不器用な僕と白い犬

ほむら涼來(すずな)

夢でもいいから

広場の街灯の下で楽しそうに笑いあう男女5人のグループ。

会話の内容までは聞こえないが、誰かが冗談を言うと、誰かが笑う。

その輪の外から、俺はぼんやりと彼らを見ていた。

あの子たちの目には、俺はどんな風に映っているのだろうか。


「……今の俺には、まぶしい光景だな」


人を助け、自分も他人も幸せにする人になれ

そんな願いを込めて、両親は俺に“幸助”と名付けたらしい。

でも現実の俺は──助けるどころか、助けられてばかりだ。


子どものころから「なんでこんなこともできないの?」と言われ続けてきた。

飲み込みが遅くて、同じ作業でも自分だけが終わらない。

それが“当たり前”になってしまったのは、いつからだろう。


それでも、社会人になると“できないまま”ではいられない。

日々様々な仕事が自分のところに舞い込んでくる。


“出来ない自分”を変えるための努力は欠かさない。

家に帰ってからは、一日を振り返り失敗をノートに書き出しているんだ。


足りないと思った部分は、動画を見たり、本を読んだりして補った。

それが報われるかどうかはわからないけど、やめたら終わりな気がして、

ただ、続けている。


数年かけて積み重ねてきた努力が、ようやく最近少しずつ形になってきた気が

していた。ほんのわずかでも誰かの役に立てるようになってきたのではと実感があった。


だからこそ、今日任された仕事も、手を抜かずにやろうと思った。

最初こそ順調だった。進めていくうちに、モヤモヤする部分が出てきた。

曖昧なまま進めるのが怖くて、一つずつ確認していたら、思った以上に時間がかかってしまった。


一通り終えて時計の針を見ると定時をとうに過ぎていた。

俺は出来た資料を再度確認し、たまたま会社に残っていた上司に作業完了

を伝えた。


「わかった、報告ありがとう。確認するから送って」

「はい、すぐにお送りします」


時間こそかけてしまったが自分としては「うまくやれたんじゃないか」と

そんな期待が、ほんのわずかにあった。


一通り読み終えると俺のほうまで歩いてきてくれた。


「お疲れさま!正直、僕の見立てでは就業時間内に終わる予定だったんだよね。

…まあ、ちょっと、要領が悪いんじゃないか?ははっ」


きっと、悪気があったわけじゃない。

俺のことを思って言ってくれたのかもしれない。


―それでも、どうしてだろう。


「要領が悪い」の一言が、これまでしてきた努力を「意味がなかった」と否定されたように感じてしまった。


俺は「すみません。気を付けます」としか返せなかった。

きっと顔はこわばっていたと思う。


俺の様子を見て言い方を間違えたと思ったのかもしれない。

上司は「…あ…えー今日はもう帰りなさい」と気まずそうに言った。


会社を出て駅まで歩く間、何かを考える気力は残っていなかった。

どこをどう歩いたのかも覚えていない。


気づけば、家の最寄り駅のベンチに腰を下ろしていた。

どれくらいの時間、ぼんやりと座っていたのかもわからない。

ただ、夜の空気だけが、やけに冷たく感じた。


「……さすがに帰るか」


俺は重い腰を起こして立ち上がろうとした。

その時、何かが俺の足元でモゾモゾ動いている。

恐る恐る抱き上げてみた。


「わん!」


痩せていて、毛並みもぼさぼさ。

でも――その目だけが、まっすぐにこちらを見ていた。


まるで「やっと会えたね」そう言われたような気がした。

よく見ると昔、実家で飼っていた「タロー」に少し似ている。


「なんか妙に愛着わいてきちゃったな……。

 いったん一緒に帰って、明日大家さんに相談するか」


俺は犬をそっと胸に抱いたまま歩き出した。

小さな体は少し冷たかったけど、俺の心は少し温かくなっているような気がした。


後ろのほうから、さっきまで楽しそうに話していた集団の「じゃーねー!!」が

聞こえた。誰かが笑って、誰かがそれに応えて、夜の空気に声が溶けていく。


手元の時計は、23時を指していた。

どうやら、ここで2時間近く、ぼんやりと過ごしていたらしい。


でも今は、ただの“無駄な時間”には思えなかった。

きっとこの可愛い存在に出会うための大切な時間だったんだ、と。

胸の中で、犬が小さく身じろぎする。


「……タロー、って呼んだら嬉しいか?」

「わん!」

「おお。そっか。嬉しいか」

「わん!」


タローと一緒に歩く帰り道は、いつもより明るくキラキラしているように見えた。

まるで夢の中を歩いているようだった。


アパートに着き、鍵を開けるためにタローを足元に置いた。

タローは何も言わず俺の足の間にすっぽりと収まって、じっとしていた。


その様子が、なんだかたまらなく愛おしかった。

今日のモヤモヤも、疲れも、すべてがふっと消えていくようだった。


「可愛いやつだな…」


“ガチャ“

鍵を開けると、タローは俺よりも先に部屋に入っていった。

「待て待て!!足!!」


俺は慌ててタローを捕まえようとした。

すると、タローはくるっとこちらに振り向いて、コロンとお腹を見せて、

床に寝転がった。

まるで、「ここが僕の家さ!」と言っているみたいだった。


「かっわいいな…タロー」


俺はタローを抱き上げて風呂場に向かった。


「俺の風呂のついでに、キレイにしてやるか~」


タローは洗われている間、いっさい暴れることはなかった。

それどころか気持ちよさそうな顔でうとうとし始めた。


「一緒に湯船に入ろうかとも思ったけど、このままだと寝ちゃうよな…」


俺はいったん風呂から出て、タローを拭いた後、風呂に入りなおすことにした。

キレイになったタローは白い犬だった。


風呂に入りなおそうとドアを開けると、後ろから寂しそうな声が聞こえた。

仕方なく、ドアを開けたまま湯船につかることになった。


「ほんっとうに仕方のないやつだな…」


その晩、俺はいつもよりも早く寝床に入った。

もちろん、タローを抱っこして。

あたたかくて、やわらかかった。




──翌朝。


目が覚めると、一緒に寝ていたはずのタローの姿がなかった。


「……タロー?どこいったんだ?」


俺は部屋のありとあらゆるところをひっくり返して探した。

でも、タローはいない。逃げちゃったのかとも思ったが、

玄関のドアは閉まっていたし、窓もちゃんと鍵がかかっていた。


「……まさか、疲れた俺が作り出した幻だったのか?」


だが、洗濯機には生乾きのバスタオルが二枚。

そのバスタオルには犬の毛らしきものが繊維に絡まっていた。


「……やっぱりタローはいたんだよな」


俺は昨日見た夢を、ふと思い出した。


タローと、どこかの広場でフリスビーをして遊ぶ夢だ。

その時、タローが俺にこう言った気がするんだ。


「僕は、君が昔飼っていた犬だよ。君がこっち側に来そうだったから、

上の人にお願いして少しの間だけ会いに行ったんだ」


夢の中の言葉なのに、やけにリアルだった。

まるで、心の奥に直接語りかけられたような感覚。


「そういうことか」と俺は思った。


窓の外から風が吹き込んだ。おそらくタローを探すときに開けたのだろう。

その風の中に、どこか懐かしい匂いが混じっていた。


「……また、会えるかな」


俺はそうつぶやいて、そっと目を閉じた。

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不器用な僕と白い犬 ほむら涼來(すずな) @2006suzu

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