4月7日15時 図書館から図書館へ
長らくお世話になったデータベース席の手じまいを進める。まずは、印刷キューに送っていた新聞記事のプリントアウトだ。モノクロなので、一枚十円。最初に出てきた小記事「娘の
印刷を続けていると、ふと、何かを忘れているような、霞がかった何かが脳の片隅を占拠しているような気分に襲われた。
「新川の古地図に始まり、巫女装束や明治時代の習俗も調べ、それから札幌の史跡を巡って、古新聞まで漁った。そして、ついに名前と所属を探し当てて、同級生の話も発掘。思えば随分と調べたものだ。あとは仮称『ウルフカット』だけだな」
内なる自分が忘れ物を届けてくれる。いや、それは別に気にしていない。なぜなら仮称「ウルフカット」はあの女の正体を探るための手掛かりのひとつであって、諸々の記載からあの女が「
「いいや、これは重要な問題だ。だから今のお前は違和感を覚えて印刷の手を止めているんだ」
内なる自分が語り掛けてくる。……そうかなあ。今更髪型にこだわっても仕方ないような気がするが。
まあいい、考えるだけならタダなのだ。とりあえず考えてみよう。
「ウルフカット」について調べたことを思い出す。「NDL Ngram Viewer」(※11-4)は1971年が「ウルフカット」という単語の初出だと言っていた。……ああ、違う。「ウルフカット」自体の情報は関係ない。そうだ、「黒髪と美女の日本史」(※9-3)で、少なくとも大正までは女性のショートカットすら社会的にありえなかったことが分かったのだったか。
しかし、あの女が新興宗教家の例に漏れずエキセントリックな振る舞いをしていた可能性は大いにある。「女の命・当時の社会性の要である髪を切り落として、新たな生を得る」などという、ありがちな世迷い事でもほざいていたのではないだろうか。
「本当にそう思うか。答えは既にお前の手の中にあるぞ」
イマジナリー存在のくせして何を偉そうに。私は内なる自分に腹を立てつつも、再び考えを巡らせた。手の中、手の中……と、これまで見てきたものを思い出していく。そして最後に、文字通り手中に収めたままの紙の束に目をやった。
……ああ、これは確かに「ありがちな世迷い事」で髪を切ったわけではなさそうだ。いや、しかし、これでは……。
うすぼんやりとした違和感が実像を結び始めたのを感じつつ、時計を見る。時刻はまだ15時にぎりぎり届かないぐらいだ。今日は平日だから、まだ充分に時間は残されている。あそこの閉館時間は平日の場合、夜の8時だ。朝から移動続きで疲労困憊もいいところではあるが、じわりと近づいてきたこの暗い予感を家に持ち帰りたくない。これがもし当たっていれば、あの女の隠しごとは「
私は、輪郭を持ちつつある靄の正体を確かめるべく、備え付けの専用PCから「札幌市図書館 蔵書検索・予約システム」(※9-3)を手繰った。
当然、使用するのは「いろいろ検索」だ。いつか見たように、これは「かんたん検索」には荷が重かろう。
書名や件名の入力欄に、先程拾ったいくつかの心当たりを放り込んでいく。……レスポンスタイムも含め、しばらくと言うには少々長い時間ののち、私は二冊の本に目星をつけた。一冊は昨日も見たタイトルの「女性神職の近代」(※23-1)、そしてもう一冊は「代谷神社 百二十年の歩み」(※23-2)だ。
後者については出版自体されていなくても無理はないかと思っていたが、試しに「代谷」で蔵書検索してみたところ出てきた。やはり図書館には森羅万象が収められているのかもしれない。昨日時点では「代谷神社」という名前を知らなかったので分からなかったが、実は昨日眺めていたNDC17「神道」の棚の中にあったらしい。
こうして、私は札幌市図書・情報館を後にし、昨日ぶりに札幌市中央図書館へと急行した。目指すは「郷土の森」だ。あそこに行けば、ようやくこの一連の厄介ごとに片が付く……とまでは言わないが、少なくとも終息の目途はつけられるだろう。
札幌市電を降り、足早に中央図書館へと入り込む。あの女――「
必要な資料の目星は既についている。昨日見た「神道大系 神社編 北海道」(※13-2)と、それから先刻「札幌市図書館 蔵書検索・予約システム」で引っ掛けた二冊、そして鍵であると目される「札幌の寺院・神社」(※13-1)だ。
まずは一階のカウンターに申し出て、書庫に収められていた「女性神職の近代」を受け取った。カウンターを離れて「女性神職の近代」をパラパラとめくる。仮説が正しいか、そして、この本が使えるかを確かめるためだ。ざっと全容を一望すると、意に沿う記載が確認できた。図書・情報館から付き纏う霞が、また一段薄まっていくのを感じる。
とりあえず確認はこれだけに留め、「女性神職の近代」を小脇に抱えて残りの本の確保に向かう。現在の時刻は16時。いくら中央図書館が平日20時まで空いているといっても、本当に20時までいたら家に着くころには21時を回ってしまう。札幌に住まう善良な無職として、可能な限り深夜徘徊は避けたいところだ。よって、今は熟読のターンではない。
流れるように階段を上り、「郷土の森」へ侵入する。広い森ではあるが、一度来ているからか、NDC17「神道」の棚までスムーズに辿り着くことができた。
次の一冊、「代谷神社 百二十年の歩み」には、「札幌の寺院・神社」と同じような内容に加えて、縁者の挨拶やら祝辞だったり縁起の原文だったりが記載されていることが見て取れた。情報としてはほとんど既出だが、これが説の補強に寄与しないかと言えばそんなことはない。使い所を考える必要はあるがきっと役に立つだろう。薄くて軽く、借りて帰るのに便利なのも高得点だ。
森の奥へ一歩分け入り、例の分厚い古典籍「神道大系 神社編 北海道」を引き抜こうとして気づく。背表紙にあるのは「KR172」の請求記号と色褪せた「禁帯出」のシール。目論見が外れてしまった。これでは
図書館の複写サービスにはいろいろきまりがあるが、大雑把に言って、1冊につきその半分までの内容をひとり1部だけコピーできることになっている。場所によっては「どの本の何ページから何ページまでをコピーするか」といった具合に複写申込みが必要なことがあるものの、この札幌市中央図書館は申込み無しで複写させてくれるようだ。
図書館協会がどんなガイドラインを出しているかは知らないが、まあ、カウンターの目の前で10円単位のせせこましい不正を働く輩はいないだろうし、このような運用でもよいのだろう。利用者としては、面倒な申請の手間を省けるのなら断然その方がありがたい。ありがとう、札幌市中央図書館。
そうこう考えているうちに、必要な分の複写が終わった。コピー機から吐き出されたのは「明治期日記・調書類」に分類されるいくつかの文書だ。このカテゴリであれば、内容はどのような物でも構わない。よって、目次だけ見てそれらしい題名のものをピックアップさせてもらった。おつりの返却口に何も出てこないのを確認し、嘆息する。観光、古新聞の印刷、そして今回のコピー。今日一日で随分と小銭を消費してしまった。印刷もコピーも一枚十円とは言え、これだけ集まると無職には結構な痛手である。
ともあれ、これで必要なものは大体揃った。
あとは、……そうだな。せっかくだから「札幌文庫」シリーズの「明治のお話」(※12-3)、それから「札幌の女学生」(※21-1)も借りていこうか。ついでに心理学の棚からカルト解説本の何かしらと……あとは「図解巫女」(※10-1)も持っていこう。この後の段取りを考えるに、この辺はあって困ることはないだろう。
札幌の図書館では各館で合計10冊、それぞれ2週間までの貸出が認められている。残る「札幌の寺院・神社」と、既に手にしている「女性神職の近代」、「代谷神社 百二十年の歩み」を合わせてもまだ7冊なので、鞄の空きにさえ目を瞑ればまだまだ余裕がある。
私は立ち並ぶ本の森から新たに5冊の本を引き抜き、貸出カウンターへと持って行った。時刻は17時30分。帰るにはいい時間だ。まだ日があるうちに退散しよう。
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