異世界カフェ《エリュシオン》へようこそ~元社畜は天界で幸せに暮らします
ビビりちゃん
異世界カフェへようこそ
第1話 オムライスの香りと、社畜の魂
目を覚ましたとき、俺は会社の床にうつぶせになっていた──と、思った。
しかしそれは錯覚だった。天井がなかったからだ。代わりに、虹色の雲が空にぽっかり浮かび、その向こうに金色の光が差している。
「……あ、死んだな。俺。」
わりと冷静にそう思った。だって昨日も朝5時まで働いて、今日も早番だった。睡眠2時間で厨房に立てば、そりゃ身体だって限界を迎えるだろう。
──そして気づけば、この空の中にいた。
雲の上には、白い大理石でできた門。そこに掲げられた看板には、やけにポップな書体でこう書かれていた。
🍴《エリュシオンカフェ》本日も通常営業中☁️ ~魂に美味を、英雄にひとときを~
「……なんだよそれ……。」
思わず声に出して笑った。俺は幽霊か天使か知らないけど、とりあえず門をくぐる。
そこには、まるで絵本のような空間が広がっていた。白と金を基調にしたカウンターキッチン。丸いテーブル。ふわふわのイス。香ばしいバターの香りが鼻をくすぐる。
「わあっ!はじめましてですね!」
金髪ツインテールの少女が、羽根をバサッと広げながら飛び込んできた。エプロン姿の天使。声は明るいが、どこか切なさもにじむ。
「えっと、新人さん? それとも、お客さま?」
「いや、たぶん──新人の料理人、だと思う。」
自分でも驚くほど自然に答えた。手にはなぜか、中華鍋と包丁が握られていた。
「名前はミカエルです!カフェのサブマネージャー兼、ウェイトレス見習いですっ!」
金髪ツインテ天使は、ぴょこっとお辞儀してそう名乗った。社交性の塊のような笑顔に、思わず緊張がほどける。
「ふわ〜ん……ようこそぉ……転生者さまぁ……」
次に現れたのは──毛玉だった。いや、正確には目のついた雲のようなマスコット。ちぎれたマシュマロみたいな体が、ぷかぷか浮いている。
「こちら、カフェマスコット兼……うーん、謎担当?の《ムク》です!」 「……なんか役職が曖昧じゃない?」
ツッコミを入れつつも、どこか安心していた。妙にゆるい雰囲気。死後の世界というのに、緊張感がなさすぎる。
「とりあえず厨房に案内しますねっ!あ、エプロンはこれ!」
ミカエルが渡してきたのは、白地に金の刺繍が入ったエプロン。まるで天使の制服。
エプロンをつけてキッチンに立った瞬間、俺の中の何かがカチリと噛み合った気がした。火をつけ、フライパンを熱する。冷蔵庫を開けば、何でも揃っている。
「今日は最初のご来店に備えて、“あなたの得意料理”を出してもらいますっ!」
「俺の得意料理……」
それは決まっていた。
カフェ《エリュシオン》の厨房。静寂の中、コンロに火が灯る。 神と呼ばれる存在ために、店長が手に取ったのは、いつもと変わらぬ卵と一握りの米。 だがその手つきには、どこか厳かな祈りがこもっていた。
まず、よく研いだ玉ねぎをみじん切りにしていく。 包丁がまな板に触れるたび、リズムが整い、空気が澄んでいくようだった。 続いて鶏肉。脂を丁寧に取り除き、一口サイズに切り分ける。 「祝福ではない、“人の営み”そのものを包んだ味にしたい」 彼の手は迷いなく動いていた。
鍋にバターを落とすと、天界の芳醇なミルクの香りが広がる。 そこに玉ねぎと鶏肉を入れ、じっくりと火を通す。
「焦げ目は不要。ただ、静かに染み込む旨味だけでいい」 彼の語りかけは自分自身への確認でもあり、客への心の対話でもあった。
ご飯を加える。炒める音が弾け、そこにほんの少しだけの天界トマトソースを加える。 赤すぎず、甘すぎず――まるで夕焼けの色。 それはまさに、神でも人でも、どちらでもない“あわい”の時間を閉じ込めたような色彩だった。
そして、卵。 彼は深く息を吸うと、三つの卵をボウルに割った。 「三位一体……か」 思わず、ふとこぼれた言葉。混ぜる手は真剣で、気泡ひとつ残らないほど滑らかにする。 火を通す瞬間、彼は一瞬、目を閉じた。
薄く、美しく、何者をも拒まないような、柔らかい卵のヴェール。 炊き上がったケチャップライスをやさしく抱き込んで――完成。
ふわりと湯気が立つ。 そしてその上には、ミカエルが絞った少量のホワイトソースで、ひと筆のような装飾が添えられた。
皿に盛りつけたとき、厨房に一瞬だけ、風のない気配が満ちた。 それは、料理に向けられた“視線”のようでもあり、“意志”のようでもあった。
「さあ、召し上がれ。これは、神のための料理じゃない。 ……神と人との、間に立つ者のための一皿だ」
「すごい!香りが……なんだか、懐かしい……!」
ミカエルが目を潤ませる横で、扉のベルが鳴った。 ふわりと吹き込む風とともに、カフェに足を踏み入れたのは──
血塗られた剣を背に、虚ろな目をした長髪の青年だった。
「……ここが《エリュシオン》か。」
全身から、戦争の臭いがした。生前、幾千の命を奪い、奪われた者の気配。 それなのに、その男はオムライスの皿に目をやると──
「……それは、母の味に似ている。」
静かに腰を下ろし、ナイフとフォークを手に取った。
英雄の名は、アルセウス。 かつて数多の戦を統べた、征服王だという。
そしてこの日、俺は知ることになる。 料理を通して語られる、英雄たちの“死後の告白”──それが《エリュシオン》の日常なのだと。
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