第6話 これが最善だったのよ

「学校、休ませちゃった……」


 五月の輝く太陽を見上げながら、晃が呟いた。自分の介抱のために祥子が学校を休んだことをまだ気に病んでいるらしい。祥子は溜息をついた。


「もー、もういいでしょ。しょうがないでしょ、親が死にかけたのに悠長に勉強できる娘がどこにいるのよ」

「でも二日だぜ。二日! 明日から土曜日だから四連休かあ」

「四連休っていう言い方なくない? 遊んでたわけじゃないんだからさ」


 会計を済ませた美咲が、病院の自動ドアから出てくる。書類をトートバッグに入れながら、「いつもどおりに戻ったわね」と苦笑する。


「これ労災になるの? 見舞い金とか出るの?」

「そう、労災よ。でも娘の異能で回復したやつが見舞い金を期待するんじゃない。二日間の休業では傷病手当は出ません。医療費がタダになっただけ喜んでちょうだい」

「食事代やベッド代もタダになるの?」

「それは協会が負担しました。澤課長に感謝しなさい」


 晃が病院に運ばれてから、はや三十六時間ほど経過した。祥子が治癒能力を使ったために完全に回復していたが、念には念を入れて、ということで、一日入院してあれこれ検査をしたのである。結果健康と太鼓判を押されてすぐに退院することになった。


「龍平はなんで来ないわけ?」


 晃が不機嫌そうな声を出す。


「俺、あいつがぴよぴよちゃんたちのケツぬぐいをしようとか言わなかったら新宿行かなかったんだけど。すべてあいつのせいだろ。俺に謝罪しろよな」


 晃の家出のきっかけを作った祥子や、晃と妖魔を戦わせるきっかけを作った若手退魔師たちが罪の意識を感じてさんざん泣いたというのに、晃本人は新宿に連れていった龍平の責任を追及しようとしているらしい。祥子は、勝手にしろ、とも、涙を返せ、とも思いながら無言で父を見つめた。でも、この面子の中では龍平が最年長だし、性格的に受け流しそうな気もするから、放っておいてもいい気がする。祥子を引き取ると言ってくれた時や封印を解くのに反対してくれた時の龍平は頼もしくかっこよかったが、普段はそういうキャラではないので仕方がない。


「龍平は夜勤シフトの人だから、今頃家で寝てるのよ。可哀想だから寝かせておいてちょうだい」

「なーにが可哀想だ、いつもと違うシフトで労働させられて死にかけた俺のほうが百倍可哀想だろうが」

「龍平は龍平なりにいろいろ考えてるの。昨日だって一人で川崎まで行かされて必死に働いてきたんだから、あんまりつつかないであげて」

「しょうがねえなあ、結果として死ななかったから、焼き肉でチャラにしてやるか……」

「え、焼き肉? あんたの胃、三十過ぎてもまだ焼き肉食べられる? うらやましいんだけど」


 晃が大仰な溜息をつく。


「それにしても、祥子の力、マジでどうしよう。板垣のクソババア、糸織さんが一年かけてかけたまじないを簡単に解きやがって」


 祥子は少し緊張した。


 どうやら糸織は母乳を通じて自分の力を祥子に注ぎ続けていたらしい。彼女は娘が一歳になるまでに娘の力のすべてをがんじがらめに封印することに成功した。娘の祥子は自分にそんな力が秘められていることに気づかずに成長した。


 祥子には、藤牙家の力と山秋家の力が混ざり合った強力な血が流れているのだそうだ。母親の力で十五年間封じられてきた祥子自身には、実感がまったくない。今思えば、晃が張った結界の中で意識を保っていられたこともあったのだし、気づくきっかけはいくらでもあった。けれど母のおかげですっかり鈍感になっていた。


 いずれにせよ、これから先、祥子はその甘美な血を狙った妖魔につけ狙われることになると言われた。


 怖いが、仕方がない。晃を救うためには、それしかなかったのだ。


 それに、これから晃の役に立てるかもしれない、と思うと、ちょっと嬉しかった。ずっと守られる一方だった自分が、晃や、美咲や龍平といった対魔協の人たちのために働ける可能性がある、というのは、祥子にとっては喜ばしいことまだ。


「とにかく、祥子」


 晃が険しい顔で言う。


「お前、これから先、絶対に嘘をつくんじゃないぞ。どこに行くのでも何をするのでも俺に報告しろ。俺がお前の行動を把握できていなかったら、お前を助けに行くこともできないんだからな」


 祥子はにっこり笑って「はあい」と言った。晃が「本当にわかってるのかよ」と頭を抱える。


「お父さんはこれからお前の力を封印してくれる呪術師を探すから。それまではお父さんがなんとか力の抑え方を教えるから。いやわからないけど。藤牙家の力は俺が抑えられると思うけど、山秋家や糸織さんのドイツ人のばあさんのことは何もわからん」


 美咲が「晃、本当に大丈夫?」と晃の顔を覗き込む。晃が「なんにも大丈夫じゃねえんだよ」と唸るように言う。


「まあ、でも、しょうがないわよ。未成年の子供にとっては、親が突然死することも虐待なんだから。祥子の将来のことを考えたら、これが最善だったの。そうであるに違いない」


 虐待、というキーフレーズに弱い晃が、ぐっと黙る。そういえば祥子が小さい時に児童相談所に通報されたことがあると言っていたのを思い出した。祥子の人生は晃のおかげで波乱万丈だ。


 それでも、晃は晃なりにがんばって祥子を育ててくれたのだ。


 三人は駅に向かって歩き出した。


「お父さん」


 祥子は腕を伸ばして、晃の腕に絡めた。腕を組み、体を寄せる。密着する。


「ごめんね、お父さん。わたし、もうあんなこと言わないから。それに、週明け学校に行ったらあの時の三人には本当のことを話そうと思う」


 晃が「祥子……」と呟く。


「俺はいいんだぞ。恥ずかしいと言われるのはかなり厳しいけど、うちが変なのは事実だからな」

「でも、三人にも嘘をついちゃったことになるし。またこうやって学校を休むことになった時に、なんて説明したらいいのかわからないから」


 ちなみに、今回はとりあえず晃には交通事故に遭ったことになってもらった。それが一番普通の家庭っぽかった。


「もうこんなことないよ」


 晃はそう言ってから、目を伏せて、「いや」と呟いた。


「あの野郎、また来るかもな。もう一回戦うことになるかもしれない。じゃっかん俺に執着してるっぽいそぶりを見せたし、今後祥子の霊気の匂いが拡散されて妖魔の間で情報共有されてしまったら祥子を探しに来るかもしれない。AA級以上の妖魔はこざかしいことをする」


 晃の黒い瞳が、鈍く光る。


「あいつの相手は俺でないとできない。俺が過去に戦った妖魔の中では二番目の強さだ。糸織さんを殺した妖魔の次に強い。あれは、俺にしか倒せないんだ」


 祥子は、晃の腕を、ぎゅ、と抱き締めた。


「無理、しないでね」


 晃の手が、祥子の頭を撫でる。


「祥子の未来を守るために、絶対勝つから安心しろ」


 不意に祥子が背負っているスマホと財布とハンカチと文庫本一冊くらいしか入らない小さなリュックサックから、LINEを受信した音が聞こえた。立ち止まり、晃から手を離して、リュックサックを開ける。スマホを開く。


「あ、小宮山くんだ」


 晃が鬼の形相で祥子のスマホをにらんだ。


「お父さん大丈夫? 無事に退院できそう? 俺もお父さんに付き添おうか? だって」

「余計なお世話だー! 貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはねえー!」


 晃の手が伸び、祥子の手からスマホを取り上げようとした。祥子は抵抗しながらもなんとなく嬉しくて笑ってしまった。


「お父さん、だいすき」


 だからずっとわたしと一緒にいてねと、その言葉は宙に溶けていった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る