救済の境界線
齊藤 車
救済の境界線
昼休みの隙を見て、工事現場の資材置き場にターゲットを引っ張ってきた。
木下達也、二十六歳。負債額は百三十万。
「ウチの社長から今日、返さないようだったら指を折ってこいと言われている」
俺は煙草に火をつける。
作業着姿の木下達也は、見知らぬ人間に無理やり抱きかかえられたチワワのように小刻みに震えている。
「……指は勘弁してください、あと一週間……いや、あと三日待ってください。三日後に必ず返します」
木下達也の顔に煙を吹きかける。
「俺は、今日、金を受け取って持ってこいと言われている。俺だって初対面の人間の指なんて折りたくはない」
木下達也は財布を取り出し、一万円札を四枚差し出してきた。
「今日の日当が出るので、夜まで待っていただければ五万五千円お渡しできます。銀行にあと二十万くらいあります。それが俺の全財産です」
差し出された手を無視して煙草を深く吸い込んだ。
「社長、受け取ってきました。二十五万五千円です。お納めください」
突然一人芝居を始めた俺に、木下達也は怪訝そうな顔をした。
「ああ、お帰り。遅かったね。ところで負債額はいくらだったね」
「はい、社長。百三十万円です」
「指は折って来たのかな?」
「いえ、社長。残りは三日後に必ず返すと言われまして……」
火のついた煙草を、木下達也の顔のすぐ横に放り投げる。
「分かった、よくやった。と、褒めてくれると思うか?」
もともと顔色の悪かった木下達也の顔色がさらに悪くなった。木下達也の目から涙がこぼれ落ちる。
「必ず、三日後には……。それに指を折られたら返せるものも返せなくなっちゃいます」
もう一本煙草を出そうとしたが、これ以上時間をかけるのが馬鹿らしくなってやめた。
「よし分かった。三日待ってやる。次はもうないぞ」
「……はい、ありがとうございます」
三日後、待ち合わせの路地裏に木下達也は少し遅れてやってきた。
無言で札束の入った茶封筒を渡された。厚さで分かる。足りていない。
「七十万あります」
「六十万ありません」
緊張感のある張り詰めた時間が流れた。もし反対の立場だったら漏らしてしまいそうだ。
俺はサングラス越しにじっと木下達也を観察した。彼の額には冷や汗が浮かび、呼吸が早くなっているのが分かる。
「す、すみません……本当に。でも、三日間必死にかき集めたんです。……でも、どうしてもこれしか用意できませんでした……」
何も言わず、たっぷり焦らした後にポケットから手を出した。
包帯を巻かれている右手の小指を見せると、木下達也が目を見開いた。
「お前の代わりに折られた指だ」
「そ、そんな……」
「今日、全額受け取ってこれなかったら次は親指を折るぞと言われてから俺はここに来ている。三日前の俺の慈悲の結果がこれだ」
木下達也の目が潤み、唇が震えている。
「ち、違います……違いますよ……三日間、死ぬ気で集めました……でも、足りないんです……」
煙草を咥え、ライターで火を点けようとするが、左手ではうまく行かない。
「死ぬ気で集めたかどうかなんて、関係ない。俺の小指がお前のせいで折られ、またお前のせいで親指が折られそうになっている事実はどうする?」
木下達也の膝が崩れ、アスファルトに手をついた。
「……どうすれば……どうすればいいんですか!」
「俺のセリフだ」
煙草を諦めライターをしまう。
「あと三日で六十万用意します」
「馬鹿言え」
咥えた煙草を吐き捨てる。
「伸ばしてやった期限が今だ。それと俺に対する慰謝料は? 治療費は? 俺の指は折られ損か?」
木下達也は、アスファルトに伏したまま肩を震わせていた。
「……ませんよ」
「何だ?」
「知りませんよ、指のことは!」
木下達也が、地面に拳を叩きつけた。
「悪いのは俺ですよ。でも、あんたの指が折れたのは、あんたのボスのせいだろ? あんたらの勝手なルールで折る必要のない指を自分で折ったんだろ? それを、なんで俺が責任取らなきゃいけないんだよ!」
木下達也が充血した目で俺を見上げている。
これ以上やっても意味はなさそうだ。
「分かった。あと三日待ってやる」
木下達也と別れた後、折れたように見せかけていた小指の包帯をほどいて一服した。
じっくりと一本吸いつくしてから電話をかける。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
音声を無視して番号入力を何度か繰り返す。
俺のIDを入力し終えるとオペレーターにつながった。
「木下達也の判定結果は?」
録音アナウンスと区別がつかない抑揚のない女の声で尋ねられる。
「不可だ」
「木下達也、不可で登録します。よろしいですね?」
「ああ、不可だ」
「判定の変更には時間制限が発生します。十分経過後はいかなる理由があろうと変更できません」
通話を切った。
社会的弱者救済プロジェクトの仕分け人。それが俺の仕事だった。
救済候補の人物に接触し、極限まで追い詰めてその人物の本性を確認する。それを判断した上で救済するかしないかを判断する。
『可』になればめでたく税金を使った救済措置を受けられるが、『不可』になれば当然受けられない。
不要な人間には血税を投入しないというお偉方の知恵が光るシステムだ。不可になった者がその後どうなるかは俺は知らない。知りたくもない。
十分後、専用端末にメッセージが届いた。
次の判定対象の個人情報、交友関係などの情報が事細かに送られてくる。
また、多重債務の案件だ。各地に点在する仕分け人にはランダムで仕事が割り当てられているはずなのだが、どうにも偏りを感じてしまう。
次は『可』にかなう人物だろうか?
このままだと、俺の人間不信に磨きがかかり過ぎて自分が自分でなくなってしまいそうだ。
救済の境界線 齊藤 車 @kuruma_saito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます