第2話 たまには酔っ払いたい!!【晃視点】

* * *


「違うんだよ祥子……お前の十六歳の誕生日は俺が父親になって十六周年の記念日なんだよ……」


 何度も何度もそう繰り返してうじうじしている晃の頭を、隣に座る美咲が「よしよし」と言いながら撫でた。龍平はその反対隣で弱音を吐く晃を肴にちびちびとウイスキーを飲んでいる。


 祥子の誕生日当日の夜、晃は美咲と龍平と三人で新御茶ノ水駅近くのバーに入った。晃がバーなるものに行ってみたかったので、龍平の行きつけの店に連れてきてもらったのだ。マスターも霊能力者で龍平の職業のことも理解しているらしく、カウンターで対魔協の人間が仕事の愚痴をこぼしても聞かなかったことにしてくれる。


 晃は三ヵ月前に三十二歳になったが、今の今までバーというものに入ったことがなかった。お酒が飲める年齢になる前に祥子が生まれてしまったので、育児に追われて夜間に外出すること自体が激減したからだ。宅飲みをしたりチェーンの居酒屋に行ったりしたことはあったが、こういう落ち着いた大人向けの店には縁がなかったのである。


 一方、独身貴族を満喫して遊び歩いている龍平はこういう店に詳しい。晃がちょっと話を振ると、心当たりを何店舗かリストアップしてくれた。実際は三歳しか違わないはずなのに、晃の目には龍平が二十個以上年上に見える。


 三人並んで、カウンターに座る。主役の晃を真ん中にして、晃の右側が美咲、左側が龍平だ。


 こういうところの作法がわからない晃は、食事メニューを見てカレーライスを頼んでしまった。龍平が「まあそもそもこういうところ一次会で来るところじゃないしな」と笑いを噛み殺す。


「おもしろ。お前、昼間はスタバでノートパソコン開いてノマドワーカーして夜はクラブで女の子引っ掛けてそうな外見してるのに、バーに入ったこともねえのかよ」


 龍平はそう言って晃をからかってきた。かあっと顔を赤くした晃を見て、美咲が「もう、あんたそういうこと言うのよしなさいよ」と龍平をたしなめる。


「昼間はコメダでたっぷりカフェオーレを飲みながらスマホで漫画読んで、夜は自宅でYouTubeでJ-POPのMVを流しながら家事をしているが……?」

「ウケる。ものすごい生活感」


 晃は大きく溜息をついた。もう何度目の溜息かわからない。


「この十六年、俺は自分の時間のほとんどを祥子に捧げて生きてきたんだなあ。祥子に友達と遊んできてと言われて、どこで誰と、ってめちゃくちゃ考えちゃった。遊びというものが何なのか、ぜんぜん思いつかなかった……」


 美咲が「よかったわね」と微笑む。


「確かに、晃が外飲みできるのって、祥子がいない時だけだったものね。林間学校とか、修学旅行とか。でも、これから先は、どんどん手が離れていくわけ。いいじゃないの、健全に成長しているということよ」


 彼女の言うとおりだ。祥子はもう幼子ではない。一人で電車に乗って通学し、お小遣いで友達とカラオケに行くことができる。置いていかれているのは、祥子の育児に全力を傾けてしまった晃のほうなのだ。


「私が十代の頃なんて、カラオケでオールして街中で朝日を拝むのが普通だったんだから」

「それって、俺の話? 祥子の話?」

「どっちもよ」


 龍平がつまみのサラミを食べてから語り出す。


「すげえなあ、あの祥子が十六歳なんて。俺は祥子が生まれた時から知ってるから、十六年前の今日には四十七センチしかなかった祥子が百五十八センチになるのを見てきたわけよ。ほぼ三倍だぜ、三倍」


 おもしろい発想だ。こういうのを、他人の子の成長は早い、というらしい。晃は毎日祥子の姿を見ているので、学校から持ち帰ってくる健康診断の結果でしか彼女の身長を意識したことがない。中学二年生で百五十八センチに到達してから変動がないようなので、女の子の彼女の身長はおそらくここでストップであろう。


「そう言われると、でかくなったな」

「お前だってさ、あの時は、十六歳で。高校二年生って言っても、早生まれで、まだ十六歳になったばっかりで。お前、もう人生の半分ぐらい祥子を育ててるんだぜ」


 言われてから気づいた。これから先の晃の人生は、祥子がいない期間のほうが短くなっていくのだ。道理で晃の人生に占める祥子の割合が大きいわけである。


「糸織が妊娠してることが対魔協のみんなに知れ渡った日のことを今でも思い出すわ。もうろせない大きさになるまで親に黙っているというのは、なかなかの覚悟だった。強い女だ。あいつだってまだ十七だったのに」


 祥子が生まれた時、糸織は高校三年生だった。妊娠したことで退学になってしまったが、ちょっと前まで名門女子校のセーラー服を着ていたのだ。今思うと信じられない。今高校生の祥子と当時高校生の糸織を脳内で比較してみると、いかに自分たちが無謀だったかを思い知らされる。


 晃は苦笑した。


「今思えば本当に、俺もガキで勝手だったな、ってすごい反省する。避妊しないでセックスして、妊娠がわかったら堕ろしてくれなんて……でも自分の銀行の口座すら自分で管理してないのに手術費用も用意できなくて……何より糸織さんの気持ちを無視してたな」

「どうかしらねえ」


 美咲がフォークで生ハムを巻きつけたチーズを串刺しにする。


「それこそ、晃だって当時は保護されるべき高校生だったんだから。糸織が自分のわがままを押し通して産んだんだという解釈もできるじゃない? 実際その後苦労したのは晃なんだし。糸織は早々に死んじゃって、晃が男でひとつで祥子を育てて」

「美咲が糸織さんに批判的なこと言うの珍しいな」

「今だから言えるけど、私もショックだったのよ。なんでそんなにお腹が大きくなるまで相談してくれなかったの、って。私たち、親友なのに。妊娠出産って人生を根本から変えるすごく大きなことなのに……あの子全部晃と二人だけで決めちゃったんだわ、と思ったらさみしかったわ」


 龍平がマスターに「同じやつ、ロックで」と注文した。マスターが暗がりからぬっと出てきて、新しいグラスに大きな氷を入れた。


「祥子が無事に大きくなったから」


 晃は目の前にある汗をかいたソルティドッグのグラスの露をなぞった。


「なんかほんとに、こう、祥子に障害とかあったらどうする気だったんだろうな……。もう、今となっては恐ろしいことだらけ」

「若さってこええなあ」

「マジ、そう。だから」


 そこでまたひとつ溜息をつく。


「俺が糸織さんを妊娠させた時より今の祥子のほうが月齢が上……? と思うと、かなり絶望的な気持ちに……」


 三人とも、しばらく沈黙した。


「まさか、祥子も妊娠できる……? とか考えちゃうと、沼」

「お、おお……」


 美咲が今までより少し大きな声で「そうよ、そうよ」と言った。


「なんだっけ、宮崎くんじゃなくて宮本くんじゃなくて」

「小宮山?」

「今年の隅田川の花火大会はそいつと行くわよ、絶対! 私の予言を信じなさい」

「怖いこと言うなよ! うちの祥子はそんな女じゃありません!」


 龍平が人差し指を唇の前に立てて「しっ、音量がでかい」とたしなめてくる。


「ほんとにほんとにやめて……お願い……! 俺がどんだけ苦労してきたか見てきたでしょ……高校生で子供を作るのだけはやめて……!」

「祥子に直接言えよ」

「そうよ、必要なのは性教育よ。今学校では保健体育の時間にどんなことを教えてるの?」

「保健体育……そうだ、教科書。祥子に教科書見せてもらおう。活字嫌いだけど、そんなこと言ってる場合じゃない」


 美咲のほうに体を向けて「助けて美咲、祥子に何か話して」と泣きついた。男親と女の子でそういう話をするのはどうなのかと不安になるからだ。気持ちが悪くないだろうか。同性の美咲なら、と思ったが美咲は「あんたの経験談を話してあげたら」などと言う。


「祥子……大人にならないでくれ……」

「無理だ無理だ、がんばれパパ。お前ならなんとかなる」


 晃はもう何度目になるかもわからない溜息をついた。


「祥子、永遠に五、六歳くらいのままでもよかったのにな。十年前に戻ってくれないかなあ……」


 しかしそれは本人の前で口に出してはいけないのだ。彼女は彼女なりにがんばって大人になろうとしているはずだからだ。それこそ、十六歳の頃の晃は、早く大人になりたかった。親になるとあの時の気持ちを忘れてしまうらしい。


 高校のブレザーを着ている祥子の姿が脳裏に浮かぶ。今頃あの恰好のままカラオケルームでケーキを食べているのだろう。晃には、もう、変な目に遭いませんように、と祈ることしかできないのだった。






 結局、晃が帰宅したのは二十二時を過ぎてからだった。祥子には二十二時までと言っておきながら自分が破ってしまうのはどうなのか、という申し訳ない気持ちと、俺はもう大人で補導はされないから、という威張りたい気持ちとがごちゃ混ぜになる。祥子はもう寝てしまっただろうか。早寝早起きの子なので、布団にもぐっている可能性は高い。


「ただいま」


 一応玄関でそう言って靴を脱いだ。するとすぐさまリビングのほうから「おかえり」という甘い声が返ってきた。りし日の糸織を思い出す、柔らかくてまろやかな声だ。


「まだ起きてたのか」


 そう言いながらリビングに入ると、祥子はキッチンに立っていた。晃が恥を忍んでランジェリーショップで買った、ピンクのもこもこした高価なルームウェアを着ている。そして、ヘアクリップで前髪を留めて顔を出している。妖精のように可愛らしい少女だ。


 彼女は満面の笑みで冷蔵庫の冷凍室を開けた。中から見覚えのあるアイスクリームショップのロゴが書かれた大きな箱が出てきた。


「はい、お父さん、アイスケーキ買ってきたよ」


 一点の曇りもない笑顔だった。


「お父さん、アイス好きでしょ」

「どうした、アイスケーキなんて、急に」

「今日はお父さんもお父さんになった記念日なんだなー、と思ったら、たまにはわたしがケーキを買おうと思ったの」


 晃は衝動的に祥子を抱き締めた。祥子が腕の中で「溶けちゃうよ」と笑う。


「お父さん、いつもお疲れ様」


 彼女がいとおしくていとおしくて仕方がない。


 今日も糸織に感謝だ。


 晃は涙をこらえたまま、しばらく祥子を抱き締めていた。







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