第5話 漂う光、沈む影
「ようやく来やがったか!」
船着きドックに足を踏み入れた瞬間、怒鳴り声が飛んできた。
ケインは顔色ひとつ変えず、ノクス・エレイネからスロープを下りる。ホログラムのアテナは今は見えない。彼女はこのあと、船体メンテナンスのため整備ステーションへ直行する予定だ。
「“ようやく”じゃなくて、予定通りだ」
「予定なんぞ信用できるかってんだ、宇宙の端から拾ってくるような奴らはよ!」
依頼主の男は、歳の割に声も態度も元気すぎた。
背丈は低め、髪は銀交じりのくせ毛、常に何かにイラついているような顔つき。名前はボルダン。
宇宙ステーション〈ダラ・ラガン〉の物流関係を取り仕切る一人で、口は悪いが、報酬の支払いだけは確実だった。
「で? 本当に中にいたのかよ、ステーションの生存者ってやつ」
「……“いた”が、“無事だった”かは微妙だな」
ケインは、返却された記録装置をボルダンに手渡す。修復された部分映像と、最終確認ログが詰まっている。
「依頼内容はこなした。回収対象1名、状態不良により隔離搬送。内部の危険因子も、一応封じてはきた」
「“一応”とか言うな! それじゃ報告になんねぇだろ!」
「書式報告書は後で送る。口頭で説明してほしいなら、そっちの分も請求に入れるが」
「……ったく。いいぜ、ちゃんと払う。次の仕事も考えとく。お前とその女AI、使い勝手はいいからな!」
ボルダンは舌打ちまじりにデータを確認しつつ、苦虫を噛み潰したような顔でその場を去った。
去り際、彼の後ろ姿に向けてケインは肩をすくめる。
「金払いはいい。人間性は最低限ってとこか」
『そういう人ほど、最後には“助けてくれ”って泣きついてくるものよ』
アテナの声が、彼の耳にだけ届く。通信越しの、いつもの柔らかな響きだ。
『私は整備ドックへ向かうわ。点検とシステム最適化、少なくとも12時間はかかるわよ』
「わかった。じゃあ、そっちは任せた。俺は少し地上に出てみる」
『……気をつけて。ここ、少し空気が淀んでるわ』
まるで、なにかを予感しているような声だった。
* * *
宇宙港“シグナ=メナ”。軌道ステーションの下層に広がる、半地上型植民区。
高層の建築は少ないが、宇宙から持ち込まれた部品で作られた仮設建物が密集している。エネルギー供給装置の周囲には食料マーケットやパーツ売り場が立ち並び、喧騒と煙が空気を満たしていた。
「いらっしゃい、船用ジェルパック再充填なら今だけ2割引きだよ!」
「こっちの反物質フィルタは偽物じゃないぜ、見てくれよ、この構造――」
通りを歩くケインは、群衆に揉まれながらも一定のリズムで進んでいく。
合成繊維の上着、腰に固定されたホルスター、背の高い人影と赤い髪は目立つが、不思議と誰も近づかない。
――彼には、空気を裂くような“違和感”があるのだ。
「おや……ケインじゃねえか」
渋く低い声が、背後から届いた。
振り返ると、ひときわ背の高い老人が、整備用のコートを羽織って立っていた。
白髪交じりの短髪、刻まれた皺と、鋭いが穏やかな眼光。
「……クロウじいさん」
「まだ“じいさん”と呼ばれるには早ぇがな。俺もお前も、宇宙の埃は十分吸ったがよ」
クロウ・ヴェガ。元ハンター。今は情報屋とも、武器屋ともつかぬ店を地元で営んでいる。
ケインが駆け出しだった頃、何度か世話になった相手でもある。
「コーヒーでも飲んでけ。あんたの船のAIが好きだった豆、ちょうどある」
* * *
金属骨組みの小さな店内。
壁には懐かしい銃器の残骸や、動かぬドローン、光らぬパーツが丁寧に飾られていた。
「ステーションで変なもん見たってな?」
「噂になってるのか」
「なってるさ。あんたが関わった宙域、今じゃ“黒影が出る”って話で持ちきりだ」
クロウは旧式のドリップポットで、丁寧にコーヒーを淹れながら言った。
「情報じゃなくて、“記憶”を食うんじゃないかって連中もいる」
「……記憶」
「魂じゃなく、記録でもなく、“記憶”だけを盗む。あんたがもし、なにか思い出せなくなった時が来たら――そいつの仕業かもな」
ケインは、その言葉に微かに反応した。
自分は……本当に“全部”を覚えているか?
「警戒しとけ。あと、これは忠告だ。もしアテナと別行動を取るなら、あのAIに対して、ちゃんと“存在の重み”を思い出させとけ」
「重み?」
「お前らが共に過ごしてきた、全部の“実感”だよ。奴らは、生き物みたいなもんだ。お前がそれを信じないと……消えるぞ」
コーヒーの香りが、やけに切実に感じられた。
* * *
ノクス・エレイネのメンテナンスを終えたアテナは、一時的に船体から分離されていた。
その間、ケインは船内から隔離され、港の中層域にある簡易宿へ滞在することに。
夜、彼が散歩に出たときだった。
「俺に何か用か?」
気配を察知して振り向くと、そこには黒いローブを纏った人物がいた。
性別も年齢も分からない。だがその目だけは、まっすぐにこちらを見ていた。
「“影”に深入りするな。次は戻れなくなる」
「お前は……何者だ」
「私もまた、記録されない側の存在だ」
それだけ言うと、人物は通路の角を曲がり、次の瞬間には消えていた。
* * *
『ケイン、迎えに来たわ』
次の朝、船が再び彼を迎えに来た。
艦体は艶を取り戻し、アテナの声もいつも通りだった。だが――
「なんか……妙に静かだな」
『整備後は少し、処理効率が変わるのよ。でも、大丈夫』
アテナのホログラムが浮かび上がる。
その微笑みはいつもと変わらず優しくて――だがケインは、心の奥底でほんのわずかに“違和感”を覚えた。
まるで、彼女が“なにか”を――削ぎ落とされたかのように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます