嘘より深く、真実より遠く
@ryu1974
第1話
## 📘 第1話:理想の嘘
夜の六本木は、嘘の似合う街だった。
ネオンは真実を照らさず、
グラスの中の氷は、誰の心も冷やさない。
この街では、“本気の顔をした嘘”だけが生き残る。
神崎レイは、バーのカウンターに肘をつきながら、
グラスの縁を指でなぞっていた。
その仕草は退屈そうでいて、計算されていた。
彼女の隣に座る男が声をかけるまでの時間を、
正確に測るための“間”だった。
「ひとりですか?」
来た。
声のトーン、距離感、視線の角度――
すべてが“誘い”としては平均点。
レイは微笑んだ。
この夜のターゲットは、彼ではない。
彼女の視線は、鏡越しにもうひとりの男を捉えていた。
奥のソファ席。
グレーのスーツにノータイ。
グラスを持つ手は左。時計はしていない。
目線はスマホに落ちているが、時折、鏡越しにこちらを見ている気配がある。
(悪くない。話し方も、距離感も、計算されてる。
でも――私のほうが、上。)
レイはグラスを傾けた。
氷が音を立てて揺れる。
その音すら、彼女にとっては演出の一部だった。
彼の名前は、朝倉ユウ。
表向きは投資アドバイザー。
だが、レイの調査によれば、
その実態は“感情”を投資対象にする、もうひとつの詐欺師――
ではない。
少なくとも、今のところは。
(ただの金持ち。少しだけ演技がうまいだけ。
私の手のひらで転がすには、ちょうどいい。)
*
「あなた、嘘をつくとき、左の口角が少しだけ上がるのね。」
レイがそう言ったのは、
グラスを三杯重ねたあとのことだった。
ユウは驚いたように笑った。
だが、その笑みもまた、演技だった――と、レイは思った。
「それは光栄だ。君にだけは、見抜かれてもいいと思ってた。」
「嘘ね。」
「もちろん。」
ふたりの会話は、まるでダンスだった。
ステップを踏みながら、互いの懐を探る。
どこまでが本音で、どこからが罠か。
それを確かめることが、この夜の“遊び”だった。
*
「理想の恋人って、どんな人だと思う?」
ユウがふと、そんなことを聞いた。
レイは答えなかった。
代わりに、グラスを傾けた。
「理想なんて、最初から存在しない。
でも、そう“思わせる”ことはできる。」
「つまり、君は理想を演じてる?」
「あなたも、でしょ?」
沈黙が落ちた。
だが、それは不快なものではなかった。
むしろ、互いの“仮面”が、
少しだけ透けて見えたような気がした。
*
その夜、ふたりは連絡先を交換した。
それは恋の始まりではなく、
ゲームの開始を告げる合図だった。
神崎レイは、バーを出たあと、
スマホの画面を見つめながら小さく笑った。
(この夜も、私のペースで終わった。)
だがその背後で、
朝倉ユウは、同じようにスマホを見つめていた。
そして、まったく同じ笑みを浮かべていた。
*
世界はまだ、ふたりが同じ“種族”であることを知らない。
それは、もう少し先の話だ。
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