ルナティック・アーク
宮野優
第1話
どーんとかばーんとか、そういう間延びした音じゃなかったはずだ。それはもっと短くガンッ! と眠る俺の鼓膜を震わせて叩き起こした。
「うお!? 何何?」と俺が飛び起きるのと同時に二段ベッドの下からも「何だ今の音!?」と志朗が顔を出す。向かいの二段ベッドでもシャオスーとハンが飛び起きて「地震か!?」「揺れてないし地震で音はしないよ」と言い合っている。台湾だって地震は多いはずだが、寝起きで混乱しているのだろう。
「すごい音だったぞ。近くか?」
二段ベッドを下りて窓のカーテンを開ける。どっちの方向から音がしたかなんてわかりゃしないが、とにかく窓から身を乗り出す。見える範囲には異常なし。となると外に出てみるしかない。同室の三人を連れて寝間着のままで寮の廊下に飛び出す。他の部屋からも生徒がぞろぞろ出てきてわちゃわちゃとこぞって外に出る。秋の夜風が少し冷たい。
「うわっ、マジかよ……」
西の方角から火の手が煌々と上がっていた。あの辺にはビルが――何のビル? ここ国際学園都市にあるなら、ここで行われている何らかの研究に関わる企業か、学生や生徒の生活に関わる企業のオフィスが入ったビルなのだろうが、考えてみれば何が入っているビルだったのか思い出せない、というか最初から知らない。まあそんなもんだろう。とにかくオフィスビルが建っていたはずだが、それが跡形もなくなっていた。
「えっ、なんであそこのビルなくなってんの? 火事?」
「火事であんな……きれいさっぱりなくなることあるか?」
「消防車のサイレンも聞こえなかった」
「欠陥建築だったとか?」
「それにしてもきれいに崩れすぎじゃない?」
隣の女子寮から出てきた生徒たちも合流して、口々にああでもないこうでもないと言い合っていると、全員の携帯端末――慌てて部屋を飛び出すにしてもこれだけは持って出るものだ――からアラームが鳴り響いた。
「何だ? 緊急速報?」
画面を確認してまず目に飛び込んできたのは――「国際学園都市に小型の隕石が落下?」今なんて? ハテナマークを出したいのはこっちだ。小型の隕石? それならさっきの轟音も納得だが、しかし直撃したとてビルがこうも跡形もなく吹き飛ぶものだろうか?
「隕石? 嘘だろ?」
「事前にわからないのかよ。この規模の隕石が」
「っていうか予告なくここに落ちてた可能性もあるってことじゃん」
「ビルにいた人は?」
「大丈夫じゃね? オフィスビルだろ? 何のオフィスが入ってるのか知らんけど」
「あのビルが深夜明かり点いてるの、見たことないし」
階数は覚えてないというか最初から知らなかったが、少なくとも十五階以上はあったはずのビルが影も形もなくなってその跡地から炎と煙が立ち上る様をみんなが呆然と見つめていた。とにかく犠牲者が出ていなければいいが……
「こういうことがあると実感するな。今自分が無事にこの世界で生きているのがむしろ奇跡なんだって」
ハンが呟く。こいつは時々こういう仙人じみたことを言う。確かに隕石?の落下地点が一キロずれていたら俺たちは全滅だった。男子寮も女子寮も諸共消し飛んで何が起きたかにも気づかずみんな即死するのを想像して、背筋が寒くなる。
周りを見回してサラの姿を探したが、見当たらなかった。出てこなかったのだろうか。女子寮の中からもオフィスビルのある方角が見える窓はなさそうだが。
俺たちはなんとなくそのまま落下現場の方を見ていたが、できることもないし(校内敷地を抜け出て現場まで野次馬しに行こうという奴はいなかった)寒くなってきたので誰からともなく寮に戻り始めた。
俺も帰って寝直す気だったが、そこで思い出す。校舎の屋上に通じる扉の鍵は、針金を使って簡単に開けられる。以前隣のクラスの授業サボり常習犯の遊佐から教えてもらって自分でも一度開けてみた。あそこからなら落下地点もよく見えるはず。
サラにメッセージを送ろうとして、一瞬躊躇う。一か月前から付き合っているとはいえ、女の子をこんな時間に呼び出していいものだろうか。いや、やましい思いは何もないし。ただ二人で隕石が落ちた場所を見たいだけだし。
「隕石のニュース見た? 屋上から落ちた場所見てみない?」
まさかこの騒ぎで起きないはずがないし、早くも寝直しているということもなさそうだったが、少し待ってもメッセージに反応はなかった。とりあえず一人で向かうか。後で遅れて来るかもしれないし、先に行って鍵を開けておこう。
校舎内への出入りは基本的に生徒なら自由だ。携帯端末に入れたIDカードでゲートをくぐる際ログは残るが、何か問題でも起こらない限り見られることはないらしく、深夜に忘れ物を取りに行った奴も特に教師に何か言われたりはしていなかった。
監視カメラの類いはあるはずだが、気にしてもしょうがないので堂々と屋上を目指す。静まりかえった真っ暗な校舎はどこか不気味で、自然と早足になる。
屋上へ着いてほっと息を撫で下ろす。針金は踊り場の隅に隠してある。鍵穴に突っ込んでちゃっちゃかいじるとほらかちゃり。簡単に鍵が開く。本当に申し訳程度についている鍵だよなと思いながらドアを開けると――そこに彼女が立っていた。
金髪が月明かりを反射するその明るさと裏腹に、暗い表情で俯き気味に立ち尽くしているのは確かに俺の彼女、サラ・クエイルその人だ。だけどそのとき俺には、なぜか一瞬彼女が全くの別人みたいに見えたんだ。彼女の周りの惨状が目に入る前から――
声をかけようとしたのと、それを視認したのはほぼ同時で、俺の口からはくひゅっと声にならない声だけが漏れた。
夜の屋上にいたのは彼女だけじゃなかった。何人もの生徒が水たまり――いや、血だまりの中に倒れていた。
誰一人生きていないのは明らかで――だって、身体がバラバラだ。首と胴が離れて転がっている奴、上半身と下半身が別れている子、両脚が切り離されて空虚な目を空に向けている生徒。
みんな、殺されている。その中でただ一人、サラだけが生きている。白いスウェットを血で染めて――
「サラ?」
彼女が怪我をしていないか確認すべきだったのに、咄嗟に身体が動かなかった。あまりのことに立ちすくんでいたわけじゃない。俺は心のどこかで、真っ先にある可能性を思い浮かべていたんだ。
――目の前のサラが、この惨状を作り出した可能性を。
理屈に合わない。彼女の手には凶器も握られてないし、人間を切り裂けるような何かがその辺に転がっている様子もない。何者かが凶行に及んで犯行現場から逃げたと考える方がずっと自然だ。それなのに俺は、生気のない目を伏せた彼女がこの地獄絵図を作り出したという直感を、完全に振り払うことができなかった。
「……これ、何が? どうしてみんな……誰がこんなこと?」
俺は恐る恐る彼女に近づく。今初めてこっちに気づいたように顔を上げた彼女が俺の名前を呼ぶ。
「
目の前にいるのに、その声が遠く感じる。
「サラ、大丈夫? 怪我はない? 一体何があった?」
「怪我は、ない。これは……返り血だから」
「は?」
「私がやったの。みんな、私が殺した」
いざ彼女の口からその事実が言葉になると、ただ狼狽することしかできず、何かを探すように辺りを見回した。何を探すというのだろう? 彼女が冗談を言っていることを示すような何か? 実は死体が作り物だとか? 馬鹿な。サラが冗談だって? そんな女じゃないことはよく知っている。じゃあ人を殺す女だとでも? うわっ、よく見たら両脚がないのはサラと同室の田澤じゃないか。ルームメイトをサラが殺すだって?
思考がぐるぐる巡りながらも「嘘だろ? こんな……君がやる理由がない。大体どうやって」とぶつぶつと呟く。
「ホワイダニット・アンド・ハウダニット。あなたならわかるはず。本当のあなたなら」
いや何を言ってるんだ? なぜ・どのように? いつ誰が何をどこで? こっちは5W1Hが何もかもわからないぞ。
「これだけはわかって。私にはこうする必要があった」
サラはそう言って背を向けると、屋上の端へゆっくり歩を進め――まるでそこだけ重力がなくなったように軽やかに跳躍すると、彼女の背丈くらいの高さがある柵の上に優雅に跳び乗った。
「え?」
呆然としていると、彼女は細い柵の上でバランスを崩すこともなく平気な顔で振り向いて、はっきりと言った。
「思い出して。この世界の、本当の姿を」
そして――腕を広げて柵の向こうへ、屋上の外へ落下した。
「うわああああああ!」
柵をよじ登り――恐怖なんて感じている余裕さえなかった――屋上の下を見下ろす。だが、そこにサラの姿はなかった。
落ちたと思ったのは見間違いだった? いや、柵の外にもどこにも彼女の姿は見えない。だがそういえば、地面に墜落したような音はしなかった。
「……消えた? そんなまさか」
呆然としながら柵を下りようとした俺は、驚きのあまり転落しそうになった。
屋上に目を戻した瞬間、さっきまで転がっていた死体と血だまりが、きれいさっぱり消滅していたのだ。今夜屋上で見たものが全て幻だったかのように。
「ありえねえ……何なんだよ。俺の頭がおかしくなったのか?」
震えそうな身体を何とか動かし柵を下りると、俺は恐怖を振り払うように寮まで駆け戻り、朝になれば全てが悪い夢だったとわかるという希望にすがりついて二段ベッドに飛び込み布団を被った。
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