お地蔵さん

仁城 琳

お地蔵さん

蝉の大合唱が聞こえる。僕はおばあちゃんが家を出る時に首にかけてくれたタオルで汗を拭った。ふと顔を上げるとパッチリとお地蔵さんと目が合った。慌ててサッと目線を逸らして走り抜ける。毎年夏休みになるとおばあちゃんの家に遊びに行く。おばあちゃんと一緒に散歩に行くとおばあちゃんはいつもこのお地蔵さんに挨拶をする。

「春くん。春くんもお地蔵さんにご挨拶し。」

「うん…。」

本当は近付くのも怖かった。近付いておばあちゃんの横にしゃがみこむとお地蔵さんはこちらをじっと見ているようで怖くなって思わず目を瞑った。だけど、もし。もしも目を閉じている間にお地蔵さんが動いたら。次に目を開けた時にお地蔵さんが僕の顔を覗き込んでいた。なんて想像してしまった僕は慌てて目を開いた。お地蔵さんは相変わらずこちらを見ているが動いているなんて事はなかった。だけどどうしても怖くてお地蔵さんの足元を見つめて手を合わせる。

「春くん、ご挨拶できたか。」

「…うん。」

「そぉか。春くん、お地蔵さんのとこ来ると元気なくなるなぁ。」

「そっそんなことないよ!」

「ははぁ。春くんは、まだお地蔵さん怖いんか。」

「怖くなんかないよ!」

「そうか、そうか。」

おばあちゃんは笑いながら僕の頭を撫でた。

「せやけどなぁ。お地蔵さんはいつも見てくれてるんやで。春くんの事も、春くんのママとパパとおばあちゃんの事も。」

「や、やめてよ…。見てくれてるなんて。」

「春くんは怖がりやなぁ。お地蔵さんもわろうてる。」

おばあちゃんは僕の手を握ってお地蔵さんから離れていく。おばあちゃんの事は大好きだ。おばあちゃんの家に来るのも毎年楽しみだ。だけどお地蔵さんだけは本当に苦手だった。

ここはおばあちゃんみたいなお年寄りばかりで僕と同じ年の子供はいなかった。時々僕みたいに遊びに来た子がいるくらい。

「あらあ、春くんやないの。おばあちゃんのとこに遊びに来たん?」

「あ、おばちゃん、こんにちは。うん、おばあちゃんの家に泊まってるんだ。」

「そうかぁ。夏休みやねぇ。おばちゃんら春くん達が来たら夏休みやなぁて元気出るんよ。暑いから気を付けて遊ぶんよ。」

「うん、ありがとうおばちゃん。」

ここの人達はみんな優しい。僕の住んでいるところでは家族以外の大人に声を掛けられることなんてないから新鮮だ。ママは都会なんてそんなものよ、って言うし、パパも知らない人に声を掛けられても答えちゃダメだぞ、って言うけど、ここにいる時はママもパパも村の人が僕を大切にしてくれるのを嬉しそうにしている。

お気に入りの遊び場に着いた。お地蔵さんの前を通らないと行けないのが困るが、ここは虫もいっぱいいて虫取りができるし、綺麗な川もあってキラキラ魚が見えるのが気に入っている。去年は二歳年上の優斗くんと遊びに来ていたが、中学受験をする優斗くんは今年と来年は遊びに来れないらしい。残念だ。だけど仕方が無い。一人だけど大きな虫やかっこいい虫を捕まえておばあちゃんとママとパパに自慢しよう。

「…あ!」

虫を探している時だった。まるで石鹸みたいに丸くてツルツルした白い石を見つけた。少し泥が着いていたのたので川で洗って服で拭く。お日様の光にかざしてみるとキラキラと光った。まるで宝石みたいだ!虫取りはイマイチだったけど、素敵な宝物を見つけた僕は大急ぎでおばあちゃんの家に帰った。

「ただいま!」

「おかえり、春くん。虫は採れた?」

「ううん、虫はあんまりいなかった。でも綺麗な石見つけたんだよ!見て!」

「あらあ、ほんま。綺麗やねぇ。春くんいいの見つけたねぇ。」

「春、何持って帰ってきたの?」

「ママ!綺麗な石!」

「あらほんと。真っ白ねぇ。」

「お、春。いい石見つけたな!」

みんなに褒めてもらえて誇らしかった。これは宝物にしよう。それから村のおばさんやおじさんにも見てもらいたい。明日遊びに行く時も持っていこう。僕は枕元に石を置いて眠りについた。

今日は家に帰る日。おばあちゃんとお別れするのは寂しいけど次はお正月に遊びに来るねと約束して、僕は帰る用意を始めた。

「…あれ?」

石がない。昨日もポケットに入れて遊びに行って…昨日は枕元に石を置いただろうか。無くしてしまったのだ。

「ママ!僕の石知らない?」

「石?白いキラキラの?うーん、ママは見てないけど…。」

「パパ!」

「パパも見てないな。朝から無いのか?」

「分かんない…。今気付いたんだ。昨日ポケットに入れてたから落としちゃったかも、どうしよう…。」

「春くん、あの綺麗な石無くしてしもうたんか?おばあちゃんも家の中探したげるからね。」

「私は洗濯場見てくるわ。それと鞄に入れた。服も。パパは…。」

「俺は春と外探してくるよ。春、昨日遊びに行った場所覚えてるか?」

みんなが探してくれた。家の中にも、選択に紛れてもいなかった。昨日行った場所も草を分けてパパと協力して探したけど見つからなかった。僕は泣きそうだった。せっかく見つけた石なのに。みんながいいねって言ってくれたのに。

「出発まではまだ時間あるからな。夕方、ご飯食べる前にパパとまた探しに行こう。」

うん、と言いたかったけど泣き出してしまいそうで頷くだけしか出来なかった。汗をかいてしまってるから流しておいで、とおばあちゃんとママがお風呂の準備をしてくれていたからお風呂に入った。お風呂でお湯を浴びながら僕は少しだけ泣いた。お風呂から出てから縁側で涼んでいると、そういえば昨日もここで座っていたなと思い出し、ここも探してみることにした。しゃがみこんで石を探していると、どこからか、ズズ…ゴツ…と音が聞こえた。びっくりして顔を上げると小さな影が見えた。ズズ…ゴツ…と音を立てながら近付いてくる、僕よりも小さな何かの影。まるでお地蔵さんみたいな。ズズ…ゴツ…と聞こえる方向を見ているとお地蔵さんが見えた。お地蔵さんが近付いてくる。僕は悲鳴を上げそうになった。急いで木の影に隠れる。それでもお地蔵さんは僕のいる場所が分かっているかのようにどんどん近付いてくる。恐怖で声がでない。きっと怖がってた僕を怒りに来たんだ。ごめんなさい!ごめんなさい!二度と怖がったりしません!許してください!僕は何度も心の中で叫んだ。ズズ…ズ…。音が止まる。怖くて目を開けられない。…コツン。小さな音が鳴ってビクリと身体が跳ねた。ズズ…ゴツ…と言う音は遠ざかっていく。恐る恐る目を開けてみると。目の前に真っ白なあの石が転がっていた。

「…あ!」

僕の声に驚いたおばあちゃんが家の中から顔を出す。

「春くん?どないしたの。」

「い、石!」

「あら。ほんま。」

「あれ、お母さんここ探してなかったん。私もお母さんが見たと思って探してなかったわ。」

お風呂から出てきたパパが髪を拭きながら出てきた。

「お!石あったのか!よかったなぁ、春!」

「うん!その…お地蔵さんが…。」

ママとパパはお地蔵さん?と首を傾げていたがおばあちゃんは一瞬目を見開いたあと、笑顔で頷いた。

「お地蔵さんはいつも見てくれてるんや。」

「おばあちゃん、帰る前にお地蔵さんに挨拶したい。」

「うん、うん、行こうね。」

ママとパパはよく分かってなかった様だがとにかく良かった、と言ってくれた。

暗くなる前に、とおばあちゃんとお地蔵さんに会いに行った。昨日までは怖かったお地蔵さんがとても優しそうな顔に見えて、自然と怖いという気持ちは無くなった。

「お地蔵さん、石を見つけてくれてありがとうございました。」

手を合わせてお地蔵さんに話しかける僕の頭を撫でておばあちゃんも横にしゃがみこんだ。

「春くんの宝物を届けてくださってありがとうございます。いつも春くんを大切にしてくださってありがとうございます。」

いつもは黙って心の中でお話をするんやで、と言っていたおばあちゃんも言葉に出してお地蔵さんに話しかけていた。

「おばあちゃんね、春くんがママのお腹の中にいるって分かったもお地蔵さんにお願いしたんよ。産まれてくる赤ちゃんが元気ですように、ママもパパも、ずっと元気で暮らせますようにって。」

お地蔵さんはおばあちゃんのお願いも聞いてくれたんだ。僕の事も、ママとパパとおばあちゃんの事もいつも見てくれてるって本当だったんだ。今まで怖がっていたのが申し訳なくなった。もう一度お地蔵さんに手を合わせて心の中で話し掛ける。今まで怖がってごめんなさい。石の事、ありがとうございます。大事にします。それから、僕がいない間はおばあちゃんの事守ってください。熱心にお地蔵さんを拝む僕をおばあちゃんが嬉しそうに見ていた事は気付かなかった。

蝉の大合唱が聞こえる。バス停からは近いとは言え真夏に外を歩くと汗が吹き出す。

「おばあちゃん、来たよ。」

「春くん。待ってたよぉ。いらっしゃい。」

おばあちゃんは昔からずっと変わらず元気だ。「春くんほんまに一人で来たん?すごいなあ。」

「俺もう大学生だよ。おばあちゃんちくらい一人で来れるよ。父さんの休み待ってたら先になるし夏休みに入ったから早めに来たんだよ。おばあちゃんに合いたかったから。」

「嬉しいこと言うてくれるやないの。おばあちゃんはええ孫を持ったわ。」

暑いからはよお家入り、と言ってくれたおばあちゃんに言われるままお邪魔します、と家に入る。

「あ、おばあちゃん。後でお地蔵さんのとこ行こう。」

「昼は暑いから日が落ちてから行こうか。最近は日が落ちても暑ぅて困るなあ。」

「おばあちゃんは大丈夫?こんなに暑いと体調悪くなったりしない?」

「春くんは優しいなぁ。でもおばあちゃんは元気やからね、今も毎朝散歩行ってるんよ。」

「朝でも暑いだろ?おばあちゃん気を付けてね。」

「ありがとうね。でもおばあちゃんはね。」

「いつもお地蔵さんが見てくれてるから、でしょ?」

「そうそう。おばあちゃんまだ百年は生きるんやからね。」

「あと百年生きたら俺も百歳越しちゃうんだけど。」

おばあちゃんと顔を見合せて笑った。おばあちゃんは本当に元気だ。大きな病気や怪我もなく過ごしている。もうすぐ九十になるとは思えないくらい。きっとお地蔵さんが見守ってくれているからだ。俺がお願いしたおばあちゃんを守ってほしいという願いを聞いてくれたのだろう。あの白い石を見つけたあの日以来ずっとあの石は俺の宝物だ。おばあちゃんのところに行けない時もあの白い石をお地蔵さんだと思って色んなお願いやおばあちゃんの健康をお願いしてきた。だけどやっぱりお地蔵さんを見て挨拶をしたい。おばあちゃんと一緒に。

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お地蔵さん 仁城 琳 @2jyourin

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