ママの校閲

秋待諷月

ママの校閲

「妙やなぁ。なぁ、これ、ママにならないで?」

 眉間に深い皺を寄せ、黒縁眼鏡のレンズ越しにモニタを凝視したままで、西田は近くを通りかかった同僚男性・斉藤を手招いた。細身の若手編集は怪訝そうながら、素直に西田のデスクへ寄ってくる。

「なんの話です? 西田さんみたいな薄汚いオッサンは、どう頑張ってもミナミのママにはなれんとちゃいますか」

「アホか、オレの話ちゃうわ。これや、これ。『原文ママ』設定にしてるはずなのに、勝手に変わってしまうんや」

 斉藤を肘で軽くどつきつつPCの前を譲り、西田はモニタを指で突いた。

 表示されているのは、国内で主流となっているオンライン文章編集ソフト画面。縦書きで組まれた文章は、西田らが勤める出版社が定期発刊している雑誌の、次号に掲載予定のものだ。

 見出しは、「たいせつなあなたへのメッセージ」。大手通信会社と出版社が共催した子どもむけコンクールの、結果発表、および受賞作品記事である。

 最優秀を受賞したのは小学二年生の女子児童で、応募作のタイトルは「ママにならないで」。

 いつも遊んで貰っている仲良しの叔母が妊娠したことを知った筆者が、叔母を赤ちゃんに取られてしまうことを憂いて「ママにならないで」と訴えるも、最後には「あかちゃんのママになっても、わたしのおともだちでいてね」と結ぶ。そんな、一千字ほどのハートフルなメッセージだ。

 内容の可愛らしさもさることながら、基礎はしっかりと押さえつつもたどたどしさを残した文章のあどけなさが、審査員の心を鷲づかみにしての受賞。その評価は西田も大いに納得するところである。

 ところが、今、西田が睨む画面の中の作文は、内容こそ全く同じだが、文章は似て異なるものになってしまっている。具体的に言えば、巧すぎる。語彙といい、口調といい、大人が書いたとしか思えないほど理路整然として流暢なのである。

 ――令和十年を迎えた現在、生み出された文章のほぼ全ては、AIによる校正・校閲を通して世に出されることが当たり前になっている。それは出版社も例外ではない。最終的には人の目でチェックを行う慣習こそ残っているものの、その前段階としてAIによる自動修正を行っており、西田が見ている画面も、すでにAI校正・校閲が完了したものだった。

 とは言え今回のコンテストは、狙いのひとつに子どもの日本語能力習熟があるため、応募要項でAI利用を全面的に禁止している。そして当然、受賞作品を応募時から勝手に改稿するわけにはいかない。よって自動校正・校閲をかけたのは講評や受賞者紹介といった部分についてであり、応募作品そのものについては、「原文ママ」とするよう別指定をかけていた。

 にも関わらず、文は改変されている。機械に疎い西田が操作を誤った、もしくはソフトの不具合だろうかと疑い、斉藤に助力を求めたのだが。

「ああ。なかなかやりよりますねぇ、この子。っていうか、やったんは親やろうけど」

 応募作品の元データ画面と編集画面を見比べながら、斉藤がさらりと言う。西田は目を瞬かせた。

「どういうことや?」

「これ多分、AIに書かせたエエ感じの原文を、さらにAIで編集しよったんですよ。『小学二年生相応の文章に変換しろ』ってコマンドで」

「……は?」

 咄嗟に理解が追いつかず、口をあんぐりと開ける西田とは対照的に、斉藤は呆れと感心が入り混じったような余裕の苦笑を浮かべて続ける。

「それを、西田さんが『原文ママ』にしろって命令したもんだから、AIは元のママの文章に再変換したんやろな」

「ちょ、待たんかい。応募作品がAIで編集されてるなんて、なんでウチのソフトのAIに分かるんや」

「分かるに決まっとるやないですか。この編集ソフトの大元はぜーんぶ、おんなじマザーシステムママなんですから」

 涼しい顔で答えてから、斉藤は「この受賞、どないするんですかねぇ」などと他人事のように言い捨てて立ち去ってしまう。西田はOAチェアにかけたまま、ずるずると脱力して天井を仰いだ。


 まったくもって、なんて世の中だ。

 ありのママすらママならない。





 Fin.

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