第15話 少しくらいは、借りを返せたかよ

 私も、マリナさんも、アルテアさんも、状況をすぐには理解できずに混乱していた。なぜなら――


「魔物が……東門から、魔物が!」


「逃げろ! 殺されるぞ!」


「どけ! どいてくれ!」


 そう口々に叫び、必死の形相で、街の東側から市民が大挙して逃げてきたからだ。


「魔物だって……!? 鐘楼が破壊されたこんな時に……! いや、それより、東門の守備隊が突破されたのか……!?」


 押し寄せる人の波に耐え、アルテアさんは街の東側に険しい視線を飛ばす。彼女を尻目に、人々は東門から離れようとパニックを起こしながら大通りを駆け抜けていく。その背後から――


「ゲギャァ!」


 緑色の肌。子供ほどの背丈。尖った耳に黄色く濁った瞳を持つ人型の怪物が数匹、おぞましい奇声を上げながら、手にした武器を掲げ、逃げる人々を襲おうと追いかけていた。


(あれが、魔物……!?)


 その特徴から、おそらくゴブリンだと推察できる。ファンタジー作品に触れたことのある人なら誰でも知っているモンスターだ。作品によっては一般人でも倒せるほど弱かったり、人に友好的に接するほどの知性を持っていたりもするけれど……


「ガアァ!」


 尖った歯を剥き出しにし、理性の感じられない瞳を爛々と光らせるその姿。この世界に来てから初めて遭遇する、現実に直面する怪物の異様は、容易に死の恐怖を私に抱かせる。


 人々が逃げ惑うのも無理はない。向けられる敵意に身体が強張る。人々の逃げ道を護るように騎士の二人がゴブリンたちを迎撃する。それを、見ていることしかできない。


「くっ、数が多い……!」


 ゴブリンの石斧の一撃を防ぎながら、ディルクさんが苦々しそうに呟く。よく見れば、ゴブリンの他にも犬頭で二足歩行の魔物や、地を駆ける狼のような魔物も彼らを襲っている。アルテアさんも複数の魔物に襲われ身動きが取れていなかった。その脇を、他の個体がすり抜けて……


「あ……」


「! ミレイ! 逃げろ!」


 アルテアさんが発する警告の声がどこか遠くに聞こえる。ゴブリンの一匹が棒立ちになっていた私に狙いを定めたようだ。しかし逃げようにも、足が動かない……


「――ミレイっ!」


 横から抱き着かれ、地面に押し倒される。マリナさんが私をかばって覆い被さってくれたのだ。けれどそれじゃ、今度はマリナさんが魔物の毒牙にかかって――


(――! そんなこと、させない……!)


 ここでようやく私の身体は動いてくれた。マリナさんと入れ替わるように転がり、魔物の武器を私の背中で受け止める体勢を取る。

 こんな行動に意味はないのかもしれない。極端な話、仮にマリナさんが殺されたとしても、すぐに私も後を追えば、死ぬ前の時間にループすることができるはずだ。でも……


(もう、マリナさんに死ぬ思いなんてさせたくない……!)


 どのみちループするのなら、死ぬのは私だけでいい。訪れるその時を目をきつく閉じて待ち構え……


「ギュ、ギ……!?」


「……?」


 待ち構え……けれど、いくら待ってもそれが訪れないことを不思議に思い、目を開けて周りを見ると……


「帰りが遅ぇから探しにきてみれば……」


 そこには、私たちを襲おうとしていたゴブリンを、いつか見た短剣で切り伏せている、赤髮の少女の姿。


「何やってんだよ、あんたら」


「リタさん!」


 そう。元貧民街の少女で、今はお店の同僚であるリタさんが、私たちを助けてくれたのだ。


 その頃には周囲の魔物は一掃されていた。騎士の二人はまだ周囲を警戒していたが、それは彼らに任せればいいと判断したのか、リタさんは息を一つ吐きながら短剣を鞘に納める。


「……少しくらいは、借りを返せたかよ」


「え?」


 よく聞き取れず聞き返してしまうと、リタさんは少し顔を赤くしながらまくしたてる。


「~~なんでもねぇ。それより、今の状況だ。大きな音と揺れがきたと思ったら避難の鐘が鳴り響いて、今度はそれが途中で止まりやがった。外に出てみればこの大騒ぎで、しまいには街中で魔物を見る始末だ。いったいどうなってんだ?」


「それが……」


 説明のために口を開こうとしたのだが――


「あの、ミレイ……もう大丈夫みたいだから、降りてもらえると……」


 私に庇われ下になっていたマリナさんが、少し申し訳なさそうに声を上げるのが聞こえた。


「あ、す、すみません!」


 慌てて彼女の上から退いて立ち上がると、彼女は自分よりも私の様子を確かめるように視線を向けながら、その場で立ち上がる。


「目立った怪我はないみたいね。まったく……あなたは本当に無茶をするんだから」


「だ、だって、あのままじゃ、マリナさんが死んでしまうかもしれなくて……」


「わたしは……仕方ないじゃない。身体が勝手に動いちゃったんだから」


「それなら、私だって……!」


「おい、そこの二人。イチャついてんじゃねーぞ」


「「違っ……!」」


 リタさんの言葉に二人揃って抗議しようとしたところで――


「マリナ、ミレイ、リタ。三人とも無事かい?」


 周囲の安全は確保したのだろう。アルテアさんとディルクさんがこちらにやって来る。


「アルテア。ええ、リタのおかげで助かったわ」


「本当に、ありがとうございました、リタさん」


「そうか。君が来てくれて助かったよ、リタ。私とディルクだけでは危うく護り切れないところだったからね」


「そ――んなに褒めても、何も、出ねぇからな……」


 立て続けに感謝されたリタさんは顔を赤くして照れてしまった。かわいい。面と向かってお礼を言われることに慣れていないのかもしれない。その様子を微笑ましく見守ったところで――


「さて、あまりのんびりもしていられない。人々の動きから見ても、魔物が侵入したのは東門からだと思って間違いないだろう。私とディルクはそちらに向かい、守備隊の状況を確認してこようと考えている」


 そのアルテアさんの言葉に、マリナさんが疑問を差し挟む。


「悪魔崇拝者のほうは? 鐘楼を破壊したのは彼らでしょう?」


「確かにそちらも問題だが、まずは魔物の対処が最優先だ。そうだろう?」


「……そうね。確かにそうだわ。でも……」


 マリナさんはそこで言い淀む。その理由を、私はなんとなく理解していた。


 理屈では分かっているのだ。ただ、私と同様、悪魔崇拝者たちの不気味さを肌で感じ取った彼女は、彼らの動向が気になって仕方がないのだろう。


 いや、もしかしたら、このタイミングで魔物が侵入してきたことさえ彼らの仕業だと考えているかもしれない。――私と、同じように。


 ただ、それには根拠がまるでない。悪魔崇拝者たちの言葉からその可能性を連想したというだけだ。この状況でどちらを優先するべきか、どう行動するべきかの判断も、情報が少なくてつけられない……


「とにかく、君たちはお店に帰ってしっかりと鍵をかけて閉じこもるんだ。安全が確認されるまで身を護って――」


「あ、あの!」


 そこで、私は声を上げた。


「わ、私も、連れていってください」


「ミレイ……? 何を言って……」


 マリナさんが不安そうな顔で私を見る。アルテアさんも眉間にしわを寄せた。


「君を? いや、それは――」


 ここで難色を示されるのは当たり前だ。私には、戦う力が何もないのだから。けれど――


「ご存じの通り、私には神さまから授かった加護があります。もしかしたら、この先で役に立つかも……」


「は?」


 という声はリタさんのもの。そういえばそのあたりのことは何も話していなかった。


「……確かに君の加護には助けられてきた。貧民街での一件も、詰め所への襲撃も、君が伝えてくれなければ我々は知ることもできなかった。しかし……魔物が侵入してきた今は、街のどこで戦いが起こるか分からない。それに、未来を見通すはずの君の加護も、ここまでに起きたことは見えていなかったのだろう?」


 アルテアさんの言う通り、私がついていっても彼らの足手まといになるのは目に見えている。それに一周目の今は当然、この先に起こることを何も知らない状態だ。――でも。


「……私の加護の本当の力は、未来を見ることではありません」


「……なんだって? しかし、現に君は――」


「はい、先の出来事を言い当ててきました。けれどそれは、ついでのようなものなんです」


「ついで……?」


「私の力は――死ぬと、過去に戻ること。一度体験した未来の記憶を持ったまま、過去に戻ってもう一度やり直してるんです」


「は?」


 という声は、またもリタさんのもの。初めて聞くことが多くて事態についてこれていないのかもしれない。


 アルテアさんも最初は呆然としていたが、少しすると思い当たる節があるかのように一人頷く。


「……死ぬと記憶を持ったまま過去に戻って、そこからやり直す……そうか、だから君は未来で起こることも、私の名前も知っていたのか。私たちは一度出会っているんだね」


 コクリと、頷く。


「……騙していて、ごめんなさい。こんなこと、いきなり言っても信じてもらえないと思って、悩んだ末にああ言ってしまって……」


「それは構わないよ。事情も分かるし、実際に未来の情報を知っていたのだから嘘でもない。だが、なぜ今になってそれを?」


「今言わなければ――……〝見えるかもしれない〟なんて不確かな状態では、連れていってもらえないからです。私は、実際に現場におもむいて体当たりで情報を得るしかできません。だから、この目で確かめなきゃいけないんです」


 情報が少なくて判断がつかないのなら、その情報を集めるしかない。そしてあまり頭がいいとはいえない私は、今言ったように実際に体験しなければそれを得られない。

 ならば、まずは目下最大の懸念である魔物の襲撃について調べ、この目に、記憶に、焼き付ける必要がある。この一連の事態の原因がそこにあればよし。なかったとしても、次に繋げることができれば――


「……つまりミレイは、それが必要だと考えているんだね。ただ魔物に対処するだけでは足りない。裏で糸を引く何者かが存在する。そしてそれは――あの悪魔崇拝者たちかもしれない、と」


 彼らの言葉を実際に耳にしたからか、アルテアさんもその可能性には思い至っていたのかもしれない。


「……はい。もしそうであれば、私は……!」


 私は決意を込めて、アルテアさんの目をまっすぐに見つめる。彼女はそれを正面から受け止めてから、小さく息を吐いた。


「……君は時折、驚くような意志の強さを見せるね。先の事件でもそうだった。結果的に見れば、我々はそれに助けられてきたわけだ……。分かった、一緒に来てもらおう。君の加護については理解したし、目の届かないところで無茶をされても困るしね。ただし、戦いになったら私の指示に従ってもらう。それだけは約束してくれ。いいね?」


「アルテアさん……はい!」


 仕方ないといった様子で微笑むアルテアさんに、私は強く頷いた。それを遮るように声を上げたのはマリナさんだ。


「待ってよ、ミレイが行くなら、わたしも……!」


「君はダメだ、マリナ。君には……戦いの場で出来ることが、何もない」


「……っ! それは……」


「それが悪いと言っているんじゃない。領分の違いだ。戦いは私の領分だ。けれど、君の領分は別にあるだろう?」


「……」


 押し黙るマリナさんをさらに説得すべく、私も口を開く。


「そうですよ、マリナさん。それに、ミルトちゃんも置いてきたままでしょう?」


「う……」


 お店の荷馬であるミルトちゃんは、今もあの路地の入口に繋いだままだ。魔物の襲撃がまなければ、そのうち襲われてしまうかもしれない。


「だからマリナさんは、ミルトちゃんをお店まで連れ帰ってあげてください。私なら大丈夫ですから」


「ああ。さっきの今で説得力はないかもしれないが……今度こそ、私たちがミレイを護ってみせるよ。だから、マリナ」


「~~……。……分かったわ」


 まだ納得のいかない様子ではあったものの、マリナさんは頷いてくれた。内心ホっとする。


「リタ。マリナを護衛してやってくれ。君がいれば無事に店まで帰りつけるだろう」


「ああ、色々よく分からねぇが、分かった。……あんたらも、気をつけろよ」


「はい!」


 リタさんの言葉に返答し、踵を返す。


 この大きな混乱が全て悪魔崇拝者たちの仕業だというなら、なんとしてでも阻止しなければいけない。もう二度と、マリナさんをあんな目に遭わせないために――

 決意を胸に秘め、私はアルテアさんたちと共に東門に繋がる大通りへ駆け出した。

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