉がノックされた。

 無機質な生活の中で、初めて聞く音だった。

 

 立っていたのは、白衣の技官だった。

 目元まで覆うゴーグル、手にはあの水晶球。

 

 「再鑑定を行う。抵抗しないこと」

 それだけ言って、中へ入ってきた。

 

 俺は何も言わなかった。

 言うべき言葉が見つからなかった。

 ただ、背中の奥で、なにかが微かにざわついた。

 

 水晶球が額に押し当てられる。

 冷たかった。以前と同じ手順のはずだった。

 ──けれど、違った。

 

 球の中に、黒い渦が浮かび始めた。

 最初は点だったものが、ゆっくりと回りだし、内側に濃く、深く、吸い込まれるように蠢いていた。

 

 技官の手が止まった。

 それはほんのわずかな沈黙だったが、確かに「異常」を示していた。

 

 「……魔力構造、判別不能。数値、非定型」

 彼は背後の端末にコードを入力し、診断票を一枚印刷した。

 

 《分類不能》《管理外属性》《観察上限:変更予定》

 

 紙が、静かに机の上に置かれた。

 そこに印刷されていた名前の欄──

 観察対象:フユシロ・リツ(再登録)

 

 “再登録”──

 その言葉に、空気が変わった気がした。

 

 「これは……以前の観察記録と一致しています」

 技官の声が低くなった。

 「記録上は処理済みだった。抹消されたはずだが……」

 

 俺は立ったままだった。

 何も思い出せなかった。

 でも、背中が明らかに熱くなっていた。

 まるで、何かが目を覚まし始めたみたいに。

 

 技官は小さく息を吐いた。

 「この結果は、上に報告する。すぐに処置が下るだろう」

 

 「処置?」

 俺が初めて言葉を返した。

 

 技官は首を傾けた。

 「分類不能なものは、“不安定要素”として扱われる。それは君も知っているはずだ。前回と同じ処理になる」

 

 前回?

 前回って、なんだ。

 

 扉が閉じたあと、部屋の空気が重くなった。

 壁のレンズが、さっきよりも赤く光っていた。

 

 “俺は、またここに来たことがあるのか?”

 

 その疑問が、頭から離れなかった。


第5章 処分命令 

 部屋の空気が変わったのは、検査の翌日だった。

 スピーカーの音が消え、食事も運ばれてこなくなった。

 

 扉の外で誰かが言った。

 「命令、確定済み。処分対象コード:F-Y-R」

 

 その呼び方に、覚えがあった。

 “F.Y.R”──フユシロ・リツ。俺の名前を崩したコードネーム。

 

 気づけば、観察装置の赤ランプが点滅を止めていた。

 何も記録されていない。つまり、もう記録する必要がないということだった。

 

 その日の夜、眠れなかった。

 身体が異様に軽かった。

 その代わり、頭の奥が痛んだ。

 

 ──夢を見た。

 

 白い部屋。黒板。机の列。

 制服を着た生徒たちの中に、俺がいた。

 誰かが泣いていた。

 誰かが怒鳴っていた。

 

 そして──俺が立ち上がり、机を蹴り倒した。

 

 何があったのかは思い出せなかった。

 けれど、そのときの“息苦しさ”だけが、今の塔の中と同じだった。

 

 翌朝、三人の黒服が現れた。

 無言でドアを開き、俺に向けて枷のような金属装置を差し出した。

 

 「処分執行、命令に基づく。拒否は不可」

 

 俺は立ち上がった。

 逃げる気はなかった。

 だが、身体が勝手に反応した。

 

 背中の奥にある渦が、動いた。

 ふっと、空気の流れが逆になった。

 

 黒服のひとりが呻いた。

 装置を持つ手が震え、枷が床に落ちた。

 

 「制御できない……離脱しろ!」

 男たちは声を上げて、廊下へ飛び出した。

 ドアが開きっぱなしになった。

 

 俺は動かなかった。

 ただ、渦が俺の意思とは関係なく、部屋中の空気を振動させていた。

 

 そのとき、もうひとつの記憶がよみがえった。

 

 黒板に貼られた進路表。

 俺の欄には赤ペンでこう書かれていた。

 

 「観察不能/将来性なし」

 

 あれは、教師が書いたんだ。

 俺の目の前で。

 他のやつらが笑ってた。

 

 ──そのときから、俺はここにいたのかもしれない。


第6章 崩壊

 《観察記録・象群》という項目の一角に、《象11:分類不能/外皮干渉/白化傾向(通称:白い象)》という文字列があった。

 初めて、自分がどう呼ばれていたのかを知った。

 塔が揺れたのは、午後のことだった。

 初めは誰も気づかなかった。微かな音が、床下から響いた。

 

 俺は部屋にいた。

 処分命令は解除されていなかった。

 だが、誰も来なかった。監視もなく、封鎖もない。

 ただ、レンズだけが黙っていた。

 

 壁に取りつけられた装置が警告を発した。

 《魔力量:上昇中》《値:分類外》《警戒レベル:臨界》

 

 それが、俺のせいだとわかっていた。

 でも俺は何もしていなかった。

 ただ立って、呼吸していただけだった。

 

 背中の奥に、熱の塊があった。

 それは渦だった。動き出してから、一度も止まっていなかった。

 

 天井の照明がひとつ、火花を散らして落ちた。

 壁の端から、石の目地に沿ってひびが走った。

 

 外で、警報が鳴った。

 塔の低層部に人の叫びが重なった。

 

 「魔導管、逆流!」

 「構造異常、中心区画より発生!」

 

 中心区画──それは俺のいたこの部屋だった。

 

 部屋の床が浮いたように感じた。

 風がないのに、カーテンが揺れていた。

 渦が、目に見えないかたちで部屋を満たしていく。

 

 呼び鈴が鳴った。

 扉の前に誰かが立っていた。

 

 「律……そこにいるか?」

 聞き覚えのある声だった。

 

 扉を開けた。

 白衣の技官が立っていた。初回鑑定を行った男だ。

 

 彼は言った。

 「君は“処理不能”だ。塔のどこにも、君を分類する枠がない」

 「だったら、放っておけばいい」俺は言った。

 

 男は首を振った。

 「違う。君は――ここに来る前から、“外れた”存在だった」

 

 その瞬間、壁の奥で何かが爆ぜた。

 警報が止まり、塔の照明がすべて落ちた。

 

 塔は、生きていた。

 だが今、崩れようとしていた。

 

 俺の中にあるものは、ただの魔力じゃない。

 この世界の分類が拒んだ、名前のない力だった。

 

 “塔”という制度は、それを測れなかった。

 だから封じ、観察し、処分しようとした。

 だが、それすら間に合わなかった。

 

 俺はゆっくりと歩き出した。

 部屋の外へ、廊下へ。

 崩れる塔の中を、確かな足取りで。

 

 これは、俺が壊したんじゃない。

 制度が、自分で崩れたんだ。

第7章 記録 

 塔の照明が消えていた。

 非常灯すら点いていない。

 誰かが止めたか、あるいは、もう動力そのものが落ちたか。

 

 律は、かすかな光を頼りに階段を降りた。

 足元がぐらつく。時折、壁が軋む音が響く。

 塔はまだ崩れていないが、長くは持たない。

 

 五階。使われていない区画に、封鎖済の資料室があった。

 センサーは死んでいた。ロックも解除されていた。

 

 中に踏み込むと、空気が変わった。

 埃の匂い。誰かが長く触れずにいた空間の気配。

 そして、棚いっぱいのファイルと記録票が並んでいた。

 

 ラベルはすべてアルファベットだった。

 「O.T-01」 「S.Z-03」 「R.K-11」……

 すべて“誰か”の名前だ。塔の中で、かつて観察されていた誰かたちの。

 

 律は手を伸ばした。

 背表紙の一つに、見覚えのあるイニシャルがあった。

 

 「F.Y.R」

 自分と同じコードだった。

 

 ページを開く。

 そこには、自分に似た誰かの行動記録が淡々と並んでいた。

 “魔力量ゼロ” “分類外反応” “記録不能” “処分指示下達”──

 

 ただ、その最後の欄にだけ、短く赤線が引かれていた。

 

 「失敗」

 

 処分に、失敗していた。

 つまり――それは“今の自分”かもしれなかった。

 

 律は、棚の奥からさらに一冊取り出した。

 表紙にだけ、手書きでこう書かれていた。

 

 《観察記録・象群》

 

 開いた最初のページに、こう記されていた。

 > “彼らは語らなかった。だが沈黙の奥には、熱があった。”

 > “我々はそれを魔力と呼んだが、実際は――”

 > “未定義、未解明、不可視。”

 > “塔にとっては、それがいちばんの脅威だった。”

 

 律は、目を閉じた。

 思い出したわけじゃない。

 だが確かに、同じものを自分も抱えているとわかった。

 

 これは偶然じゃない。

 ここに来たのは、計画でも間違いでもなく、

 ただ、「そうなるしかなかった」ことだった。

 

 自分はひとりじゃない。

 この塔の中で消された“象”たちの続きを、

 いま歩いている。





第8章 塔の外 

 夜が明けかけていた。

 塔の最上階。崩落を免れた踊り場から、外の世界が見えた。

 

 空は鈍色だった。だが風が通っていた。

 鉄と石と沈黙に囲まれた日々にはなかったものが、そこには確かにあった。

 

 律は柵を越え、外階段を降りた。

 塔の外壁はひびだらけだった。触れれば崩れそうだったが、それでも彼は歩いた。

 

 地面に降り立ったとき、塔の中心から低い音が響いた。

 奥のほうで、何かが折れたような音だった。

 だが、崩れはしなかった。

 “まだ終わってない”と、塔自身が言っているようだった。

 

 律は振り返らなかった。

 塔の上に、自分を見ていた誰かが残っていたとしても、もう関係なかった。

 

 すぐに逃げる必要はなかった。

 どこかに行かなければいけない理由もなかった。

 

 ただ、地平線の向こうに、低くなだらかな森が見えた。

 その先がどうなっているか、彼は知らない。

 だが、知らない場所に足を向けることに、恐怖はなかった。

 

 むしろ、“歩く”という行為そのものが、ずっと忘れていた感覚だった。

 

 塔の中では、決められた時間に起き、決められた作業をし、観察され、分類されていた。

 だが今、何も定められていなかった。

 風の向きすら、自分で決められた。

 

 塔がどうなるかは、もう彼の問題ではなかった。

 渦はまだ背中にあった。

 だがそれは、暴れもせず、ただ静かに、彼の歩調と重なっていた。

 

 律は一度だけ立ち止まり、ポケットの中を探った。

 いつの間にか、1枚の記録カードが入っていた。

 そこには、こう書かれていた。

 

 > 観察対象:白象群(記録破棄)

 > 最終確認:RITSU(再発動)

 > 状態:自由行動中

 

 彼はカードを握りつぶし、草むらへ投げた。

 

 自分の状態は、誰にも記録されない。

 そう決めた。

 

 塔の影が、もう背中にはなかった。


第9章 歩み

 塔の外に立ったとき、誰かが僕を“白い象”と呼んでいた記憶が蘇った。

 でも今となっては、それが誰だったのかさえ、どうでもよかった。

 森の中に、小さな道があった。

 踏みならされていない、細く曲がった獣道のような地面。

 塔のような建造物も、魔石も、分類も、そこにはなかった。

 

 律は、枝を払いながら進んだ。

 空気は湿っていたが、閉じ込められた空気じゃなかった。

 どこかから土のにおいがした。

 

 数時間歩いたところで、先に誰かがいた。

 年齢は同じくらい。目つきだけが、大人だった。

 彼は焚き火を囲んで、ただ薪を割っていた。

 

 律が近づいても、男は驚かなかった。

 むしろ、ずっと前から来ることを知っていたような顔をしていた。

 

 「……あんたも塔から?」

 

 律は頷いた。

 それだけで通じた。

 

 「前はもっといたんだけどな」

 男は木片を割りながら言った。

 「崩れる前に出られたのは、ほんのわずかだった」

 

 律は火のそばに腰を下ろした。

 焚き火の煙が、渦の熱を落ち着かせていく気がした。

 

 「聞くなよ」

 男が言った。「何があったとか、どう出てきたとか。もう意味ないから」

 

 律は頷いた。

 同じことを、誰かに言いたいと思っていたところだった。

 

 沈黙の中で、焚き火がはぜた。

 

 男は立ち上がった。「じゃ、行こうか」

 

 「どこに?」

 「知らない。でも、歩くことだけは知ってる」

 

 律は立ち上がった。

 渦はまだ背中にいたが、もう重くはなかった。

 

 誰かに記録されるわけじゃない。

 分類もされない。監視も、命令もない。

 

 それでも、歩く。

 それが、唯一の選択だった。

 

 塔が遠くに霞んで見えた。

 崩れてはいない。だが、もう“意味”を失っていた。

 

 律は前を向いた。

 その足元に、はじめて自分の足跡が残った。

 

 それが、自分の道だとわかった。

 

 白い象──そう呼ばれたものの正体を、

 いま、律は誰にも説明できなかった。

 

 けれどそれでよかった。

 名付けられなくていいものが、世界にはある。

 

 そしてそれが、自分だった。

 

 歩き続ける限り、それは失われない。

 

 ──終わり。


了解しました。

ではカクヨム投稿画面用に、以下の3点を整った状態でご用意しました:



---


🏷 タイトル


魔力ゼロで保護された僕、“白い象”と呼ばれて恐れられている件



---


✍️ キャッチコピー(80文字以内)


> 「魔力量ゼロ」と鑑定された僕は、“白い象”と呼ばれ、なぜか誰よりも監視されている。





---


📘 紹介文(カクヨム読者向け)


> 異世界に転移した僕は、魔力量ゼロと鑑定され、保護対象として塔に収容された。


「君は危険じゃない。むしろ安全だ」


そう言われたはずなのに、僕だけが“観察”され、“記録”され、名前すら与えられなかった。


ただ黙って働き、黙って食べ、黙って眠る日々。

けれど僕は知っていた。

この塔の静寂の下で、何かが僕の中で渦を巻いていることを──。


やがて呼ばれた名は、「白い象」。


測定不能のまま分類された僕は、沈黙のうちに“観察する側”を壊し始める。



『オツベルと象』を下敷きに、管理社会・観察・記録といった制度の暴力を静かに描く寓話的サスペンス。


チートやスキル無双に飽きた方にこそ届けたい、“静かに逸脱していく者”の物語。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔力ゼロで保護された僕、“白い象”と呼ばれて恐れられている件 のり @nori5600

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ