第2話 アルミスカの正体

『アルミスカ・グラフナ公爵令息』


 ヒロインである元侯爵令嬢、サフラン・ハチキナの元婚約者で、その後に彼女の義妹ギルモアを捨てた令息である。



 彼はグラフナ公爵家の次男で、サフランの祖父が決めた婚約者だった。……と、みんなが思い込んでいた。


 けれどグラフナ公爵家に令息は一人で、後は令嬢が一人いるだけだ。

 アルミスカなんて、初めからいなかったのだ。



 じゃあ、あれは誰だったのか?

 答えは人ならず者だった。


 アルミスカは、太古から生きる生命体モノで、すっかり生きることに飽きていた。


 現在の趣味は、人の不幸な顔を見ることの一択だった。

 彼は眷族の使い魔に不幸な人間を探させて、関係者としてその様子を身近で観覧する。

 まるで舞台を楽しむ観客のように。



 生来の美しさを持つ彼は、アーモンド形の綺麗な碧眼と長い漆黒の髪を持つ吸血鬼だった。

 始祖ではなく、その何代か下の純血種と呼ばれる程度の力を持つ、人間の血を持たない彼だから、人間の気持ちなどを慮ることはない。


 人間から見れば犬や猫のような、別の種族を見るのと同じ感覚だった。

 人間は他種族を大事にするが、アルミスカにはそれがなかった。


 同じ吸血鬼でも、ある程度の思いやりを持つ者も、勿論存在する。

 そうでなければ、半吸血鬼(人間と吸血鬼の混血で、ダンピールとも呼ばれる)などは、存在しないことになる。



 彼は人間を、食料と娯楽としか思っていなかった。




「ああ、サフラン。君の絶望した顔は、最高だったなぁ。

 あのまま僕がギルモアと結婚して、幸せな話が君に伝われば、悲しむ顔が見れたのかなぁ。

 サフランは、僕のことが大好きだったからね。

 ふふっ、少し残念だよ」


 いつもは碧眼の瞳は、興奮すると赤に染まる。

 彼は気付かぬうちにサフランに惹かれていたから、彼女を忘れることは出来ないでいた。


「何処に行ったんだろうな。せっかく君の憎い家族が、いなくなったのに。戻ってくれば良いのに……」


 そんな呟きをするくらいには。



◇◇◇

 彼の潜在能力は高い。

 長く人の血液を体内に取り入れ、幾多の魔力を得る者の力を吸収できたことで、自らの体表面にバリアー(保護膜)を張り既に日光を克服していた。


 血を吸う際に相手をスキルで魅了するが、吸血の記憶を残さない為に酩酊状態にしていた。

 だからこそ、アルミスカに悪影響を持つ者はいないのだ。


 年齢の割りに妖艶で礼儀正しい美形。でも次男だから婿入り先を探している令息。

 周囲の評価はその程度だった。


 公爵家の当主を魅了し、息子としてアルミスカの立場を得てからは、彼は特に問題も起こさず共生する。

 獲物を探すには、丁度良い環境にあった。


 そしてサフランに出会ったのだ。



 アルミスカは思っていた。

「どうして苦境を周囲に訴えないのか?


 どうして当主でもない父親に従うのか?


 どうして黙って、使用人のようなことしているのか?


 どうしてそんなに、勤勉に取り組めるのか?


 どうしてそこまでして、逃げないのか?



 …………僕に泣いて縋れば眷族として力を与え、永遠に傍に置いてあげるのに…………」



 あくまでも上から目線。 

 もし眷族となれば、どこまでも上下の関係になる。


 それでもサフランが、近くにいても良いと思っていた。



 

 だから眷族から彼女の不調を聞いた時、アルミスカは記憶が残らないように、公爵家の侍医にサフランを診察させていた。


「残念ですが、全身が病に犯されております。アルミスカ様とご婚約されていた、優秀な令嬢ですのに残念でございます」


「ああ、診察してくれてありがとう。じゃあ、この事は忘れてね」


「はい、アルミスカ様。お心のままに」



 その後に侍医は、サフランを診察した記憶を消されていた為、彼女にも侯爵家にも干渉していない。



「僕の力があれば、彼女を救える。血を与えれば、僕達寄りに細胞自体が作り変わるからだ。

 けれどそれは、きっと彼女は望まないだろうね」



 苦境にあっても、決してへこたれないサフラン。

 侯爵家の立場を、父親の立場を悪くしない為に、他者に助けを求めないサフラン。


 生粋の令嬢なのに、身のまわりのことを自分で熟せるほど頑張ったサフラン。


 次期当主になる為に、懸命に努力するサフラン。




 彼女はいつも、明日を信じて輝いているのだ。


 それが病に犯され、碌に食事も出されずに体力もないと言うのに、決して諦めないのだから。




 だからこそアルミスカは、ギルモアとサフランの体を入れ替えたのだ。


 ―――――――サフランを生かす為に。



 

 その後はギルモアを誘惑し、侯爵夫妻を唆して計画を実行した。普通の神経なら、そんなことにサフランの父親も義母も同意はしないだろう。


 けれども彼らの欲望は凄まじく、魅了せずとも同意がなされた。だからアルミスカも、元から乏しい感情は僅かも動かなかったのだ。


「実の娘から全てを奪う覚悟があるのだから、その逆の覚悟もあるのだろうね」



 そんなことを思いながら、眷族達に精神逆転移ができる魔導師を見つけさせ、サフランの寿命が尽きる前に入れ替えを完了させた。


 入れ替えた後に彼女サフランに冷たくし追い出したのも、再び入れ替えが行われないようにする為だった。


 自ら冷たいうすら笑いを浮かべ、サフランと冷たく別れたのもその為だった。


 本当は近くにいて欲しいのに。





◇◇◇

 ギルモアが天に召され、彼女の母親も亡くなった。彼女の父親も虫の息だ。


 家を継げないギルモアの体のサフランは、誰にも探されないだろう。既に家は縁者に渡っている。




「ああ、退屈だな。眷族達の情報もぱっとしないし」


 そんな彼に長く仕える蝙蝠の眷族が、小さな声で囁いた。


「サフランの居場所が分かりました。パン屋で元気に働いていますよ」

「そうか、元気か。良かった、のかな?」


 微笑んだ後の彼から、ポタリと涙が溢れた。


「なんで、涙なんて……。ああ、嬉し涙なのかな……」



 魔力のあるその蝙蝠は子供の姿に変化し、アルミスカの手を引いた。


「結ばれなくても良いじゃないですか? 我慢しないで会いにいきましょう!」


「会いに、行く?」

「ええ、そうです。その姿で気まずいなら、変装でもすれば良いんですよ。そして美味しいパンを買って下さい。彼女を探し出したお駄賃として」 


「そうだな、たくさん買ってあげるよ。ご苦労様」

「ありがとうございます。ご主人様」


 

 その瞬間、グラフナ公爵令息のアルミスカはいなくなった。

 いや、元より存在しない者なのだから。




◇◇◇

 そして数日後。

 髪を金に染めて眼鏡をかけた吸血鬼は、サフランの勤めるパン屋で大量にパンを購入した。

 子供姿の蝙蝠は、大変喜んでいたのは言うまでもない。


 本来蝙蝠は昆虫か植物しか食さないが、同族に殺されかけて瀕死の体に、主人となる吸血鬼の血液を与えられた蝙蝠は、何でも食べられるようになった。

 魔力も知能も格段に上がっていた。


 蝙蝠の彼女はアルデと言う。由来は恒星のアルデバランからだ。


 そして吸血鬼の名は、ルギウスである。彼も父親から巨大な星の名(ベテルギウス)をと、付けられたのだった。

 


 アルデはルギウスを大切に思っていた。

 命をかけて守れるほどの忠誠をもって。

 そこには愛も多分に含まれていたが、それは内緒である。


 そんな彼女は、今日も彼の為に動き続けている。

 自分がサフランと顔見知りになり、いつかアルミスカと別人として主人ルギウスと出会わせられるように。


 主人ルギウスがサフランへの関心を失くすまで。


 それが続くなら、継続してバックアップを続けるつもりだ。


 けれど…………。

(ルギウス様には恋よりも、人間の不幸を見る趣味に戻って欲しいな。だって………………)


 頬を染めて俯く彼女アルデの淡い恋は、きっと告げられないままだろう。




◇◇◇

 アルミスカだったルギウスは気付いていないが、侯爵家でサフランが頑張っていた理由の一つには、アルミスカへの恋心があった。


 二人の気持ちは、僅かに交錯していたのだ。


 

 今現在サフランは、常連である筋肉の逞しい騎士への憧れが強い。


「きゃあ、格好良い。アズライン様って凛々しいですよね」

「またそれかい、サフランちゃんは。若い子が筋肉好きなのは珍しいね。普通はもっと、王子様みたいのが好まれそうなのに」


「もう、女将さんったら。王子様と結婚は出来ませんよ」

「ふっ、そうだね。確かに男は丈夫な方が良いよ。家の旦那はパンは焼けるけど、薪割りは私がしてるくらいだからね」


「それは言われると、辛いなぁ。いつも感謝してるぜ、母ちゃん。愛してるぅ~」

「ふふっ、どうだかねぇ」

「まあ。女将さん、顔が赤いわ。仲良しなんだから」

「もう、良いって。さあ、仕事するよ!」


 和やかな声はいつも楽しそうだ。

 客もつられて微笑むほどに。


 王子の風情だったルギウスのことは忘れられたか、逆に避けられているのか、サフランの思い人は聞くところでは正反対のようだ。


「なんか酷くない? 少しは僕のこと好きだと思ったのに。筋肉なんて僕には付かないよ」

「まあまあ、ご主人様。ただの世間話ですよ。付き合ってる訳でもないんですし」


「そ、そうだけどさ。あ~あ」

(今日も可愛いなぁ、ルギウス様は)



 サフランの恋をルギウスとアルデが支援するのか、見守るのか、それとも邪魔するのかはまだ分からない。


 生き生きとしたサフランは、今日も元気を振りまいていた。


 


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