第4話 祥子のためだったら、俺の傷をほじくり返すことぐらい 2

 祥子と晃は、十畳ほどの畳の部屋に通された。いわゆる応接間といったところだろうか。真ん中におそらく一本の巨木を彫って作られた大きな卓がひとつあって、床の間に日本画の掛け軸が飾られている。


 清恵が座布団を三枚持ってきて敷いた。


 瞳は、隣の部屋に続いているふすまから離れて、床の間に近いほうに座った。和室のマナーについては明るくない祥子ではあったが、なんとなく、あちらが上座か、と察した。清恵の配慮だろうが、これだけで晃と祥子のこの屋敷での身分の低さを感じてしまった。


 清恵がお茶を運んでくる。彼女は明るい声で「沼津の愛鷹あしたかという地域で取れた上質な茶葉ですよ」と言ったが、誰の耳にも入っていないことは明らかだった。


「清恵、あなたは席をはずしなさい」


 瞳がそう言うと、清恵はなんら抵抗することなく「はい」と言って立ち上がり、障子戸から部屋を出ていった。


 しばらく、沈黙が続いた。


 祥子は正座をしたまま、膝の上で拳を握り締め、斜め下、テーブルの上を見つめた。心臓は耳元にあるのかと思うほど胸の中で跳ね回っており、喉がからからに渇いてお茶を飲みたくなる。けれど晃と瞳が微動だにしないので、茶碗に手を伸ばせない。


 気まずすぎる。


 晃と瞳はしばらく黙って互いの顔を見ていた。瞳は無感情な目をしていたが、晃は緊張しているのか、かなり硬く、ともすれば瞳をにらんでいるかのようだった。こんな晃の姿を見るのはどれくらいぶりだろう。日常生活の中ではまったく見られない姿だった。


 今の二人の様子から察するに、この二人はあまり仲が良くない。


 祥子の母親である糸織が亡くなって、すでに十四年が過ぎている。そのため、祥子には母親というものがどんなものかわからない。けれど、動画に残っている糸織は、甘くまろやかな声で笑う女性だった。赤ん坊の祥子を抱き締めて頬ずりをし、「祥子ちゃん可愛い」「ママ、祥子ちゃん大好き」と繰り返している。それを思い出すと、祥子が高校生になったくらいでは、糸織と祥子の間はこういう空気にならないであろうことが想像できる。


 また、祥子にとっては、瞳は祖母である。


 清恵の言葉から考えると、祥子はおそらく三歳以前には瞳と会ったことがある。だが、記憶にはまったくない。この十三年間では一度も会っていないのだ。それが何を意味しているのかは、今の晃の態度からうっすら感じ取れる。


 小学校の同級生の家庭では、共働きで忙しい両親に代わって祖父母が孫の世話をするのが当たり前だった。下町の亀有では、祖母というものはだいたい粋な江戸っ子のおばちゃんで、七十を過ぎても商店街の個人経営の店のレジに立っていることが多い。そのため祥子も同級生の祖母を何人か見たことがあるのだが、彼ら彼女らとの関係性と、今の祥子と瞳の関係性は、まったく違うもののような気がする。


 そもそも、ここは何なのだろう。晃は渋谷区育ちだと聞いていたので、話が違う。そして、晃の父親、祥子の祖父はどこに行ったのだろう。ここでは暮らしていないのだろうか、それとも自分たちに会いたくないのだろうか。


 かなり長い時が経ってから、瞳が口を開いた。


「――十四年ぶりですね」


 静かな静かな、感情の見えない声だった。


「よくものこのこと」


 それを聞いただけで、祥子は、自分たちは歓迎されていない、というのを痛感した。


「あなたが家を出た後藤牙家がどうなったのか、知っていますか」

「父さんからそれとなく聞いていましたが、深くは知りません。興味がなかったので」

「なんと責任感のない」


 この二人、すごく仲が悪い。


「あなたを藤牙家の長男として厳しく教育しなければならないと思っておりましたが、間違っていたようです。正統な後継者であるあなたが、こんなことになろうとは」

「ええ、間違いでしたね。俺も最初から弟たちに譲っておけばよかったと定期的に考えます」

「馬鹿なことを。兄弟で一番力が強いあなたが責任をもって継ぐべきだったのです。いえ、継ぐべきです。女と駆け落ちしたことは藤牙家の恥ですが、頭を下げて帰ってくると言うのならば、今からでも検討の余地はあります。対魔協ではそれなりに格を上げたようですからね」

「それこそ、ふざけないでいただきたい。俺は二度と本家の敷居をまたぎません」

「生意気な」


 瞳が口元をゆがめる。初めて見せる感情の片鱗だった。


「それで、どうしてここまで。それも祥子を連れて。可愛い一人娘を私たちには会わせたくないのではありませんでしたか?」


 そこまで言うと、瞳は祥子を見た。目が合う。祥子はすぐに視線を逸らし、うつむいた。


「あの女の匂いがしますね。いまいましい」


 瞳がなおも静かな声で言う。


「強い力を感じます。この子も対魔協に入れるのですか」

「いえ」


 晃はきっぱり否定した。


「この子は普通の人間として育てます。いや、そう育てました。この子は普通に高校を卒業して、普通に大学に行って、普通に就職するんです」


 祥子は少し安心した。晃のその力強い言葉が、祥子の心を勇気づけてくれる。


「こんなに強い力を持っているのに」


 瞳が小さく溜息をついた。


「あの女が祥子の力を封印したと聞いた時には呆れ返りましたが、今はその封印が解かれているようですね。今は藤牙家の娘としてふさわしい霊気を感じます」

「この子は絶対に譲りません。母さんにも今日を限りに二度と会わせるつもりはありません」

「弟たちにはまだ子供がいません。あの子たちがあのままなら、祥子が婿を取って藤牙家を継ぐ必要があります」

「絶対にさせません」


 また、少しの間、静かになる。


「それで?」


 瞳の声は、冷ややかだ。


「では、どうして今日ここに来たのですか? いったい何の用ですか」


 晃はしばらく沈黙していた。祥子はその横顔を盗み見て、また不安が込み上げてくるのを感じた。晃の表情が硬い。


 ややあって、晃が足を少し動かした。

 座布団の上から退く。

 両手を畳の上につく。

 頭を下げる。


「祥子の力をもう一度封印したいです」


 祥子は、目を丸くした。


「母さんの――藤牙家の人脈で、ふさわしい呪術師を紹介してください」


 驚愕した。


 そして、少ししてから、嘆息した。


 我が子を愛するということは、子供の頃から因縁のある嫌いな相手にも頭を下げる、ということなのだろうか。


 じわりと涙が浮かんだ。けれど祥子には何も言えなかった。ただただ父の深い愛を感じながらしばらく黙って彼を見つめていた。


 晃も瞳も、何も言わなかった。


 たっぷり数分くらいは経ったのではないだろうか。

 状況を打開しなければならない、と思った祥子は、おそるおそる晃の隣に下がった。

 そして、晃と同じように瞳に向かって頭を下げた。


 顔を上げ、瞳を見る。彼女は冷たい顔でこちらを見ている。


「あの」


 瞳が恐ろしくて、声が震える。だが、負けてはいけない。ここまで連れてきてくれた晃の愛に応えるためには、祥子はひるんではいけないのだ。


「わたし、本当は、全部封印してほしいわけじゃないんです」


 晃が顔を上げ、祥子の顔を見る。それを感じ取っていながらも、祥子は前を向き続けた。瞳の目を見つめ続けた。


「お父さんの役に立ちたいんです。妖魔に立ち向かいたいんです。だから、本当は、コントロールできるようになるのが理想なんです。でも、今はうまくできないし、お父さんを心配させたくないので、我慢すべきなのかも、と……もう少し自分で自分を守れるようになるまではある程度力を封じることも必要なのかも、と、考えています」

「祥子……」


 瞳は黙って祥子を見つめていた。その目からは何も感じ取れなかった。しかし、祥子はまっすぐ瞳を見つめたままだ。背中も伸ばしたままだ。


 どれくらい経っただろうか。


「――わかりました」


 そう言って、瞳が立ち上がった。


「二人とも、少しそこで待っていなさい」






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