白銀の君

墨田狗夷

本文

 魔術学校の図書室。この静かで広く、高い天井まで届く本棚が立ち並ぶ空間に、いつも彼女がいる。

 穏やかな日の光に照らされる魅惑的な褐色の肌、窓から入り込む風に揺れる白銀の長い髪、端正な顔に、長く先の尖った耳……そう、ダークエルフだ。

 そんな彼女は毎日、窓際の席に座り、脇に本を積み重ねるも、一冊の本に集中している。

 今日はどんな本を読んでいるのだろう?

 知りたい。

 いや、「どんな本を読んでいるのか?」なんて彼女に声をかける口実でしかなく、本音は彼女のすべてが知りたい。

 そう、素直に白状すると、僕は彼女に惚れているのだ。けれど、名前を知らない。どこのクラスなのかも分からない。

 初めて彼女を見たのがこの図書室で、ここでしか彼女の姿を見ない。

 だから、僕は彼女のことを仮に「白銀の君」と呼んでいる。

 もちろん、他の誰にもこのことは話していないけれど……。

 そして、今日もいる。

 授業の終わったいつもの時間、いつもの場所だ。

 僕の胸は高鳴った。 

 今まで彼女の姿を見つけるたびに、話がしたいと思いながら、けど勇気を出せず諦めていた。

 でも、今日こそは……。

 そう意を決して、彼女に声をかけようと近づく。

 けれど、

「ねぇ、あなた」

 長い金髪の女生徒が僕より先に、白銀の君に声をかけた。 

 確かワール伯爵の一人娘である、エリザベス・ワール嬢だ。

「そこは私がいつも座っている場所ですの。どいてくださらない?」

 彼女はそう言う。

 これは明らかな嘘だ。

 僕も毎日、ここに来ている。動機は不純で「白銀の君の姿が見たいから」というものだけれど……。

 だから知っている。ワール嬢がいつもそこに座っていることはおろか、図書室にもいないことを。

 たまたま今日、白銀の君の姿をここで見つけて、意地悪してやろうと思いついた。そういうところだろうと、すぐにわかった。

 実際にワール嬢のいつも後ろにくっついている二人の女生徒が、クスクスと笑っている。

 白銀の君は戸惑って、

「え、でも……」

と答えるけど、 

「言い方を間違えましたわね……元々、この学校にダークエルフのいる場所はないのです。あなたがいること自体がなにかの間違いでしょう。だから、そこをおどきなさい!」

 令嬢は、今度は強い口調で命令した。

 今のは聞き捨てならない。

 見かねた僕は、

「そこで何をしているんだい?」

 躊躇なく彼女らに話しかけた。

 すると、彼女らはなによ?という風に、振り向き、こちらを睨みつけようとするが……

 僕の顔を見た途端に青ざめた。

「で、殿下……」

 三人とも慌てて、指先でスカートを広げ、僕にお辞儀カーテシーをする。

 僕は頷くが、

「それで……」

と問いただす。

「その子が君たちに何かしたのかい?」

「い、いえ……ただ、この学園でのルールを教えていただけで……」

 リーダー各の女子生徒の言葉に、僕はため息をついた。

「ルール……種族を理由にした差別など、この国は認めてないが?」

「し、しかし、ダークエルフですよ?闇魔法を使う邪悪な……」

「邪悪な?闇魔法を邪悪なものとするのは、もう何十年も前までの偏見だったはずだが?それとも、君たちは今でもそんな古い価値観で人を見ているのかい?」

 そう、数十年前までダークエルフは忌避すべき種族とされていた。

 理由は闇魔法を得意とすること。ただそれだけだ。

 それと肌の色とのイメージとが重なり合い、不当な扱いをされ続けてきた。となると、どうなるか?

 今度はダークエルフ自身が犯罪に手を染めるようになった。窃盗や詐欺はおろか、裏社会に身を投じて誘拐や殺人までする。

 彼らからしてみれば、そうでもしないと生きていけなかったのだ。

 それがこの数百年もの間、続いたわけだが、僕の祖父がその構造を変えた。

 高名な魔導士によって、闇魔法が邪悪ではないことを立証させると、ダークエルフの地位向上に尽力した。

 当然、エルフたちは社会的優位がなくなるという本音から反発したが、祖父は毅然とした態度でそれにも臨み、黙らせた。

 だから、僕もそうする。

「第一、種族差別は僕の父が法律で禁じたはず。なのに君たちのしていることは……国王に逆らうとでもいうのかい?」

「……⁉ そ、そんなつもりではっ……し、失礼しますっ!」

 リーダー格の令嬢が慌ててその場を立ち去ると、

『失礼します』

 残る取り巻き二人もあとを追うようにいなくなった。

 僕はその愚かな後ろ姿を見送って、息を吐く。

 それは彼女たちに呆れてしまったから吐いた、ため息だったかも知れない。

「すまなかったね。あの子たちが酷いことを……」

 言うと、彼女は慌てて、

「い、いえ、殿下のせいでは……」

「いや、一部の貴族たちは意固地になって、君たちダークエルフへの差別意識を改めようとしない。これは僕たち、王家の責任だ」

「そんな……他の種族からああいう扱いを受けるのは慣れちゃってますし……」

「慣れた?」

「はい、私は貧民街で育ったんです。ここに入れたのはそこによく来てくださっていた修道女シスターに読み書きを教わって、それが他の子たちよりも優秀だったそうで……」

 それで、その修道女シスターが彼女をとある魔導士に紹介したところ、彼女の魔術の才能を見出した彼が、

(学費は私が持とう!)

 そう言って、最低限必要な魔術の基礎知識を教えた上でこの学校に送り出したのだという。

 しかし、ダークエルフが魔術学校に入るのは、並大抵のことではないだろう。先ほどの令嬢が働いた、彼女への無礼を見てもわかるが、入学を妨害しようとする者もいたはずだ。

 それでも、白銀の君はこの学校に入った。

 それだけ彼女の資質が秀でているということだ。

 彼女はうつむいて言う。

「まさか、今でも入学が許されるなんて夢のようで……」

 僕はそんな話をこくこく頷きながら聞いていたが、そこで自分が立ったままであることに気がついた。

 だから、

「隣に座っていいかな?」

と、聞くと、

「は、はいっ」

 彼女は慌てて、本の山を邪魔にならない位置にずらした。

 僕は彼女の隣に座り、落ち着いてから、

「自己紹介がまだだったね」

と切り出す。

「僕はパーン・ヴァリス。知ってのとおり、この国の第一王子をやらせてもらっている」

「リーデ……リーデ・ロードスです。殿下のことはよく存じております」

 ついに彼女の名前を知ることができた!

 それだけで僕の気持ちは舞い上がる。

 だけど、表向きは平静を装いながら続ける。

「嬉しいよ。それで、リーデ、何の本を読んでいたのかい?」

「えっと……『闇魔法による状態異常の有用性』……です」

「また、変わった本を読んでいるね……」

 いつ書かれたものだろうか?装丁を見ても相当古いのが分かるが、魔術学校の図書室とはいえ、そんな本がここにあるなんて思いもしなかった。

 リーデはそんな僕の考えをよそに説明し始める。

「はい。対象を状態異常にする闇魔法は、代表的なものに《麻痺ナム》が挙げられて、通常は戦闘時に敵を動けなくするための魔法として知られていますが、この本では実は適度な魔力量で使うと痛み止めになるそうで、例えば戦場で手足を切断せざるを得なくなった兵士に施せば、彼に激痛を与えることなく処置ができるとあります。また、こちらのページでは《眠りスリープ》について書かれてますが、やはり不眠症の患者に毎晩施せば、やがて魔法をかけなくとも自然と眠れるようになると……」

と、彼女はそこで言葉を止め、

「も、申し訳ありません。私ったら夢中になって……」

 慌てて謝ってきた。

「いや、いいんだ。そうか、火炎魔法が攻撃するだけじゃなく、生活のところどころで必要とされているのと同じように、闇魔法も使い方次第なんだ」

「はい。長らく闇魔法は邪悪なものだと言われてきましたが、それは種族差別によって犯罪に手を染めるしかなくなったダークエルフが、闇魔法を悪さにしか使わなくなったからで……」

 そうしてリーデはまた長い説明を始める。

 けど、不思議と僕はそれを苦に感じなかった。

 むしろ、彼女の声をずっと聞いていられることに歓びを感じた。

 今まで誰かに話したくても話せなかったことを言えるのがよほど嬉しいのか、白銀の君は我を忘れて口を動かし続ける。

 その一生懸命さがが愛らしくてたまらなかった。

 僕はというと、途中で、

「そうなんだ」

とか、

「なら、こういう場合はどうなんだい?」

などと話を合わせる。

 そして、時間はあっという間に過ぎて、気づけば窓の向こうに広がる空は茜色に染まり、ついに係員がハンドベルを鳴らして図書室を閉める時を告げた。

 そこでリーデは、

「え?もうこんな時間!」

 驚いて本から目を離し、顔を上げた。

 僕は少しおかしくなってクスリと笑う。

「うん。あっという間だったね」

「あの、私一人が話していたみたいでしたけど……」

「いや楽しかったよ」

 にこりと笑った。

 そして、この好機チャンスを逃さなかった。

「……また、明日も会えるかな?闇魔法はあまり詳しくなくてね。できればもっと教えてほしい」

 そう言うと白銀の君は、

「はい、ぜひ。私でよければ」

 微笑んで応えてくれた。

 次に瞬間、僕は彼女に気づかれないよう、机の下で小さく拳を握りしめた。



 この図書室での出来事こそが、のちにこの国の王妃となるダークエルフと、僕との馴れ初めだった。

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白銀の君 墨田狗夷 @inuisumida

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