第34話 ハニートラップに御用心!!
同時刻、銀座、会員制喫茶店。
喫茶店といっても、そこは薄暗い照明にジャズが流れるバーラウンジのような雰囲気だった。
昼間の表情はすっかり消え、グラスの中で氷が静かに音を立てていた。
シャチ女はロックグラスを手にしながら、控えめに微笑んでいた。
「こんな雰囲気の店、初めてです」
「だろ? ここ、知る人ぞ知る隠れ家なんだよ」
向かいに座る“まおう”は自信たっぷりの笑みを浮かべていた。
シャツの胸元はやや開き気味で、どこか油断のある目。
自分の世界に酔っている男の典型だった。
「こんな可愛い子と飲めるなんて、今日はツイてるわ」
そう言いながら、まおうはグラス越しに彼女を見つめた。
シャチ女は一瞬だけ目を伏せ、そして、ふっと微笑んだ。
「……このあと、どうします?」
「……ホテル、行こうか」
「……はい」
誘いはあっけなく成立した。
まおうは立ち上がり、伝票をレジへと持っていった。
その背を見送りながら、シャチ女は胸元のバッジをさりげなく確認した。
──GPS、作動中。
その頃、少し離れた通りを走る黒のワンボックスカー。
モニターに表示された地図上の点が、ゆっくりと動き始めていた。
「動いたな」
ハンドルを握る絢瀬が低く呟いた。
後部座席ではあんこと園田がそれぞれの装備を最終チェックしていた。
カメラマンの記者も準備を終えて、カバンを手にしていた。
「……行くぞ」
ホテルの入り口は都会の雑踏に紛れた目立たないビジネスホテルだった。
フロントには無人機が置かれ、チェックインは完全無人。
犯罪的な行為にも都合が良い、というのが、この界隈の共通認識だった。
「501号室……か」
園田がスマホのGPSから割り出した位置を確認した。
絢瀬が手早く、ホテルの裏口から侵入するためのピッキングツールを取り出し、鍵穴に差し込んだ。
クリック音一つで裏口は開き、音もなく彼らはホテルのバックヤードへと滑り込んだ。
廊下は静かで、どこか湿った匂いが漂っていた。
照明は薄暗く、人の気配もない。
管理の行き届いていない建物特有の雰囲気。
「カメラ……オフライン。こっちが仕込んだウイルス、ちゃんと効いてます」
あんこが囁きながら、小型のタブレットを見せた。
監視カメラの映像はすでに黒く切断されていた。
廊下を静かに進む彼らの足音は、まるで幽霊のように壁に吸い込まれていった。
そうして、501号室の前にたどり着いた。
絢瀬が手をあげ、三本の指を立てた──3、2、1。
──ドンッ!
ドアが蹴破られ、全員一気に突入。
「動くな!! 両手を見せろ!!」
あんこが叫んだ。
同時に、園田は銃を構え、部屋の隅々まで視線を走らせた。
記者も背後からカメラを構え、フラッシュが瞬いた。
部屋の奥、ベッドに腰かけていたシャチ女は驚いたふりをし、すぐに床へ伏せた。
まおうは目を見開いたまま凍りつき、パンツ一枚でベッドの端に立っていた。
「……なんだよ、これ……」
彼がそう言った直後、絢瀬が無言で部屋の照明を点けた。
「よし、バッチリいただきました」
フラッシュの連続音が響く中、記者の男は執拗にシャッターを切っていた。
まおうの半裸姿、シャチ女の冷めた目、そのすべてがフレームの中に収まっていった。
「逃がすかよ!」
まおうが突然ベッドから飛び上がり、扉の方へと走り出そうとした瞬間、園田が足払いをかけ、続けざまにあんこが背中に馬乗りになって押さえつけた。
「痛っ……っ、な、なんなんだよお前ら……っ!」
「写真を見てわかんないなら、頭に問題あるよ、アンタ」
と絢瀬がニヤリと笑った。
その横で記者はメモ帳を取り出し、淡々と質問を投げかけた。
「まおうさん、今の女性が未成年だと知っていて誘いましたか?」
「ち、違う! 知らなかった、マジで!年齢なんて、言ってなかっただろ!」
「いえ、最初にお会いしたときに“高校二年生です”って言いましたけど?」
横からすかさず、シャチ女が冷静に、しかし鋭く言い放った。
まおうは目を見開いたまま、言葉を失った。
数秒の沈黙のあと、力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。
「……やっちまった、マジで……」
彼は震える声で、ぽつりぽつりと自分がこれまでに何をしてきたのか、何人と関係を持ったか、どのSNSアカウントで連絡していたかなどを語り始めた。
あんこはそれを傍らで聞きながら、腕を組み、口角を上げた。
「へぇ~、随分と派手にやってたんですね。
気づいてないだけで、もう何人か訴えようとしてるんじゃないですか?
ま、今さら反省しても遅いですけど…」
まおうの顔がさらに青ざめていった。
やがて記者は十分な証言をメモし終え、タブレットに保存した写真を確認して立ち上がった。
「いやぁ……ご協力ありがとうございます。これは近々、大きく出ますよ」
そう言って記者は軽く頭を下げ、満足そうに部屋を後にした。
扉が閉まる音とともに、室内には重たい沈黙が戻ってきた。
「あとは後始末だな」
絢瀬がゆっくりと立ち上がり、シャツの袖をまくりながら笑った。
「よーし、こいつ、深夜中、出られないように縛っとかないとな」
まおうに向かって歩き出すその足取りは、まるで獲物にとどめを刺す狩人のようだった。
だが、ふと、あんこは首をかしげた。
「……あれ? 園田は?」
あたりを見渡すが、彼女の姿はどこにもなかった。
「……いつの間に」
あんこの胸に、嫌な予感が、静かに、ただ確実に渦巻いた。
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