第4話 東京タワーが見える場所 後編【晃視点→祥子視点→晃視点】
頭が沸騰した。
祥子の悲鳴。
何よりも聞きたくないものだった。
無我夢中で走った。
阿修羅も笑いながら晃のほうに向かって走ってきた。
晃の刃と阿修羅の手刀がぶつかる。
「そうだ! それでいい!」
阿修羅が叫ぶ。
「それでいいのだ、藤牙晃!」
何を言っているのかわからなかった。
ただ、殺してやる、ということしか考えられなかった。
刀を振るう。
阿修羅の右肩に食い込む。
阿修羅が笑う。
「ほらほら! 私の弱点はそんなところではないぞ!」
体が本能のままに動く。
右肩に食い込んだ刀を、全力で押し込む。
阿修羅の顔が苦痛でゆがむ。
肩ごと右の上の腕を落とした。
「はははははは!」
肩から紫の体液を噴き出しつつ、阿修羅がまた笑う。
「いいぞ! いいぞ! いいぞ!」
残る腕はあと三本。
そんな悠長なことをしている場合か?
さっさと首を刎ねてやったほうがいいのではないか?
こいつは祥子を傷つけた害悪だ。一秒でも早くこの世から消滅させねばならないのではないか?
踏み込む。
首に食い込む。
残った三本の手に刀を受け止められる。首から刃がはずれる。
また、刀を捨てた。
三本目を具現化する。
まだだ。まだ尽きない。
永遠にやり合おうではないか。どちらかが死ぬまで。
* * *
あまりの激痛に、頭がおかしくなりそうだった。実際に痛みのせいで涙腺が壊れたらしく涙があふれて止まらなかった。
祥子は歯を噛み合わせてがちがちと鳴らした。
右の人差し指が本来ありえない方向に折れ曲がり、赤紫色に腫れている。骨折しているのは明らかだった。
「いたい」
一度そうこぼすと、あとは無限に泣き声が続いた。
「いたい、いたいよ……いたいよお……」
「祥子」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
気がつかなかった。
いつの間にか、そこに美咲と龍平が立っていた。
「大丈夫よ、すぐ治してあげるからね」
美咲がそう言って祥子のすぐ近くにしゃがみ込んだ。
龍平も近づいてきて、片膝をベンチの上に乗り上げた。そして、右手を振った。一瞬そこには拳銃が見えたが、すぐに形を変え、サバイバルナイフになった。祥子をベンチに縛り付けている気持ちの悪いロープのようなものを切り始める。
美咲の両手が、祥子の右手を包み込んだ。
痛みがあっという間に消えた。
一瞬で、祥子の人差し指は元の形に戻り、腫れが引いた。
この間、美咲からは一切霊力の動きを感じなかった。これなら阿修羅に気づかれることもないだろう。
これが、プロの治癒能力者なのだ。
龍平がロープを切ってくれたので、全身が解放された。と言っても痛みで疲れた祥子は立ち上がれなかったが、体はぐっと楽になった。
「二人とも、どうしてここに?」
美咲が微笑む。
「実は、晃のスマホに対魔協オリジナルアプリのGPSが入ってるのよ。晃はいつもそれを仕事の直前にオンにしてくれるから動きを追えるのよね。今日は、休みって言ってたのになぜかオンになったから、何かあったのかしら、と思って追い掛けてきたの」
龍平もしみじみと言う。
「すげえよな、こんな状況でも冷静にアプリを立ち上げてヘルプを求められるとは、危機管理能力が違うぜ」
そう言われると、自分の父親がすごく有能な退魔師であるように思えて、祥子は感心してしまった。
「私たちは、チームだから」
美咲のその力強い言葉に、祥子は大きく頷いた。
「いつだって、ひとりじゃない」
ところが、龍平は「いや」と言った。
「今の晃は好きにやらせてやろうぜ。たぶん、いわゆるゾーンってやつに入ってる。もう俺らじゃ止められない。思いっ切りやってもらおう、死なない程度にな」
* * *
阿修羅の腕がまた一本弾け飛んだ。
あと二本。
やれる。
残った左の真ん中の腕を狙う。
自分なら斬れる。
そう思った時、右の真ん中の腕が襲ってきた。
手刀が晃の左の腕に食い込む。
晃の左の腕から赤い血液が噴き出す。
体の中をさあっと何かが流れていくのを感じる。
左腕が軽くなる。
晃の肘から下が、地面に落ちる。
腕をやられた。
けれど晃は刀を離さなかった。右手で強く握り締め、片腕で阿修羅の右の真ん中の腕を斬り落とした。
これでお互い腕が一本ずつになった。
腕の一本や二本たいしたことじゃない。
祥子を救えるなら何だって捧げられる。
阿修羅も余裕を失ったようだ。必死の形相で襲い掛かってきた。般若の顔だった。
だが自分も今同じ顔をしているだろう。
やるか、やられるか。
その、次の時だった。
「お父さん!」
声が、聞こえた。
「がんばって!」
誰よりもいとおしい娘の声援が、聞こえた。
勝てる。
晃は阿修羅の最後の腕を無視した。
阿修羅の首に刀を食い込ませた。
「グギギギギギギ」
阿修羅が機械のようなうめき声を上げた。
刹那。
阿修羅の首が、飛んだ。晃の刀が、首を断ったのだ。
紫の体液が、噴水のように噴き上がった。
地面を、阿修羅の首が転がる。
「反則だぞ」
阿修羅の真っ青になった首が言う。
「なぜ最後の腕を斬らなかったのだ」
「なんでお前の理屈に俺が合わせてやらなきゃいけねえんだよ」
晃がそう答えると、阿修羅は首だけで笑った。
「くそ」
阿修羅の首が、消えていく。
「千年も生きたのに……ここまでか」
阿修羅が、まぶたを閉じる。
「いや、悪くない。私は人類最強と戦ったのだ。心地よい敗北――」
阿修羅だったものは、首も胴体も、消えた。
「晃!」
はっと気づくと、美咲と龍平、それから祥子が駆け寄ってきていた。
我に返った。右手に握っていた刀を消す。
「いってえ」
いまさら、自分の左腕が肘で切断されていることに気づいた。すさまじい痛みだった。強いて言えば、痛みより失血による目眩のほうが気になるかもしれない。意識が飛びそうだ。
美咲が地面に落ちていた晃の腕を拾った。晃の肘をつかみ、上腕と前腕の切断面をくっつける。そして、手の平から淡い銀色の光を放って、晃の腕全体を包む。光が消えた頃には、晃の腕は完全に元どおりになっていた。
「やれやれ」
晃は左腕を振ってみた。痛みはない。違和感すらない。何事もなかったかのようだ。
「お父さん」
祥子が抱きついてきた。晃は「よしよし」とその頭を撫でた。
「びっくりした……! お父さんの腕がなくなっちゃったら、って、もしかしたらそのまま死んじゃうかも、って、すっごく焦った! すっごく怖かった」
「ごめんごめん。なんともなかっただろ。そのために美咲に通知を送ったんだからな。そんなことより祥子は? 祥子の指はどうなった?」
「わたしの指も美咲さんが治してくれたよ。今は痛くないし、普通に曲がる」
「よかったよかった」
祥子を抱き締めたまま、美咲と龍平のほうを向く。二人ともほんのり笑みを浮かべて藤牙親子の様子を見つめていた。
「お疲れさん」
「いやー、大変だった。こんなに怪我したの、糸織さんが死んだ時以来だった」
「そのわりにはけろっとしてるわね」
「お前じゃなかったら何十人何百人という退魔師が死んでただろうな」
「とにかく、ありがとな、美咲。あのままだったら、俺、霊力が尽きる前に失血多量で死んでたな。あはは」
「あははじゃないわよ、まったく」
服についた阿修羅の体液はなかなか消えなかった。低級妖魔の体液は比較的すぐに蒸発するのだが、位が高くなれば高くなるほどこういうのが残りがちだ。けれど今回の横浜行きは有給休暇かつ日帰りのつもりだったので、着替えを持っていない。
「増上寺で事情を話して着替えを借りるかあ。坊さんならわかってくれるだろ」
そんなことを呟いた晃に、美咲と龍平は笑い掛けた。
「ねえ、お父さん」
祥子が晃にしがみついたままささやく。
「なに?」
「かっこよかったよ」
晃はもう一度、祥子を強く抱き締めた。祥子が腕の中で「汚れちゃうよお」と呟いた。
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