ヒトのなかのむし
雨中 くじ
第1話 その音。
「ちょっと、待った。いや、待って!帰んの早すぎるって。」
「三好…さんで合ってる?いまクラスのグループと女子のグループ作ったからさ、参加して欲しくて。」
帰り支度を済ませ、教室のドアを開けようとしたところで呼び止められた。振り返ると長いストレートヘアの気が強そうな子といかにも運動が得意そうなショートカットの2人組だった。当校初日の今日は全体での軽い自己紹介くらいしかする時間がなかったのにすでに意気投合しているようだ。
「あ、ごめんなさい。私、スマートフォン持ってなくて。」
顔を上げて、へらへらと笑ってみる。
「え。それまじで言ってる?」
「スマホなしで生きられるの?」
「え、それ。」
驚いて顔を見合わせる二人。こうなると思ったから早く帰ろうとしたのに。
「あはは。意外と、なくてもどうにかなりますよ。じゃあ、ちょっと今日は入学祝やるらしくて早く帰れってうるさいんで。先帰りますね。またあした!」
恥ずかしくて笑顔が引きつったままドアをスライドさせる。二人も目くばせを挟んでから笑顔を作ってくれた。それにしてもこの場から離れたくてとっさについた嘘にしては、なかなか筋が通ってるんじゃないか。
逃げるようにして学校から出て来たが、このまま帰ってもやることがない。通学路からすこし逸れた場所にある公園で時間をつぶすことにした。久しぶりに座った窮屈なブランコはギイギイと音を立てた。学生服の胸ポケットから年季の入った鈴のストラップを取り出し、そのまま手でしっかりと包み込む。
「私だって、スマートフォン欲しかったよ。」
教室での会話を思い出して口から勝手に言葉がこぼれる。自分はそんなことを望んでいたのかとハッとして誰にも聞かれていないことを鈴に願う。ただでさえ迷惑をかけている祖母に、これ以上は頼めない。
「…いや、もう高校生なんだから。自分でどうにかしよう。」
お守り代わりの鈴をポケットに戻し、まずはアルバイトかなと伸びをしながらあたりを見渡す。この公園は木や花がたくさん植えてある落ち着いた雰囲気だ。木々の隙間から見える住宅地には高校生がアルバイトをするような場所は見当たらない。どうやって探そうか、と考え始めたときブン…と鈍い音が耳元をよぎった。
いつもなら気にも留めない、その音。でも今日は、やけに興味が沸いた。高校の入学初日だったから、無意識になにか運命的なものを探して浮かれていたのかもしれない。追いかけようかと思ったが、すでに見えない程遠くに飛んで行ってしまった。それなら、どこから来たんだろう。あの虫は。気が付いた時には公園の入り口に向かって歩き始めていた。あの虫が飛んできた方向だ。
公園の入口に何かが落ちている。猫…にしては大きい。頭より先に本能でそれを理解し、背筋がゾッと冷える。あれは、人間だ。血の気が引く感覚を覚えながら駆け寄る。
「あ、あの…だ、いじょうぶ、です…か?」
そばに来たは良いが、思ったように声が出ない。大した距離を走ったわけでもないのに、心臓のバクバクが止まらない。人が倒れているところなんて、ドラマでしか見たことがない。呼吸が浅くなる。いや、つられて自分も気分悪くなってどうする。
「大丈夫です、か!」
息を吸って大きな声で、今度はしゃがんでから声をかける。それでも応答はない。ドラマの見よう見まねで肩のあたりに手を置く。あたたかい。温もりに触れたことで、心臓のドキドキが少し落ち着いた。視界が一気に広がって、今までこの女の人のことを何も見れていなかったことに気が付く。OLっぽい服装の大人の女性。呼吸はしていて、倒れたときに擦ったと思われる手の傷以外に外傷は見当たらない。血の気が引いていて辛そうだ。
生きてはいるだろう。ただそれ以上のことが何もわからない。だからこそ救急車を呼ぶべきだろうけど、携帯電話は持っていないし、公衆電話も見当たらない。近くに住んでいる人に助けを求めたい。でも、このままこの人を一人にしておくのは怖い。
「わたしがもっと…」
また、弱音を吐こうとしたときだった。目の前の世界がぐるりと回る。突然の眩暈に体勢を崩し、しりもちをついた。ズキズキ痛むおしりを気にしながら、周囲を確認する。特に変わったことはない、ただの住宅街。いや、音がする。鈴の音だ。
――りーん。りーん。
一定の間隔でゆっくりと鳴り響く。
――りーん。りーん。
背筋が凍り付くほど透き通った鈴の音。
――ちりん。
その音は徐々に大きくなり、わたしの背後で止まった。振り向かないと。それなのに得体のしれないものへの恐怖で身体が思うように動かせない。息を大きく吸って、強張る身体を無理やり動かす。そこにいたのは想像していたよりずっと優しい笑みをこちらに向けた、怪しげな格好の男のひとだった。
「…ありがとう。もう、大丈夫だよ。」
男はわたしにもう一度優しく笑いかけると、倒れた女性のもとに歩み寄る。男性が動くたびに着物のような服に付いた鈴が揺れ、チリチリと音が鳴る。
「あの。この人、倒れてて…さっき見つけたんですけど、えっと。」
混乱した頭で状況を説明しようとする。
「あっ救急車!救急車を呼んでもらいたいんです。」
人を呼びたかった理由を何とか思い出す。それなのに男は私の話を聞いていないのか、女性の脇で大きなリュックを降ろしあぐらをかく。リュックから何かが入った小さな透明な瓶を取り出して、よしと小声でつぶやいた。
「三好ちゃん。よく見ていて。」
「え?」
男は教えてもいない名前でわたしを呼ぶと、瓶を数回振って中のものを手に取りだす。片手でそれを軽く握ると女性の胸の上にかざした。
「あの…?」
状況が理解できず声をかけようとしたが、横目でチラリとこちらを見るだけですぐにかざした手の方を見る。静かに見てろ、とでも言いたげだ。
目を閉じると、息を一度吐いてから深く吸う。呼吸に合わせて手にもゆっくり力が入る。と、そのとき。男のかざした握りこぶしから光がこぼれる。柔らかい光の粒が空中へ飛び出す。黄金色にも見えるその光の勢いは徐々に増して指と指の隙間から次から次へとあふれ出てくる。もう握りしめている意味がなくなったのか、男は手を空に向けて開く。手に持っていたのは小さな光の塊だった。そのまま下に向けて、女性の胸に優しく近づける。すると光の塊は周囲に散らばった光の粒と共に女性に吸い込まれていく。
まるでおとぎ話だ。その幻想的な光景に言葉を失う。最後まで光が吸い込まれるのを待ってから男は目を開ける。女性の様子を一通り見てから張り詰めた空気を取っ払うように口角を上げて目を合わせる。
「救急車を呼んでもらえる?」
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