ふしぎな転入生と二人のヒミツ

水涸 木犀

第1章 ふしぎな転入生

1話 チハル

 イヤなことがあった日も、塾に着くとゆっくり深呼吸をすることを思い出す。少し長い外階段を登り、入口から一番近い教室に入って、わたしは大きく息を吸う。

 中学校に入学してから二か月は、あっという間だった。入学前から、お母さんがわたしを塾に入れようとしていたから、放課後は塾に行けばいいかと思い帰宅部になった。中学のクラスはまあ、こんなものかって感じ。ミーハーでおしゃべり好きな女子が集まっているのは小学校のころと一緒だし、それを冷めた目で眺めているわたしも同じ。いじめられないだけ、ましだと思う。

 あとは、小学生のころより、男子と女子の距離がちょっと遠くなった気がする。別に小学生の時だって、仲のいい男子がいたわけじゃない。けれど、「男子」と「女子」の間にはっきり線が引かれた感じ。前ほど気軽に話しかけられる存在じゃなくなった。

 いじめられているわけでも、直接イヤなことを言われるわけでもない。でも、女子とも男子とも、どうやって話せばイヤな感じにならずに済むのか、わたしにはまだわからなかった。中学校にいると、息をするのが苦しい。

 その点、塾は気軽でいい。塾の中は、いくつかの中学校から来ている人が集まっていて、わたしと同じ中学校のひとは他にふたりしかいなのだ。そのふたりはクラスが違うから特に接点もないし、学校の人間関係が塾に持ち込まれることはない。それに、ここにはアユがいる。

「チハル? 今日も考えごと?」

 ちょうどわたしがアユのことを考えていた時に、本人から声をかけられてびくっとした。振り返ると、小柄で目がきらきらしているショートヘアの女の子が、ちょうどわたしの前に回り込もうとしているところだった。お互いにお互いを見ようとしてすれ違い、思わず吹き出してしまう。

「いや、なんかもういいや。今のくだりでどうでもよくなった」

「はは、そっか」

 明るく笑ったアユはそれ以上踏み込んでくることなく、自分の席に鞄を置いてから改めて、わたしの席へとやってくる。

 アユ――七瀬ななせ あゆみ――は、中学生になって初めてできた、友だちといえる存在だ。中学校は違うけれど、いや違うからこそ、色々なことを気にしないで話ができる。あと、好奇心旺盛なわりに聞かれたくないことには踏み込んでこないところが安心できた。わたしが塾で平穏な時間をもてているのは、アユの存在によるところが大きい。

「チハルさ、教室入ってくるときに座席表見た?」

「いや、見てないけど。席替えあったっけ?」

 わたしの記憶にある限り、塾で席替えをするという話は聞いていない。そう思い聞き返すと、アユはいいことを聞いたときみたいに身を乗り出してきた。

「たぶんね、今日から新しい人が来るよ! 座席表に、見たことがない名前があったから」

「そうなの?」

「うん。チハルの右ななめ後ろの席。今までそこ、誰もいなかったでしょ?」

 アユの言った席は無人だったところだ。一応振り返って確認するけれど、案の定誰もいない。

「こんな時期にうちのクラスに来るって、上のクラスについていけなくて落ちてきたとか?」

「相変わらずチハルは厳しいなぁ」

 苦笑いを浮かべたアユは、ほら、と扉の外を指さす。

「座席表、見てみようよ。確か、上のクラスにあの名前の人いなかったから、転入生なんじゃないかと思うんだ」

 中学校が始まって二か月。こんな中途半端な時期に、転入生が来ることなんてあるのだろうか。そう思いつつも、座席表の名前を見ればわかることなので、アユに促されるまま教室の外に出る。

 扉の脇には、わたしのクラス、1M――中級ミドルクラスという意味だ――の座席表が貼られている。わたしの名前、大川芽花はいつもの位置、左側の列の一番後ろにあった。後ろは二列の空席がある。そしてその右ななめ後ろに、昨日まではなかった名前が載っている。

「センフル、ハルカ?」

「あ、チハルはセンフル派? チコかセンフルか、どっちかかなって思ったんだけどね」

 千古 遥。見慣れない場所に、見慣れない名前があった。女子か男子かもわからないその字を確認してから、わたしは教室に足を向けた。

「あれ、もういいの?」

「アユが言っていた通り、新しい人が来るっていうのはわかったし。あとは本人が来ればわかるでしょ。塾に自己紹介とかいうしくみはないだろうけど」

「ま、それもそうか。あと十分ちょっとで授業始まるもんね」

 あと数分待てば分かることを、ああでもないこうでもないと言い合うのは時間の無駄だ。それよりも、アユの言う通りもうすぐ授業が始まるから、テキストの準備をしたほうがいい。

・・・

 わたしが授業に必要なものを机に並べ終えたとき、教室がざわついていることに気づいた。みんな後ろをちらちら見ている。わたしももう授業が始まるまでやることがないので視線を向けると、見覚えのない人が座席表の「千古 遥」と書かれていた席に鞄を置いているのが目に入った。

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