nogi2

1 PとQ

〈P〉


 夏の陽射しに刺されながらも、なだらかな丘を登っていく。雨上がりの後の土には、いまだ水が染みついていて、踏みしめる度にぐっしょりと靴は濡れる。

 しかし、それよりも、そもそも全身がびしょ濡れだ。息を切らして、死にそうな気分でいる。夏であるのに、分厚い外套を羽織って、長い髪は自由に伸ばし靡かせて、もう汗でぐしょぐしょで、蒸発した水蒸気が頬に当たって暑い。

 禄に王宮暮らしと座学、儀式の連続で、そもそも運動センスなど着くはずがない。魔法の才なんてない。こんな丘を登る程度で、息も絶え絶えで、嫌な気分になる。

 もっと、気高くありたい。みんなと同じように、こんな丘は一瞬で登りきりたい。高く急斜面の岩の山でも、楽々と山羊のように登り切りたい。でも、こんな金の無駄に目立つ装束は暑く、熱中症になりかけても、運動習慣などないから、何も飲むものはない。

 それでも、ダサくとも、これだけは登り切りたい。膝に手をついて、外套の端がぐっしょりと濡れてきて、汗ばんだニーソに当たるとひんやりとした感覚を感じながらも、ずっと歩いていきたい。おじさんみたいで、子どもらしくないのは分かってる。

 わたしはもう視界も暗く、足元は覚束ない。それでも、わたしはあの空を目指して、飛んでいきたい。視界を見上げると、もう丘のてっぺんが見えた。

 薄い青色の空には、幽霊のように星が浮かんでいる。ああ、早く帰らなきゃ。食で真っ暗になってしまう。わたしはどうせ熱中症で倒れるから、そうなったら、みんなは困ってしまうだろう。でも、もうちょっとだけ歩かせてくれ。

「ほら、もう少しだ」

 声が聞こえる。丘の上には、優雅に立つわたしがいた。紅いマントを翻し、猫のような黄金の眼と、清々しい剣に、細い杖に、薬に、紋章に、姿勢に、王子のような風格……。恥ずかしい。どうしてこんな時に、いつも鏡越しにやっている事を。声ははっきり聞こえるのに、嘘だと分かっている。そんなわたしにはなれはしない。

「飛べた者だけが空には残っている。あの惑星には更に気高くあった者だけが残っている」

 やめてくれ。わたしはもう全身が悲鳴を上げて、歩くだけで無理なんだ。わたしごときにあの星に行くことはできない。わたしはもうダメなんだ。

 そうはいっても、あのわたしはキリッと白い歯を見せて、腰に手をやって、わたしを待っている。そんなわたしはやってこないのに。どうして、本物のようなわたしがいるのか。

 わたしはわたしに触れた。

「はぁはぁはぁはぁ…はぁ…」

 呼吸が止まらない。バカみたいにポンプが暴走したみたいに、呼吸が自分でないみたいに動く。過呼吸、これだけで過呼吸。情けなくなった。わたしは声を出せず、ゆったりと倒れようとした。

「おいおい、まだ死ぬには早すぎるぞ」

「えぇ?」

 わたしは真上の空を見ていたのに、倒れない。代わりにわたしが覗きこむ。黄金の猫のような眼。不気味な眼なのに、どうしてこんなにも綺麗なのだろう。わたしは疑問に思った。だが、そう思うほど、もう意識は鮮明ではなくなっていった。

 彼女はゆっくりとわたしを倒して、王宮の方へ走っていった。


────────────

〈Q〉



「ウラセル──あなたは、いつもは理想的な魔法使いなのに、どうして時にあんな破廉恥な事をするのでしょうか?」


 伶亜がそう言う。黒髪の、Tシャツ姿の狼の耳がぴょっこり出た、わたしの従者。シトシアの占星によって選ばれた、異国の少女。わたしは、いつか殺されるんじゃないかと、内心穏やかじゃない。伶亜の国は滅ぼされたから。

 彼女は戦闘と器用さにかけてはどの人種よりも優れていると思っている。伶亜は結局、わたしが倒れる所も観ていて、すぐに飛んで駆けつけた。わたしは安心するとともに、内心で悔しくて恥ずかしかった。


「破廉恥ではありません。それは本来的な行動です。わたしは自分がおかしな事をしたとか、青年期の過ちだとか、まったく考えてはいません」

「ふぅん」


 伶亜は心底退屈そうに反応する。髪をといでたいといった風に。あの時、ぐっしょりと土と汗で汚れてしまった頭を伶亜は人形のように扱って、わたしを洗った。

 こんなやり取りはもう何度も行っている。


「あなたの言っている事は、恋愛にひたむきに走っていく青年のものと、何ら変わりはないように見えますが?」


 そんな事を言ってもしょうがないのだと、わたしは思っている。それはわたしの知る所じゃないから。

 だから、伶亜は代わりにこう言った。


「じゃあ、あれはなんだったのでしょう。あなたが倒れる瞬間、じっと停止していましたね」

「そう。あの時はよく覚えはおりませんでした」

「……」

「……」

「嘘ですね」


 伶亜は正直すぎる所がある。でも、それは余計な事を引き起こすだけで、期待とは逆の結果を招いてしまう事もしばしばある。


「秘密にしとく」

「ふぅん……」


 髪をスゥーッとブラシで撫でていく。ゆっくりとした時間が流れていたと思う。何か他の話題がほしかった。

 わたしは鏡をみる。伶亜の服はTシャツで、黒色で……パンク?な柄だ。わたしははっきり言って、ダサい、とは思わないまでも、不釣り合いなものを感じた。みんな異国の人の服は一応は伝統的な服装に則っているのに、伶亜だけはなぜか違う。


「ねぇ、伶亜?──思ったのだけど、その服は……」

「ああ、これですか」


 いかにも聞いてほしそうだった伶亜は、さっと髪から手を離す。


「これはですね、最近できた異星間貿易で入手したものですね。とても格好よく、わたしの国も、もしこんな服があったら、みんな着ていると思います」


 伶亜は服を見せる。ギザギザのキラキラの模様で、凛とした雰囲気が壊れている気がする。わたしはツッコミたくなったが、でもそれはすごく気まずいことになる。

 だから、その事については黙っていて、やんわりと肯定するしかなかった。


「ええ、みんな着ていると思います」

「そうでしょう」







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