第4話 新宿区役所前 後編【晃視点】
妖魔の首が伸びた。どうやらろくろ首だったようだ。
晃は妖魔の首を斬ろうとした。左から右へ刀を水平に薙ぐ。首がさらに伸び、刃を受け止めるようにうねる。まるで手応えがない。しかし実体化している状態ではあるので、斬れないことはない。追い掛けるように刀を振り、ややあって跳ね飛ばすことに成功した。黒に近い紫色の体液が噴き出す。
この手の妖魔は急所が首ではないことが多い。妖魔の頭部が地面に転がった、と思ったら、次の頭が首の切断面から生えてきた。蛇のように口を大きく開いて牙を向けてくる。
「龍平!」
晃がそう呼ぶと、龍平が「あいよ」と答えて両手を構えた。
龍平の手の中から、銀色の光があふれてくる。その光はやがて龍平の手の中に戻っていき、
龍平の拳銃から放たれた銀の弾丸が三発、全弾ろくろ首の頭部に命中した。一発は牙を折り、一発は頬を貫通し、最後の一発は目玉を潰した。ろくろ首が強烈な悲鳴を上げた。
どうしても日本刀の間合いでしか斬れず近距離攻撃特化の晃と、数メートル離れたところから弾丸を撃ち込める遠距離攻撃特化の龍平は、戦闘スタイル的に相性がいい。晃が前衛、龍平が後衛となれば、ほぼ100%の妖魔を倒せる。晃は龍平を信頼して背中を預けるようにしていた。しかしそんなことを言うと調子に乗るので普段は口にしない。
発砲音がする。ろくろ首の喉に大きな穴が開く。
首がさらに伸びた。残った片目が龍平を見ている。
龍平に気を取られている。
晃はろくろ首のふところに跳び込んだ。
胴体を斬り裂く。
着物がはだけ、胸のあたりに縦に大きな口が開いた。肋骨にあたるものが牙となり、晃に噛みつこうとした。だが晃はさらに踏み込んだ。胸の中心に刀を突き入れる。硬いものに刺さる。心臓にあたるものに核があったのだ。予想どおりだ。
ろくろ首が断末魔の悲鳴を上げた。
紫色の液体を噴出しながらろくろ首が消えていき、やがて、完全に蒸発した。
安心したらしい谷が這い出てきて、「さすが晃さんと龍平さん」と力のない笑みを浮かべた。
しかし龍平はまだ銃を構えたままだった。
「来る」
龍平の視線の先を見る。
晃も、そのすさまじく大きなオーラの存在を感知した。
巨大で邪悪な何かが、近づいてきている。
久しぶりに、手が震えた。
最後にこんなに強烈な力の存在を感じたのは、年単位ぐらい過去のことだ。三十路を超えてからは一度もない。
強い。
それこそ、糸織を死なせた時のAAA級くらいかもしれない。
「やあ」
それは、晃の結界を簡単に破って入ってきた。まるでキャンプのテントの出入り口のようにめくり上げ、笑顔で難なく侵入してきた。
人間の男性型の妖魔だった。人間の年齢で言えば二十代後半から三十代前半程度だろうか。上半身は裸で、筋骨隆々とした肉体の赤い肌に黒い刺青のような模様が入っていた。顔立ちは太めの眉が凛々しく、なかなかの色男である。下半身にはガウチョパンツのようなものを身につけていて、裸足だ。何より特徴的なのは、六本の腕だった。左右三本ずつ、筋肉質の腕が生えている。
「これはまた活きのいい退魔師だね。男ばかり三人なのが残念だが、レベルの高い退魔師を食べると寿命が伸びるそうだからね。おいしくいただこうと思うよ」
びりびりとした気迫に、鳥肌が立つ。
「特に、君」
妖魔と、目が合った。彼は晃に話し掛けている。
「すさまじい気の大きさだ……人間とは思えない。強く、そして、美しい顔をしている……」
うっとりと目を細める。
「君、年はいくつだ」
「三十二」
時間を稼ぐためにそう答えた。稼いだ時間で妖魔の様子を探るためだ。どこが弱点か。どんな技を繰り出してくるか。どれくらいの力を持っているか。
「残念だ」
妖魔が悲しそうな顔をする。
「人間は発生してから二十年ほどで肉体の最盛期を迎えると聞いた。あと十年早ければもっとおいしかっただろう……もっと強くて殺しがいがあり、もっと美しくて食べがいがあっただろう。人間はなぜ老いるのか、もったいない」
こいつは、本気でそう言っている、というのが、わかる。
「名を聞こう。君は何者か、教えてくれ」
妖魔が半身を引き、六本の腕をそれぞれに構えた。なんらかの武術の構えに見えたが、六個も手があるので、何の流派か、どれをどう繰り出してくるのか、見当もつかない。
だが、ここで引くわけにはいかない。
晃も刀を両手で握り、構えた。
「藤牙晃」
妖魔がわずかに目を見開き、そして、笑った。
「君が藤牙家の最高傑作か! 光栄だ。私は藤牙家の人間を喰う幸運に恵まれたのだ!」
彼が目の前に跳び込んできた。一瞬のことだった。
だが六本の腕は実体化しており、物理法則のとおりに動くらしい。関節の曲がり方はほぼ人間だ。
晃は迫ってくる手に刃を押しつけた。
硬い。金属でも斬っているのようだ。実際、キン、という甲高い音がする。
手を二つ同時に相手をする。刃で手を受け止め、そのままもう一本の手を斬ろうとする。音が鳴る。音楽のようだ。
強い。
銃声がした。龍平が銃を撃ったのだ。だが妖魔には腕が六本ある。龍平の銃弾を二本の手で受け止める。弾丸が刺さったところから紫色の煙が上がるが、さほどダメージが入ったようには見られない。
「邪魔をするな!」
妖魔が龍平を怒鳴った。
「私は今藤牙晃と戦っている! 貴様のような雑魚が手を出すのではない!」
そう言っている隙を狙って妖魔の喉を斬り裂こうとした。やはり硬いが、妖魔が顔をしかめるので、なんらかの効果はあるのだろう。このまま力任せに押し切るか。しかしそのコンマ数秒の計算をする間で妖魔の四本の手が襲ってくる。手刀がぶつかりそうになった頬や腕から赤い血が滲み出た。
いったん引くか。
一歩大きく下がった。
妖魔が、紫黒色の血を流す首に触れる。表情が強張っている。やはり効き目はあるらしい。
晃も久しぶりに怪我をした。かすり傷ではあるが、自分が血を流したのはどれくらいぶりだろう。妖魔と戦っていて傷をつけられたのは数年ぶりの気がする。
「さすがに一筋縄ではいかない、か」
妖魔がそう呟きつつ、また、腰を落とし、武道の構えを取る。
「来い、藤牙晃」
十代の頃だったら、喜んで跳び込んでいただろう。強い敵と巡り合うことに興奮していた。楽しみを見出していた。レベルの高い妖魔との戦闘の場をここが自分の居場所なのだと認識していた。
だが、今は冷静だ。刀を構えたまま、深く呼吸をする。
死ぬわけにはいかない。
祥子が家で待っているのだから。
「龍平」
妖魔と真正面から向き合ったまま、背後数メートルのところにいるであろう龍平に話し掛ける。
「こいつはおそらく人間同様頭部が弱いと思う。俺が腕を斬り落とすから、首から上を撃て」
龍平は「了解」と即答した。妖魔は「つまらない」と顔をしかめた。
「私はね、藤牙晃。君と戦えることを、心から喜んでいるのだよ」
「斬る」
妖魔が話し終える前に踏み込んだ。
妖魔の腕が襲い掛かってきた。
ぶつかり合う。
全力で立ち向かう。
ところが、想定外のことが起きた。
妖魔の腕のうちの一本に、矢が突き刺さったのだ。
晃もまた、驚いて目を丸くした。
妖魔が動きを止めた。矢が飛んできたほうを見た。晃もそちらに視線をやった。
迂闊だった。
そこに、スーツを着た若い女が立っていた。金色になるまでブリーチをかけた長い髪をツインテールにして、目が大きく見えるコンタクトレンズを入れた、可愛らしい娘だ。化粧が落ちて、目の周りが黒くなっている。頬から流れる血をそのままに、真剣そのものの顔をして、霊気でできた弓を構えている。
「
谷の一つ年下の職員、退魔師を始めてまだ二年の女の子だ。
彼女は普段の甘えた態度からは想像もつかなかった真面目さで、妖魔に矢を放った。
「馬鹿! 逃げろ!」
晃が怒鳴ったが、彼女はなおも弓を構え、矢をつがえた。
妖魔が腕から矢を引き抜いた。紫の液体が噴出する。腕がだらりと下がる。それなりのダメージがあったようである。表情にも憤怒の感情が浮かんでいる。
「邪魔をするやつは殺す」
妖魔が有紗のほうに向かって走り出した。
晃も走り出した。
妖魔が腕を振り上げる。
有紗が血の気の引いた顔で妖魔の腕を見つめている。
その、有紗のまだあどけないと言ってもいいくらいに若い顔が、祥子と重なった。
晃は有紗と妖魔の間に割って入った。
有紗を突き飛ばし、地面に押し倒してから、有紗を隠すように仁王立ちになった。
左胸から腰の右側にかけて、強烈な痛みが走った。
妖魔の手が、晃の腹に、食い込んだ。
熱い。
有紗が悲鳴を上げた。
「晃さん!!」
だがただでやられてやるわけにはいかない。
至近距離になった。
晃は刀を振りかざした。
自分の腹に刺さったままの腕を、斬り落とした。
妖魔が「があああ」と叫び声を上げた。
「やってくれたな、藤牙晃!」
腕が一本、蒸発して消える。
有紗が射貫いた一本、晃が斬り落とした一本、合計二本の腕が再起不能になった。
「くそ、殺す、殺す、殺す」
焦った様子の妖魔に、龍平が弾丸を撃ち込む。肘に銃弾がめり込んだ妖魔は、のけぞって大声を出した。
「くそ、くそくそ人間ども、くそ」
妖魔が龍平のほうに向かった。しかし今度こそ谷が動いた。霊気でできた巨大な斧を振りかぶって、妖魔の腕に振り下ろした。妖魔の腕に傷が入る。谷では斬り落とすことまではできなかったが、これで腕が四本使えなくなったことになる。
妖魔が後ずさり始めた。
「ここはひいてやる。私が食うまで死ぬなよ、藤牙晃」
そして、彼は言った。
「私の名前は
それを最後に、彼はふたたび晃の結界を突き破って逃げていった。
妖魔の瘴気が、完全に、消えた。
緊張が解けて、力が抜けた。
晃の体が後ろに倒れていった。有紗の上に崩れ落ちる。有紗が晃の傷ついた肉体を抱き締める。
「晃さん、晃さん」
有紗が幼子のように泣きじゃくる。いつだか祥子もこうやって泣いていた。
「どうしてあたしなんかかばったんですか……! 下級退魔師の一人や二人、見捨てればいいじゃないですか……! あたしなんかじゃ晃さんの代わりにならないよお……!」
「いいや、お前は責任感の強い、いい子だ」
晃は激痛に耐えながら笑った。
「有紗にも、お父さんとお母さんがいるだろ」
ゆっくり、まぶたをおろす。
「親御さんが、心配するから……」
視界が真っ暗になった。
意識が途切れる寸前、祥子のことを思い出した。
祥子、ちゃんとカツ煮食べたかな。
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