第8話 「偶然」か「必然」か


 看板制作

  (   杉浦   )

  (        )


 柳田は最後の名前を黒板に書き終えると、チョークをトレーに戻した。

「じゃあ、看板制作をもう一人決めたいんだけど。やりたいって人、いますか?」


 ……きた。運命の質問。

 頼む、柚原さん、手を挙げてくれ……。


 ドキドキ。

 ドキドキ。


 心臓が、急に本気出してきた。

 こんなに真面目に鼓動を打つの、高校の合格発表の時くらいだったかも。


 教室は静かだった。誰も手を挙げない。

 でも、俺の中ではもう、荒れ狂う嵐が吹き荒れていた。


 頼む……!

 もし俺に超能力があったなら、今すぐ使ってる。

 念力で彼女の体を操って挙手させる……のはさすがに反則だし、倫理観に欠けるから、……机ごと浮上させて、彼女の右腕を持ち上げたい。

 まあ、直で腕を上げるのと関節的に腕を上げる違いにはなるが。


 うおお、ボケ!そんな妄想どうでもいいって!

 そんなんどうでもいいから現実!この現実が大事だ!


 沈黙の中、教室の空気が張りつめる。

 そのとき――


「あ、じゃあ、わたしもそこで」


 ……え?

 一瞬、自分の耳を疑った。


 声の主は、俺のすぐ前の席。

 ゆっくりと上がる右手。


 柚原さんだった。


 えっ……え?

 ええええええええええええええええ!?


 俺の脳内で、ドッガーンと何かが爆発した。

 まさか……俺マジで超能力使えちゃったのか……????


「考えたら私……美術部だし、普段の活動と同じようなもんだし」

 柚原さんは、そう言ってほわっと笑った。


 その横顔にはまったく迷いがなくて、どこか誇らしげだった。

 けれどその直後、予想外の言葉が続く。


「それにさ、今朝は杉浦くんの髪の毛が寝ぐせだなんて、ちょっと失礼なこと言っちゃったし……」

 と、彼女は俺のほうをちらりと見て、にこっと笑った。

「その罪滅ぼしとして、杉浦くんの分まで頑張ることにするよ!」


 …………え?


 一瞬、時が止まった気がした。

 罪滅ぼし? 俺のぶんまで? 頑張る? 

 あれ? これって、もしかしてパーマあてた効果が思わぬ形で……??


「ちょ、やめて……心がチクッてなるからぁ~」

 俺の発言にクラスが笑う。


 すると柚原さんは、まるで子犬をからかうかのように楽しそうに言った。

「あはは、ごめんてぇ〜」

 そう言いながら、手のひらをひらひら振って、なんとも無邪気な顔をしていた。


 なんだよその笑顔。反則だろ。


 俺は思った。いや、確信した。

 俺の願いは確かに届いたんだ。いや、届いちゃったんだ。


 こうして、俺は、念願だった「柚原さんと一緒に文化祭の準備をする」という爆裂最強な役割を手に入れた。


 この展開が、俺の恋路を確定づけるのだと信じて俺は緊張する。

 やっぱり、この文化祭で決めないと……。


「はい、じゃあ次は……――」

 高橋さんの明るい声が、再び教室に響く。


 そこからも、各担当がどんどん決まっていった。

 広報班、チラシ配り、装飾担当、メニュー表作り、会計班。

 名前が呼ばれ、黒板に書き込まれ、みんなのポジションが次々と埋まっていく。

 その間、俺はというと、ずっと頭の中がふわふわしていた。


 やった。やったぞ……。

 本当に、手に入れてしまったんだ。柚原さんとの、確立された二人の時間。


 俺は今、自分史上最大級にテンションが上がっていた。

 これが、恋愛においての「よろこび」ってやつなのか。

 これまで聞いたことはあっても、実際に自分が感じたのは初めてだった。


 マジで、超実感。

 世界がキラキラして見える。教室の蛍光灯すらオーラ放ってる。

 テンションが上がりすぎて、もはや口の中が甘い。なんか知らんけど、甘酸っぱいレモンの味がする。


 だって、柚原さんとの「時間」だぞ?

 日直でも掃除当番でもない、放課後の二人きりの看板制作だぞ?

 もはやこれはデートに近い行為だああ!

 そう、プレ・デート。

 デートの序章!


 これは「偶然」かもしれない。

 けどもう、俺の頭の中では完全に「必然」だった。

 俺のパーマは、すべてこの瞬間のために用意されていたんだ!

 行動してよかった。勇気出してパーマあててよかったぁ!!!


 ……もう、率直にめっっっっっちゃ嬉しい!!!!




 その間にも、柳田と高橋さんの的確な采配で、すべての班分けが無事に終了。


「じゃあ、これで!」

 と柳田が宣言する。

 教室内にささやかな拍手の音が鳴った。


「よっしゃあ~! これで決まりだな、クラス委員!」

 と、ゴリ松が椅子からバンッ!と床を蹴るように立ち上がる。

 勢いがすごい。テンションは完全に、野球部の熱血コーチのようだ。


「はい、これでいきます!」と高橋さんがうなずく。

 その隣で柳田も、満足げにチョークを置いた。


「じゃあ、準備は明日からだ。文化祭までの2週間、バッチリ準備やってけよ!」

 と、ゴリ松が叫び、間髪入れず――

「文化祭ってのはさ、全力でやって、全力で笑うためにあるんだよ!!手ぇ抜いたら、一生後悔すんぞ!!」


 そう叫んだその勢いのまま、ゴリ松は教室のドアをバシィッ!!と豪快に開けて去っていった。


 文化祭が、ついに始まろうとしている。


 朝、鏡を見たときはまさかこんな展開になるなんて思ってなかった。

 ……人生って、何がどう転がるかなんて、誰にもわからないってことだ。いやなことがあっても、それが良い方に転じることもあるんだ。


 教室の空気が少しずつ和らいでいく。

 部活へ急ぐ者、いつまでも喋ってるやつ、荷物をのんびりまとめるやつ。

 みんな、それぞれの放課後に歩き出していた。

 ざわざわしていた教室の音が、ゆっくりとフェードアウトしていく。


 俺は、自分の胸の奥に、小さく拍手を送る。

 今までとは少し違う自分。

 踏み出したことで変わった景色を噛み締めていた。



「ねえ、杉浦くん」



 ふいに、呼ばれた。

 顔を上げると、柚原さんが、こちらを振り返っていた。


 ドキドキする。

 何を言われるのか……??

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