うそ憑き

うよに

うそ憑き

 ――僕の命をあなたにあげるから


 誰かが嘘月とうたった。

 もう誰だかいつだかは忘れてしまったが。

 その言葉がやけに耳の奥を振動させていく。

 夏を置き去りにした潮の辛い臭いを感じながら重い視線をゆっくりと上昇させていく。

 なんてことはない。

 ただの暗闇だ。

 ――何が見えるというのだろうか

 人はこの退屈で下らない景色を見ても見えない何かに称賛の声を称えるのだろうか。

 野ざらしにされた足先に冷たいであろう自然の産物が体温を奪おうと躍起になっていた。


 ――天国なんてあるわけがない

 そうムキになって言った僕にあなたはなんて返したのだろうか。

 もう……忘れてしまった。

 その後、僕はどんな言葉をあなたに突きつけたのだろうか。

 ……。

 耳の中で風鈴のような軽快な残響物が生じた、気がした。

 

 時間感覚なんてとうに捨てた。

 ただ負荷のかかった首が悲鳴を上げているだけだった。

 瞬きすらも忘れて何も浮かんでこない深淵を凝視していた。

 ――天国なんて誰かが死の恐怖から逃れるために空想したものでしかないんだよ。だって空の上は? 宇宙でしょ?

 そんな声とともにあなたの底知れない瞳が徐々に雫味を帯びていく光景が眼前に描き出される。

 麻痺し続けているこの身体では目を逸らすことも掻き消すことも何もできない。


 ――僕の

 そう呟こうとして自分の唇がカラカラに渇いて固まっていることに気が付いた。

 麻痺していた皮膚が動き出した。気がした。だけだった。

 ふと気づく。

 呼吸の仕方って……。

 瞬きの仕方って……。

 

 やがて何も感じなくなっていた。


 思考もそろそろ停止するのだろうか。


 恐怖も何もなくなった頭の中で、僕はわらっていた。

 自分自身をいたんでいた。

 結局、僕はそこら辺の人間と何も変わらなかった。

 

 ふと塩辛い味がした。気がした。はず。きっと。たぶん。


 思考がくだらない神経に集中したその刹那、何かがそっと弾けた。


 眼前にはただ、ただの月が浮かんでいた――

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うそ憑き うよに @uyoni

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