竜殺しに必要なもの

山の下馳夫

第1話 竜殺しに必要なもの

 邪竜イドラの断末魔が洞窟の中に響き渡った。

 耳を劈くような最期の咆哮だったが、賢者から聞き及んでいた竜のしぶとさを警戒し、剣を持つ手から力を抜くことはなかった。

 案の定、イドラは首だけになってもまだしばらく意識があるようだった。その縦長の瞳孔に、私の姿が映し出された。母親譲りの金髪は鮮血に染まっていた。

「さらばだ、イドラ、大陸を恐怖に陥れた邪竜よ、父母の敵とらせてもらったぞ」

 私は声を絞り出した。洞窟に反響した己の声は、父の低い声を思い出させた。

「……、ああ、あの時の小僧か」

 先ほどまで私と死闘を繰り広げていたイドラは、ついに自らの命の終わりを悟ったように言葉を紡いだ。古来より邪悪な竜と言葉を交わすことは危険と言われているが、私は長く大陸の人たちを苦しめ、両親を殺したイドラをただの魔物のように倒すだけでは許せなかった。

「あの時母親に庇われていただけの小僧が、かの勇者ミースとはな――」

 首だけになった邪竜は私と、自分を倒した剣を見つめた。泉の女神の祝福を受けたこの剣は、竜殺しの剣としても語り継がれることになるだろう。私はイドラが古の英雄譚に登場する竜のように、何か予言を残そうとしているのかと身構えた。

「いやミース、私はたしかにお前の母の敵ではある。ああ、確かにそうとも。だが、竜の誇りにかけて、この牙も炎もお前の父を殺めておらんぞ」

 首だけになったイドラがその顔を歪めて笑う。

「お前の村からこの洞窟に来たのであれば、かの泉に立ち寄っているはずだ。その剣が何よりの証拠……もう一度立ち寄ってみれば良い、ああ、これは愉快だ。冥府への良い土産話になるぞ」

 邪竜は心底愉快そうに語り、そしてそのまま動きを止めた。およそ千年にわたり大陸を恐怖に陥れた邪竜はついに滅びたのである。

 だが、かの竜は私の中に一つの疑問を残していった。確かに今私が持つ剣はエルフによって鍛えられ、『聖なる泉』にて女神の祝福を受けたものである。十歳の時に邪竜によって焼かれた村から出立した私は、この剣を得るまで様々な苦労をしたものである。

「覚えていない……」

 今まで繰り広げた戦いや、冒険を思い返してみる。どれも印象強く、すべて明瞭に思い出せる……だが、『聖なる泉』の記憶だけは思い出せなかった。


 故郷の村へと帰還する際、私はあらゆる場所にて歓待を受けた。吟遊詩人が竜殺しのミースを讃える勲を歌い、持ち帰ったイドラの鱗を崇めた。

 だが、いかなる美酒や美食、一国の姫からの婚姻の申し出も私の心には響かなかった。私はかつて訪れたというのに、記憶からすっぽりと抜け落ちている『泉』へと急ぐため、一か所に長くとどまることを選ばなかった。

 イドラの討伐からひと月もせず、私は『聖なる泉』へとたどり着いた。やはりどう考えても訪れているはずの場所に泉は存在しているのだが、私は目の前にしても、何も思い出せなかった。

「女神よ、私の願いを聞いてくれ」

 記憶がないとはいえ『聖なる泉』の伝承はこの大陸において有名だ。泉に魔を宿すものを投げ入れると、泉の女神が願いを叶えてくれるのである。私は代償となるイドラの鱗を投げ入れた。

「……ミースよ、目的を果たしたのですね」

 泉から、美しき女神の姿が現れた。

「やはり、私はあなたと会ったことがあるのですね……」

 女神は何も答えなかった。女神は鱗の代償に三つの願いを叶えてくれると約束した。おそらくこの問いに答えるのも願いの一つとして数えてしまうのだろう。彼女は口をつぐんだままだった。

 私は邪竜の末期の顔を思い出しながら、女神に問うた。

「女神よ、私の母の命を奪ったものの姿を教えて下さい」

 予想していた通り、女神の姿が邪竜のものへと変化した。私は、恐る恐る、次なる質問を口にした。

「女神よ、私の父を殺したものを教えて下さい」

 邪竜の姿をした女神は、私の願いを聞きまたその姿を変えた。最初の女神と同じように美しいが、今度は黒髪ではない、金髪の女性の姿だった。

「母さん……」

 見た瞬間、すべてに合点が行った。いや、おそらく、父を殺したものと聞いた時点で、女神は私の願いを読み取り、私がこの泉のことを忘れた時の記憶を蘇らせたのである。

 私は何度も魔なるものを倒しては、この泉に来ていた。そして、そのたび、恐るべき事実から目を背けるため、自分の記憶の消去を願っていたのである。

「あなたは何度もここに来ているのですよ、そのたびに自分の父親を殺した仇の姿を求めていたのです」

 記憶が次々と蘇った。私は、少年の時は女神に縋りついて泣いていた。「ママにならないで」幼い時は、残酷な真実に耐えられず泣き続けたのを思い出した。

 それでも、私は邪竜を屠るために、前に進むために戦いに有利になるような情報や力だけは得て、不必要なものは忘れていた、都度父を殺した母の記憶の消去を願ったのである。ああ、でも

「女神よ、これで最後でいい。もうすべてを忘れさせてくれ……、父母も竜も、ここに来る方法も……」


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