4月7日13時 新聞を漁ろう
この長かった調査にもようやく一段落つきそうだ。これから行うのは明治27年7月末から明治29年末までの新聞記事検索である。
今も私の後方で浮いている謎の女だが、記憶の断絶状況から言っておそらくこの2年半の間に亡くなっている。
見た目が20代なのでよもや寿命ではないだろう。影もなく鏡にも映らない彼女だが、初めて人相書きを見せたときに全く驚いた様子がなかった。街の様子には割合素直に驚いたり興味を示したりしている以上、私が描いた女の姿との身体的なギャップを感じていなかったのだろうと推察できる。つまり、享年も20代であろうということだ。
若くして亡くなる理由は事故・事件・病死ぐらいしか思いつかないが、そのうち事故・事件についてはそれ自体が記事として載っていることが多い。病死については記事化されているとは言い難いが、女の中肉中背具合から言ってすぐに死んでしまうほどの不健康には見えない。むしろ食の西洋化が進んでいない明治時代であれば十分に体格の良い方なのではないだろうか。見たところ顔色だってそこまで悪くないし、何より方々を動き回るアクティブさを備えている。病人だったとは思えない。
もし仮に寿命や病死等の自然死だったとして、それでも有名人の場合は記事になり得る。一般人が亡くなった場合であっても、お悔やみ欄に掲載されている可能性はあるだろう。そもそもお悔やみ欄という文化が明治時代の新聞にあったかはわからないが、それは当時の紙面を見ればわかることだ。
兎にも角にもこの箱にキーワードを投げ入れて、明治中期の新聞記事の雰囲気を掴んでいこう。私は既に期間を入力済みの「パソコンで読む北海日日新聞」(※18-1)の「検索キーワード」欄にカーソルを合わせた。
さて、何を入れようか。パッと思いつくのは「死亡」「死去」あたりだが……、まあ、入れるだけ入れてみよう。私はあまり期待せずに「死亡|死去」と入力し、OR検索した。これにより、「パソコンで読む北海日日新聞」は「死亡」か「死去」の少なくともどちらかを含む記事を検索してくれる。
検索性能がいいのか、それとも期間を絞ったのが功を奏したのかは分からないが、「パソコンで読む北海日日新聞」はほとんどレスポンスタイムを感じさせずに結果を吐き出した。その数95件。このぐらいであれば全件目視確認が視野に入るな、などと思いながら検索結果一覧の一番上の記事をクリックする。
引っかかったのは、「北海日日新聞」明治27年7月26日の3面記事(※19-1)だ。「
「文語体だ。普段我々が話しているような文章を書く『言文一致』を掲げた坪内逍遥の『小説神髄』は明治18年出版。彼に薫陶を受けた二葉亭四迷はその『言文一致』を用いて『浮雲』を明治20年に出している」
ベタ打ちの準古文を100記事近く読む手間に戦慄していると、内なる自分が眼鏡のブリッジを中指で押さえながら解説を加えてきた。久しぶりだな、元気にしていたか。
「けれども、それがようやく広まってきたと言えるのは、やはり明治38年の夏目漱石『吾輩は猫である』あたりだ。新聞のような報道系の媒体だともっと波及が遅かったかもしれない」
内なる眼鏡は私の問いかけに応えず、滔々と蘊蓄を垂れ流した。彼奴によると、明治27年はまだまだ文語体の範疇でも全くおかしくないらしい。随分詳しいな、お前。この検索結果、全部現代語訳してくれないか。
「……」
内なる眼鏡は押し黙ったまま闇の中へ消えていった。何しに来たんだ、役立たずめ。
知識をひけらかすだけひけらかして消えた眼鏡の行く末を呪い、再度新聞に意識を向ける。歴史的仮名遣いな上に変体仮名混じりの文語体だ。歴史的仮名遣いは義務教育の範疇だし、変体仮名は一昨日の古い教科書のくだりで一通り見たので読めなくはない。
草書ではなくて活字なのが大きく、文字として認識できている。語彙だってこれぐらい現代日本語に近ければどうとでもなる。ただ、一文が長い上に句読点が全くなくて、どこで区切っていいかわからないのが一番痛い。昔の人はこれをどうやって読んでいたんだ。どう考えても読みづらいだろう。
黙々と検索結果一覧を上から読み進めていくが、やはり現代文を読むようには捗らない。紙面にみっちりと敷き詰められた活字の上でつるつると目が滑り、文意の把握が阻害される。
せっかくだから推定明治育ちの女に読み方のコツでも聞いてみるか。そんな思い付きを実行すべく、ストレッチを装って後ろに顔を向ける。図書・情報館は非常に開放的な空間な上に、今いるデータベース席は司書のいるリサーチカウンターに隣接しているのだ。不審な動きを見咎められるとどうなってしまうか分からない。自然な動作を心掛けよう。
そんな具合に焼け石へ水を掛けながら振り向くと、相変わらず背後で浮いていた女は、顎に手を当てて逆さまになっていた。逆さに宙づりのまま、無表情でモニタに映る紙面を見つめている。
浮遊する女のすぐ後ろに、リサーチカウンターで仕事中の司書が見える。思っていたよりずっと近い。これはどう考えても謎の幽霊に声を掛けられる状況ではない。私はごく自然な体の運びを意識してPCモニタへと向き合い直した。
その大根役者めいた動きが視界に入ったのだろうか、逆さ女はこちらにパッと視線を移すと、反転、そのまま隣へと移動してきた。
彼女はモニタを一瞥してから首を振り、そして、出入口を指さした。
「飽きましたか」
と、スマートフォンのメモ帳に書きつけて指で示すと、彼女は頷いた。
観光すると言って外に出たのに、今や図書館のデータベースに張り付いているのだから、飽きるのもむべなるかな。
しかし、私は知っている。この女は、今、嘘をついた。彼女は別に飽きたわけではない。そして、これまでにも少なくない数の嘘をついている。
朝から
自宅から北海道神宮までの移動時間で、私はこの依頼人のことを考えていた。依頼ではなく、依頼人自体のことだ。
「自分は幽霊だ。生前の記憶が曖昧なのだが、とにかく心残りがあることだけは確かである。私の正体を探り、無念を突き止めてほしい」というのが、この女の依頼だった。
何の手掛かりもない中でのスタートだったので、当初は五里霧中を彷徨うかに思われた。しかし振り返ってみると、調査の初めからここまでで私の手が止まることはほとんどなかった。これは私が能ある無職だったからではなく、ひとえに依頼人からのほのめかしや答え合わせがあったからだ。
巫女装束の幽霊は、私が調査の手掛かりを見出せないと悟るや否や、衣類や地図を手掛かりとして提供して自身の時代性を示した。その動きは、どう考えてもヒントを与えたがるクイズの出題者のそれだ。大体、こんなに都合よくポンポンと記憶を取り戻せるなら病院も苦労しないだろう。世の記憶障害に悩まされる方々へ謝るべきだ。詐病はよくない。
幽霊は自身の情報を持ちながら、それを隠していた。にもかかわらず、私に突き止めさせたがっていた。動機はわからないが、とにかくそういった行動をとっている。
とはいえ、その姿勢は現在まで続いていない。札幌観光はもちろん、赤れんが庁舎で「図書館に行く」と告げたときも、彼女は渋面を作った。依頼者としても、出題者としても、その思惑にそぐわない表情だ。依頼に沿って、あるいはヒントに従って、私は今も幽霊の正体を探っている。しかし、その女の態度はそれを阻害するものだ。
飽きたかと問えば頷いて見せたが、きっとそんなことはない。彼女は私をここから引き離したいのだ。これもまた、動機はわからない。
しかし、動機はわからなくとも、その振る舞いについては思い当たることがあった。何かを隠したまま人に頼みごとをし、それを途中で切り上げさせようとする人間の思惑を考えたとき、簡単に思いつくものは2つある。
ひとつは、その時点で本当の目的が達された場合だ。例えば、本当に知りたいことが他にあったとしても、全く関係のない事柄の調査を依頼しては答えが得られない。そのため、ダミーの依頼は本来の知りたいことと近しいものであるはずだ。であれば、本来の目的が果たされた時点で調査を切り上げさせなければ、その先まで到達してしまう可能性がある。だからそこで調査を打ち切る。
もうひとつは、本当の目的を達成できていなくとも、隠しごとに気づかれかねない状況になった場合だ。この場合、一つ目と違って、嘘でも調査完了の宣言をしなかったことへの説明もつく。あわよくば軌道修正して本来の目標に向かわせたいことだろう。だから、おそらく現状はこちらに近いものなのだと考えている。
……いや、こんな面倒な真似をしてまで隠したいものがあるならば、これまでの調査結果を踏まえて勝手に本来の目標を気取られないよう監視することも考えられるか。その場合、どちらにしろ私は一生あの幽霊の監視下だ。彼女が本当の目的や隠しごとにどれだけの情熱を燃やしているかは分からないが、一生監視モードに繋がらない程度の熱量であることを切に願う。
私はスマートフォンの中のスプレッドシートに目を落とした。中身は碌に読まず、ざっと目を滑らせる。
①1877年(明治20年)に完成した「新川」を知っている。
②1896年(明治29年)にはあり、1916年(大正7年)には無くなった「清川」南の沼を知っている。
③1896年(明治29年)にはあり、1961~1966年(昭和36年~41年)に無くなった「小樽内川」を知っている。
④1887年(明治20年、「教科入門」(※8-12)の出版年)の、変体仮名交じりの小学生用教科書に見覚えがある。
⑤1899年(明治32年)から流行した「行燈袴」を知らず、
⑥1912~1926年(大正時代)より前には文化的にあり得なかった、仮称「ウルフカット」をしている。
⑦1887~1896年(明治20年代)以降に流行した「赤ゲット」を身に着けている。
⑧1868年(明治時代)以後の巫女は公的には排斥されていたが、服装や神楽を見るに、推定巫女。
⑨1986年(昭和61年、「札幌の寺院・神社」(※12-4)の出版年)時点で存在した札幌の神社の名前について、見覚えがない。
⑩1868年(明治時代)以後の神社関連の文書について、見覚えがない。
⑪1894年7月25日~1895年(明治27~28年)の「日清戦争」を知っているが、1904~1905年(明治37~38年)の「日露戦争」を知らない。
⑫1888~1896年(明治21~29年)にあった「赤れんが庁舎」の「八角塔」を知っている。
このメモ書きは、これまでの調査で判明した順に書きつけている。あの女が「飽きた」と言ったのは今日に限ったことではなく、昨日の札幌市中央図書館でもそういった態度を見せていた。このメモの中では、⑨と⑩の間のタイミングである。
彼女の転身の契機はここだ。キーはあの本――「札幌の寺院・神社」にある。あの女は依頼によって私を動かし、「札幌の寺院・神社」を開かせた。そして何らかの目的を達したか、あるいは、隠していたものへと繋がりかねないと判断し、調査への協力姿勢を変えた。昨日見た限りそれがどういうものなのかはまだ分からないが、とにかくそれが鍵であると、私はそう考えていた。
前置きが長くなったが、私にも今日一日隠していた目的がある。それを今度こそ表明しよう。
この女の依頼には、隠された目的がある。既に私の指先はそこに届きかけているようだ。私はそれを暴き、逆に巫女装束の幽霊を脅してやるのだ。「私に取り憑くのをやめろ。さもなくばお前の隠しごとを広く世に知らしめてやる」と。
私は現代を生きる一般無職だ。霊魂を鎮める真っ当な儀式も、妖魔を祓う怪しげな術も、当然知らない。お祓いに行くだけの信心も、あるいは金銭も持ち合わせていない。ならばどうするのかという問いに対する答えがここにある。人には人の解決法。交換条件――脅迫だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます