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「そういえば、槇原きのう学校休んでたろ。大丈夫か?」
一人分くらいのスペースを空けて、私の隣に腰を下ろした藤澤の声色は好奇の色に染まっておらず、純粋に私のことを気遣っているようだった。親には「具合が悪い」ということで通したし、きっと親だって学校へその理由で連絡したに違いない。
きっと藤澤は、昨日の私は体調を崩したから欠席したのだと思い込んでいる。実際には彼氏に振られて落ち込んでただけなのに。雨に濡れたままろくに拭いもしなかった結果、心が風邪を引いていただけなのに。
「うん。一日中寝てたら落ち着いた」
「だったらいいけど。……あー、そういえば伝えておくことがあった」
「なに」
「あいさつ運動、テスト期間が終わるまで休みだって」
そういえば、昨日はちょうどその日だったことを思い出す。つまり私は自らのわがままで、藤澤を一人で行かせることになってしまった。まあ私はあいさつ運動が嫌で学校をサボったわけではないので、多少は目を瞑ってほしい。もっとも、その理由を藤澤に語ることは未来永劫ないと思っているけれど。
「そっか。ごめんね、昨日は休んじゃって」
形式上の謝罪に、藤澤は「槇原ぜんぜん来ないから、職員室行って担任に訊いちゃったよ」と笑っていた。だから私が休んだ表面上の理由も知っていたのだ。
というか休んだ本当の理由が理由なだけに、私はなんの罪もない藤澤にそこまでさせてしまった自分の浅はかさを恥じた。かつ、人生におけるほんの一瞬でできた恋人に振られた程度で出席日数を一日減らしてしまったことに苛立ちさえ覚えてきた。
「っていうか、雨宿りってことは、傘持ってないのか?」
藤澤は人知れず真理にたどり着いたらしい。傘も差せないほどの豪雨ではないし、そもそも私が傘を所持している形跡がないことに気づいたらしい。
「まあ、そうだね」
「降るなんて言ってなかったしなあ。アテにならん気象予報士だ」
以前テレビで観たけれど、気象予報士になるためには当然ながら試験を受けなくてはならなくて、その合格率は一桁台だったはずだ。せっかくそんな難関をクリアしても、ひとたび予報を外すだけでこんな子どもにすらコケにされてしまう、名も知らぬ予報士を憂いた。
「ってか、藤澤くんはどうして傘を持ってるの」
「朝は雨降ってんのに夕方晴れたりするじゃん。だから学校に二本くらい忘れていっててさ。でも晴れた日に傘持って歩くのバカみたいだから、こういう日があっても差して帰れるようにしてある」
さも名案のように藤澤は言うけれど、とどのつまり、過去の自分の怠惰と見栄っ張りが今日の彼を助けたらしい。合理的なのか偶然の産物なのかは未だに判断ができかねる。
ただひとつ確実なのは、雨が降る日に傘を持ってもいない私よりも、どんな理由であれ傘を手にしている彼のほうが段違いに恵まれている……という点である。
「親とか、迎えに来てもらえないのか?」
「仕事、たぶん遅くまでかかるんじゃないかなと思う」
「だったら――あいつ、とか」
増水した川みたいに言葉を流していた藤澤は、急に土砂で堰き止められたみたいに言い淀む。
私は元カレと付き合っていたことを隠していなかったし、二人で手を繋いで学校から帰ることもあった。だから藤澤が言った「あいつ」というのが、元カレを指していることは明らかだ。
藤澤と元カレには「同級生」という以上の深い繋がりはないし、彼はきっとまだ、私たちの関係が続いていると思い込んでいる。もちろん元カレに連絡したところで、迎えに来てくれるわけもないし、来いと言うつもりもなかった。ステディがいる男と必要以上に関わりを持つなんて、ガスが充満した部屋の中でライターの火を点けるようなものだし。
敢えて口にしてみれば、少しくらいすっきりするのかな。
そんな素朴な疑問が、頭をもたげてきた。
「あいつって、
少し前まで好き好んで連呼していた元カレの名前を声に出してみると、今はどこか虚しい響きに聞こえた。道端の水たまりの中に没している、どこかから飛んできた折込チラシを見た瞬間みたいな物悲しさを感じる。
せっかく
「ああ。……彼氏なら呼べば飛んで来るだろ、こういうとき」
「今も彼氏だったら、そうかもしれないね」
「へぁ?」
藤澤の素っ頓狂な声が、待合所の中を爆発的な速度で満たした。行き場を失ったエネルギーが、戸や屋根を吹き飛ばさんばかりの大声だった。そのさまがあまりにもおかしくって、私は思わず吹き出して笑い声をあげてしまう。
「へぁ、って何さ。はっきりしなよ、へ、なのか。あ、なのか」
「いや、その、えっと……え?」
とはいえ、やたら深刻に捉えられても恐縮してしまうから、たとえポーズだとしても、大袈裟に驚いてくれたほうが救われる気持ちになる気がした。
そんな藤澤は今も困惑している。人は本当に驚いたときに、こういうリアクションにならざるを得ないのかもしれない。
勉強にはなったけれど、そろそろ察せよ。そういうとこだよ。
「だっておまえら、二人で一緒に帰ったりとかしてたじゃん」
「だからって未来永劫それが続くとは限らない、ってことだよ。向こうはもう新しい彼女さんも作ったみたいだしね。……ってわけで、今の私には、雨が止むまでここで待つ以外の選択肢はないの」
それだけ言って、私は口を閉ざす。さりげなく元カレの評価を下げるあたりが小賢しい。でも仕方ないよ。事実なんだもん。
藤澤の笑い声エネルギーは瞬く間に霧消して、再び待合所の中は沈黙と、屋根を叩く雨音に満たされることとなった。藤澤は沈没船みたいに一言も話しかけてこない。別れた理由を根掘り葉掘り聞き出そうとしないあたりに、彼の気配りを感じる。
というか、そんな話題を気軽に吹っ掛けられるほど、私たちの仲はまだ親密になっていない……というのが正しい。クラスメイト。生活委員。それ以上の称号を付与できる条件は未だ揃っていない。藤澤の中で私がどんな称号を得ているのかは、分からないけれど――。
「あ、やべ」
また、急に藤澤が大きな声をあげる。何を思い出したというのだろうか。私からしてみれば、ぜんぜん雨が弱まる気配を見せない方がよっぽどヤバいんですけど。
「どうしたの?」
「きょう、早く帰ってこいって親に言われてたんだった」
お笑い番組だったら、司会が地べたに転がって笑うような理由だ。でも、その言葉を聞いたと同時に、一抹の申し訳なさが胸の中に生まれる。私の姿を見かけなければ藤澤はとっくに帰宅できていたかもしれないし、首を突っ込んだ結果聞かされたのが悲恋話で、さらに帰ったら帰ったで親に怒られてしまうのでは、たまったもんじゃないはずだ。
じゃあな、と藤澤はベンチから勢いよく立ち上がると、待合所から駆け出してゆく。
雨はまだ降り続いている。ふと彼が座っていたあたりに目線を移すと、ベンチの端に彼の傘が立てかけられたままだった。私は立ち上がってそれを手に取ると、待合所から少しだけ顔を出して、彼が走っていったほうに叫んだ。
「藤澤くん! 傘――」
かろうじて声が聞こえそうな距離に、藤澤の後ろ姿が見えた。でも彼は振り返らず、どんどん遠ざかってゆく。降り止まない雨粒は彼の制服も、鞄の中身も濡らしてしまうに違いない。結局、彼は親に怒られてしまうのかもしれない。
でも、きっとそれは、彼が
思いながら、雨空に向かって傘を開き、待合所を出た。持ち手部分にテプラで貼られた「藤澤」の文字を、そっと指で撫でた。
不器用な彼の気配りに、私は何を返してあげられるかな。
遠くの空の明るさが、また少し、強くなった。
/end/
恋とにわか雨 西野 夏葉 @natsuha
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