天使と処女、あるいはマリアの拒絶~サンドロ・ボッティチェリ《チェステッロの受胎告知》

磯崎愛

古賀コン9 テーマ「ママにならないで」



 世界で一番有名な母親は、聖母マリア様にちがいない。僕のようなキリスト者でない人間でも、それは否定できないのではないだろうか。

 そんなマリア様が西洋美術に及ぼした影響はとても大きくて、素人がここでどうこう言えることではないのだけれど、今日は僕の大好きなフィレンツェ・ルネサンスの花形画家アレッサンドロ・ボッティチェリの《チェステッロの受胎告知》と呼ばれる絵について話したい。

 ボッティチェリは当時、たくさんの聖母の絵を描いている。もちろん《受胎告知》も現存しているもので複数ある。

 そのなかでチェステッロの受胎告知は唯一、マリア様が怯えているようにみえる絵だ。

 受胎告知という絵画はあまりにも傑作が多く、いまこれを読むひとの頭の中で誰のどの受胎告知が思い浮かべられているのか想像しにくい。同じ題材で、まして同じ画家であってすら、いくつものバージョンを生み出してしまうのが、名画が名画たる所以ともいえる。それだけ解釈の幅が大きいのだ。

 さて、とりあえず僕はここにリンクを貼るのでもしよかったら見てもらいたい。今はウフィッツィ美術館にある。



《チェステッロの受胎告知》

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%8F%97%E8%83%8E%E5%91%8A%E7%9F%A5#cite_note-Uffizi-1


 この絵はだいたい150センチ四方のほぼ正方形の絵画だ。左に百合を持って跪く天使、右によろめくような立ち姿のマリア。彼らの造形はよって等身大にちかい。

 奥には聖母をあらわす「閉じられた庭」が描かれ、おそらくオリーブであろう樹木の向こうには蛇行する川の流れ、立派な橋があり丘の上には尖塔をもつ城が描かれている。

 テンペラ画と呼ばれる手法で、これはサンドロの得意としたものだ。卵で割った絵 具で下準備を施した木地に繊細に描きこむことができる。

 依頼主は、公証人から身を起こし,市の公職につき銀行業で成功したベネデット・ディ・セル・フランチェスコ・グアルディだ。サンドロは、フィレンツェの上層市民と親しく、彼の絵画はとても高価だった。30デュカート支払われたそうだ。今の金額に概算する、ということをしたいのだがこれは素人にはなかなか難しく(その手の本によっても違うので)、おそらく現代日本の事務職女性の年収くらいはあるだろうとだけ言っておく。

 念のため言い添えておくと、当時の画家は工房で仕事をしている。なので弟子の手が入っていると考えるのが普通なのだが、しかしサンドロに限っては、こうした上流階級の人間からの依頼に関しては、下絵や木地の仕上げの段階から彼が綿密に手を施したであろうとも言われている。

 僕も、そう思う。

 さて、ここであらためて言うまでもないことかもしれないが、受胎告知とは処女懐胎のお告げの話しだ。the Annunciationといえばもう、それだけで受胎告知をさす。

 ちなみに、こないだジャン・ジュネの『恋する虜 パレスチナへの旅』の原書を読んでいたら大文字でLa Viergeと出てきた。これも聖母マリア、というか処女マリアをさす。ついでに言うと、この本自体がパレスチナ人の母親と息子、そして母に捨てられたジュネの母恋いの物語でもある。占領や虐殺のあるどうしようもない世の中に兆した、果てしなくうつくしい「ものがたり(歴史 histoire)」である。

 チェステッロの受胎告知を僕が愛するのは、それがとてもリアルで美しいからだ。

処女を自認する女性が子供を身籠った。しかもそれは神の子であるといきなり天使に告げられたら、さいしょに来る感情は「どうして自分が!?」というものではなかろうか。

 だいたい翼の生えた人間がいきなりやってくることすら怖い。それがどんなに美しくても!

 しかも、処女なのに母親にだなんて、まして神の子の母親(ママ)になんて絶対になりたくはない、という恐怖や拒絶がマリアにあって当然だと思うのだ。いつの時代も不貞を犯す女性に社会は厳しい。

 事実、ルカによる福音書で「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」とマリアが言っている。その前には天使が「マリア、恐れることはない。」となだめてもいる。

 サンドロ・ボッティチェリはこの絵で、マリアの動揺を描く。拒絶をも、描く。

 マリアの左手は近寄らないでほしい、またはそれは自分とは無関係であってほしいという明確な拒絶に見える。マリアは目を伏せ、顔を俯けている。サンドロの描く女性のかおは冷ややかで整ってなんとも言えずうつくしい。天使はそっと、そんなマリアをうかがうように下から仰ぎ見る。そして、やわらかく、その右手をマリアに差し向ける。その手はちょうど画面の真ん中にある室内の枠にかかることで、マリアのいるこの世と天使のいるあの世の境を区別する。

 そして、二人の右手は互いに危うい緊張をはらんで画面を対角線に横切っている。

この手ぶり、これはミケランジェロの天地創造、神とアダムの伸ばした手指にも匹敵する快挙だと思う。(この彼らの手指について自分で書いた小説があるのだが、それはまた別の機会でね)

 そういえば、こうした宗教画はもちろん宗教画として描かれているのだけれど、ことにこの時代になると美少女や美女マリアと美男子ガブリエルの密会じみた、フォトジェニックな絵画ともなっていくことも告げておきたい。

 と、ここまで書いてきて聖母マリアって少なくとも自分の知る限り、母という語句で呼ばれないのでは? と思ったりも

 冒頭で僕は世界一有名な母親とマリア様について語った。しかし、じっさいのところ、カトリックだと処女を示す語か、でなければノートルダム(そう、パリにある世界で一番有名なノートルダム寺院は聖母にささげられている)、NotreDame我らの貴婦人、だ。

 マダムMadame が私の貴婦人、という意味の、あれね。

 「母」かどうかはそこに示されてはいない。

 そうそう、もうひとつ、世界で一番有名なNotreDameは、ミシェル・ド・ノートルダム(Michel de Nostredame)(Nostreの古フランス語)、あの世紀末の予言で有名だったノストラダムスのことだったりする。いかにもカトリックぽい名前がついているのは、改宗ユダヤ人を先祖に持つからだ。

 そんなわけで、僕の大好きな受胎告知の話しをしました。

 まあ、なんだ、それはともかく予言があたらなくてよかったね。




※参考

ルカによる福音書 1:26-38 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

https://www.bible.com/bible/1819/LUK.1.%25E6%2596%25B0%25E5%2585%25B1%25E5%2590%258C%25E8%25A8%25B3


矢代幸雄『受胎告知』

高階秀爾『受胎告知絵画でみるマリア信仰』

岡田温司『処女懐胎描かれた「奇跡」と「聖家族」』

岡田 温司/池上 英洋『レオナルド・ダ・ヴィンチと受胎告知』

高階秀爾、鈴木杜幾子『ボッティチェッリ全作品』

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