第26話 あの日家出した少女たちの心を、私たちは知らない
波の音がリズムよく耳に届き、塩のにおいが風とともに鼻をくすぐった。
あんこは少し震えながらも、言葉をつむいだ。
「……そのいじめがどんどんエスカレートしていって……。暴力的なことも、あるようになったんです」
夜街は横顔のまま、無言で聞いていた。
「それで……学校に行けなくなって。不登校になっちゃって……」
あんこの目には、過去の教室が思い浮かんだ。
机の上の落書き、押し付けられた靴跡、耳に焼きついた笑い声、いじめがないかのように振る舞う先生。
そうして、その教室から逃げて、閉じ籠った明かりのついてない真っ暗な部屋。
「母は、そんな私を心配して……守ろうとして、それですごい過保護になったんです……
だから、その母から逃げるために家出して、それからなんやかんやあって、いまに至ってます。」
一拍の間が空いた。
その話を全て聞き終えたあと、夜街はただ、
「へぇ……」
とだけ呟いた。
「いや、なんか……気の利いたことないんかい」
あんこは思わず内心でつっこんだ。
だが、同時に、変に涙ぐまれてもそれはそれでうっとうしいな、とも思っていた。
波の音が、幾分か流れたあと――
夜街が口を開いた。
「ねぇ、ちゃんと、復讐したの?」
その言葉は、鋭く、あんこの胸を刺した。
「……え? 復讐……?」
聞き間違えかと、思わず聞き返した。
「いや、ムカつくやつ。復讐しなきゃスッキリしないじゃん?」
さらりと言われて、あんこは目をぱちくりさせた。
「いやいやいや……私も悪いところ、あったから……」
その言葉を遮るように、夜街は鋭く言い放った。
「そういうの、関係ないから。誰がムカつくの?」
その問いに、あんこはしばらく口ごもり、やがて小さく呟いた。
「……いじめてきた、同級生……」
その瞬間、夜街はすっと立ち上がった。
「よし! それじゃあ、殺りにいくぞ!」
「…………は?」
あんこは絶句した。
それをよそに、夜街はやたら軽快な足取りで車へ戻りつつ、言い放った。
「復讐なんて、嫌いなやつが不幸になるんだから、殺り得なのよ!」
そういったかと思ったら、あんこの方を向いてニヤリと笑い、
「いくよ!」
そういって、ポケットからスマホを取り出すと、連絡先を開き、"園田"の名を選んで、着信ボタンを押した。
「……もしもし園田? 今から、予定通り、復讐にいくから、例のブツ、用意できてる??
オッケー!いまから事務所に連絡したあと、そっち向かうから、準備よろしくね~☆」
え?予定通り?
この流れ、予想されてたの?
園田もこの計画に乗ってたのかよ!
ていうか、例のブツってなに!?
さっきまで、あんこを癒してくれていた波の音が遠のいていくような気がした。
あんこは、夜の海に向かって、叫びたかった。
そして、その翌日の夜――。
月は雲に隠れ、街灯の明かりが断続的に途切れる静かな住宅街。
その中の、少し年季の入った二棟のマンション。
通りを挟んで向かい合うそのビルの一つ、その五階の外廊下に、二つの影があった。
夜街と、あんこだった。
二人は黒ずくめの服に身を包み、目元だけが開いた黒いマスクを被っていた。
まるで悪ふざけに見えなくもないが、手にしている書類の内容は、どこまでも本気だった。
それは、いじめてきた同級生たちのリストだった。
名簿には、名前・生年月日・現在の住所・職業・勤務先・生活習慣までびっしりと書かれていた。
これを1日で集めてくる暗殺組織のスタッフ、まるで、デスノートのジェバンニが一晩でやってくれました並みのスゴワザだった。
「……仕事、早すぎでしょ……」
あんこは思わずつぶやいた。
「うちの組織、できる子ばっかだから」
と夜街が軽く返した。
二人の視線の先――向かいのマンションの一室に、カーテン越しの女の影がぼんやりと見えていた。
スマホか何かをいじっているようだった。
夜街は指をさし、「あんこ、あいつ?」と小声で訊ねた。
あんこは無言でうなずいた。喉が詰まりそうで、言葉が出なかった。
夜街は頷き、「よし」と短く言った。
それから――動き出した。
夜街はあらかじめ用意していたマンションのマスターキーを得意気に取り出した。
警備会社のデータベースに侵入して、管理会社から発行された電子キーコードをコピーしたのだ。
まぁ、夜街じゃなくて、スタッフが、だが。
エントランスのオートロックはすんなり開いた。
まるで自宅に帰るかのような自然さで。
中に入ると、非常階段から五階まで防犯カメラの死角のみを踏みながら、駆け上がった。
目的の部屋のドア前に立つと、夜街はポケットから極薄のピッキングシートを取り出した。
これは細くて強度のある炭素繊維製で、鍵穴に差し込み、器用に指先で捻って操作を加えた。
カチャリ。
ドアはわずかに軋む音を立てて開いた。
ふたりは音を殺しながら、暗い部屋の中へと、吸い込まれるように消えていった――。
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