第30話
年が明けて、三が日も最後の朝。
目が覚めると、部屋には暖房のぬくもりがふんわりと広がっていて、外の景色もすこしだけ白く染まっていた。
窓の向こう、屋根の上に残る雪が、冬の空気をそっと伝えてくれる。
年末年始は、それぞれ帰省していたから、まだ荒巻荘のみんなとは顔を合わせていない。
みんな、今日の午前中には戻ってくると聞いている。
台所に立って、お母さんから持たせてもらったお餅を焼く。
醤油を小皿に垂らして、納戸で見つけた味付け海苔を添える。
今日は、簡単に磯辺焼きでいいだろう。
お餅をゆっくりと食べたあと、ふと布団にごろりと横になる。
実家では、カニや牛肉、お雑煮に鍋……美味しいものをたくさん食べたせいか、少しお腹まわりが心配になってきた。
帰省したとき、お父さんから荒巻荘の「ミニ大家さん」として住んでいることについて、お礼を言われた。
父にとっては叔父にあたる人物だったから、心配していた部分もあったのかもしれない。
相続の際に面倒な手続きがあったことも、実はお父さんが大部分を進めてくれていたと初めて知った。
そんなことを思い返していたとき、外から話し声が聞こえてきた。
どうやら、みんな戻ってきたらしい。
ジャンパーを羽織って、私も外へ出る。
共用スペースの前では、長岡さん、宇津井さん、美穂さん、美咲ちゃんの四人が立って話していた。
「あけましておめでとうございます」
「おう、あけましておめでとう」
「おめでとう!」
「……今年もよろしく」
「綾香さん、今年もよろしくお願いします」
年始の挨拶を交わす。
みんな、変わらず元気そうでほっとする。
聞くと、たまたま帰りのタイミングが合ったらしく、ついでに話し込んでいたということらしい。
「そうだ」
ふと思い出して、私は長岡さんと宇津井さんに目配せを送った。
すぐにふたりは察したらしく、こちらに軽くうなずいてくれる。
「ちょっと待っててくれ。美咲ちゃんに渡したいものがあるんだ」
「え、わたし?」
「そう。長岡さん、宇津井さんだけじゃなくて、私からも」
ポケットに手を入れて、用意していた小さな封筒を取り出す。
薄いピンク色のぽち袋。右下には、笑ったネコの絵がちょこんと描かれている。
「はい、お年玉。いつも頑張ってる美咲ちゃんへ」
「えっ……」
目を丸くした美咲ちゃんが、ぱっと顔を輝かせる。
そのタイミングで、部屋に取りに戻っていた長岡さんと宇津井さんも戻ってきて、それぞれぽち袋を手渡す。
「もらっていいの!? わーい!」
受け取った袋を両手で優しく握りしめ、その場でちいさく跳ねるように飛び上がる。
「美咲、いただいたら何ていうの?」
「……綾香さん、コウさん、ジョージさん、ありがとうございます」
「本当に、ありがとうございます」
隣にいた美穂さんも、ぺこりと美咲ちゃんと並んで頭を下げる。
気を遣わせてしまったかもしれないけれど、それでも嬉しい。
「……いや、お年玉をあげるって、やってみたかったんだ」
「それ分かるわー。俺、親戚の子どもってまだいないからさ。兄貴が去年結婚したばっかで」
「私もです。親戚は年上ばかりで……ずっと憧れてました、こういうやりとり」
そんな会話をしているうちに、空が少しずつ明るくなってきた。
雲の隙間から、やわらかな冬の光が差し込んでいる。
今日は、晴れるかもしれない。
「みんな、このあと時間あるか?」と長岡さんが問いかける。
「……オレは、暇」
「長岡さん、何か用事でもあるんですか?」
「いや、暇なら初詣でも行かねえかと思ってさ」
「それいいですね! 行きましょう!」
「お参りして、甘酒でも飲めたら嬉しいですね」
「じゃあ決まりだな。少し支度したら、駅前の神社まで行こうか」
ぽちぽちと雪が残る小道を、みんなで並んで歩いていく午後。
冬の陽射しが少しずつ差し込むなか、新しい年の始まりを予感させる時間が、静かに流れていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神社の鳥居をくぐった瞬間、背筋が自然と伸びた。
風の冷たさとは別に、なんとなく気持ちが引き締まるような感じがする。
境内には、すでに初詣の人たちがちらほら。
焚き火のように燃える大きな灯籠が、ゆらゆらと空気を揺らしている。
ほんのり鼻をくすぐる屋台の匂い。
お正月の香りって、こういうものだったっけ……と、ふと思う。
「手水場は、あちらのようですね」
美穂さんの言葉にうなずきながら、私も参道をゆっくり進む。
水に手を浸すと、指先がきゅっと冷たくなった。
隣では、美咲ちゃんが口をくちゅくちゅとゆすいでいる。
本殿の前で並び、そっと手を合わせた。
お賽銭は奮発して500円。
去年の今頃と比べると、いろいろなことが本当に良くなった気がする。
今年一年、みんなが健やかでいられますように。
荒巻荘の生活が、穏やかで心地よく続きますように。
そして私自身も、誰かの力になれるように、ちゃんと自分と向き合えますように。
二礼二拍手一礼。
最後にゆっくりと頭を下げたとき、背後から聞こえてきた美咲ちゃんの声。
「お願い事なににしたの?」
その言葉に、思わず笑みがこぼれた。
「ひみつ。でもね、いい一年になりますようにってだけ」
「そっかー。わたしはね……3年生になるから、もっと大きくなれるようにってお願いした!」
「大丈夫。美咲ちゃんならもっと大きくなれるよ」
笑い合いながら、境内を並んで歩く。
石畳沿いの屋台から漂ってくる甘酒の香りが、なんとも懐かしかった。
「甘酒、飲みましょうか」
「……いいね。あったまるし」
「俺も飲むわ。冬はやっぱりこれだよな」
「私もいただこうかな。美咲も飲める?」
「うん!」
一杯ずつ手に持って、白く曇る息を見ながら、みんなで乾杯する。
ぽつぽつと残る雪が光を跳ね返して、きらきらと舞っていた。
屋台の灯りを背に、少し奥まった場所に置かれたおみくじ箱。
木の札に「開運みくじ」と書かれていて、その筆文字が妙に頼もしく感じる。
「……どれにしようかな」
私は、箱の中へそっと手を伸ばす。
ガラガラと揺れる音に、小さな期待が混ざる。
「なんか……ちょっと緊張しますね」
「わかります。こういう時って、つい真剣になっちゃいますよね」
美穂さんが笑いながら言った。
やっぱり、みんな同じような気持ちになるのかもしれない。
紙を開く指先がゆっくりと動き、それぞれの視線が小さな文字に集まっていく。
風が少し吹いて、雪を細く撫でるように通り過ぎた。
みんな、それぞれが自分の結果を確認する。
「私は……吉でした。でも、努力すれば好転って書いてありますね。頑張ります」
「その心意気だぜ。俺は末吉。今は静かに過ごすのが吉、だってさ」
「中吉でした。願い事は“焦らず待てば叶う”……と」
長岡さんは末吉、美穂さんは中吉らしい。
立て看板を見ると、この神社は『大吉→中吉→小吉→吉→末吉→凶』の順らしい。
「……オレは、三瀬さんと同じ吉だった。……去年が凶だったから、良くなったな」
「わたしは大吉! 勉強を頑張りましょうって書いてある!」
「これ、持って帰るんだっけ?」
「結果が悪かったら、結んで帰ると良くなるらしいですよ」
「俺末吉だからなぁ。結んで帰るか」
みんなの顔が、それぞれ少しほころんでいた。
紙を折り直しておみくじ掛けに結びながら、それぞれの思いが、静かに境内に染み込んでいくような気がした。
「よし、いい一年になりそう」
誰に言うわけでもなく、そう口にする。
天気はすっかり晴れ、青い空が広がっていた。
冬のやわらかい日差しが、ほんの少し、未来を照らしているようだった。
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