8-6 泡沫の契り



「――では、アイリスは聖女の資格があるんだな?」

「はい、ございます。……いやはや、まさか代理としてお勤めでいらしたとは思いませんでした」


「すみません、嘘をついて……」




 アイリスの隣に立った聖職者は微笑みを浮かべ、首を振る。

ここは黒の国の聖堂だ。聖女の像の前にある小さな宝玉に触れただけで彼女の神聖力が『聖女足り得る証』の光を宿している。

 先日訪れた際は、本物の聖女だと偽っていた。アイリスは申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、結局聖女だったと言うことになってしまっている。




「アイリス様は、各所に訪れて聖女の像に触れられましたでしょう?あれで都市の守りが授けられています。

 最初からあなたは、代理ではなかったのですよ」

「それは、言い訳になってしまいますわ。……都市の守り、というのは?」


「はい。あなたは街の争いについても智慧を授け、各所の聖堂の問題を毎回解決に導かれております。

 祈りを捧げるだけでも聖堂の像にお力が宿り、周辺の土地に恵みをもたらしておられるのです」

「……たしかにオレが触っても何も起こらないな」


「えぇ、私たちが触れても同じことです。どなたでも聖女の像に触れられますが、このように温かな光を宿されるのは聖女様だけですから」

「……力がなければ、代理だとして聖職者の方にはバレバレでしたのね」

 

「えぇ。しかし、聖女様ではなかったとしても今日もきっと笑顔でお迎えさせていただいておりましたよ。

 今まで、こんなふうに私どものお話を聞いてくださる事が……現聖女様にはありませんでしたから」




 聖職者の複雑そうな笑顔に、2人は俯く。パナシアは聖女になってから一度も城下街に出ていない。彼女を狙う刺客がいたからそうせざるを得なかったのもあるが、それは言い訳でしかなかった。歴代の聖女とて同じ条件だったのだから。


 正しい行いをする人は、いつでも迫害されるのが人の世なのだ。刺客によって落命した聖女も、過去にいたとゾーイは言っていた。




「あの、私が聖女さ……聖女として認められた場合パナシア様には何か影響がございますか?」

「ございませんよ。……ここだけの話、聖女様が複数いらした事は過去何度もあります」

 

「「えっ?!」」


 アステルもアイリスも驚き、顔を見合わせる。この世界の蔵書を全て持つとされるゾーイも知らない事があるだなんて。

 聖職者は微笑んだまま聖女の像を見上げた。何もかもを知って、他に情報を漏らさず敬虔な祈りを捧げ続ける彼は、澄んだ瞳をしていた。




「聖堂にだけ伝わる歴史書がございます。……ちなみに、幼少期にゾーイ様が書庫に侵入された事がありますから、ご存知かと思われますよ。明言されていらっしゃらないだけかと」

 

「そう言えば……言及はしていないが、否定も肯定もしていないな」

「そう言えばそうですわ、あまりにも自然で気づきませんでした」


「ゾーイ殿はご年齢もありますが、かなりの切れ者でいらっしゃる。彼の方を呼び寄せたのは間違いない僥倖ですよ。これもアイリス様がなされたと私は知っております」


「は、はい……」


 

「さて、パナシア様の件ですが、地位は変わりません。他を治癒する力がなくなったとしても御本人がご奉仕を続行される場合、そのままです」

「ご本人が希望される限り、ですか?」


「ええ。複数聖女様がいらした場合、一番最初に見つかった方を筆頭として他の方は隠された聖女様となります。

 一番多い時代で3人という記録もありますから」

 

「そうなのですか、だからゾーイは〝聖女として認定できるか試せ〟と言ってきたのですね」

「おそらくは。あなたも守られるべき存在ですし、こうして公認で守護をもたらしたかったのでしょう」


「でも、ゾーイがまさか全てを知っていたとは思いませんでした」

「厳重な緘口令がありますからね。当時かなり絞られて……誓約書を残されていますよ。

 ちなみに、歴代の聖女様の中には影武者を立てた記録もございます、本物の聖女様をお護りするために。今回も同じようにされるべきかと」

 

「それは、その……パナシア様を私の影にとおっしゃるのですか?」



  

「はい。パナシア様は王城からお出ましにはなりませんでした。初めての測定の際にもわずかな神聖力の反応でしたが、祈りの風習がなければその力は失われます。使われなくなった泉が枯れるのと同じように」


「聖女としての危険がなくなる可能性が高い……か。同じことをゾーイにも聞いたが、パナシアは確かに神聖力が減っているように思う。

 あなたは、初めてパナシアがここに来た時に立ち会った人だな」

「はい、覚えておいででしたか?アステル殿」

 

「いや、今思い出した。あなた達は『余計なことを言わない』とその時思ったが、今回もそうだったんだな」

「えぇ、そうです。パナシア様の光はとても小さかったですね」

「たしかに、アイリスのを見た後ではそう思った」

 

「アレ……?お、お待ちください!それでは、私が偽物だと最初からご存知でしたの!?」

「はい。聖職者は全員存じておりますよ、様々な思惑が国の上にはありますから何も口にはしませんが。

 ただ、代理であるはずのあなたが、本当に聖女様だったので驚きはしました。この国は必ず立ち上がれるのだと確信できましたので、大変喜ばしいことです」


「……そう、思われますか?」




 聖職者の笑顔は揺るがない。アイリスの瞳を見つめたまま静かに頷き、彼は2人の提出した婚姻届をゆっくりと胸に当てた。


「私は、アイリス様のされたことを知っています。聖堂は曲がりなりにもこの国の経済に関与している。耳が良くなければ出来ない仕事です。

 そして、とてもとても口が固いのです」

「はい……」


「聖女様の婚姻が正しく愛を持つのは久しぶりのことではないでしょうか。私はとても嬉しいです。

 さぁ、しきたり通り式を行いましょう」




 聖職者が聖女像の前にある聖餐卓に婚姻届を置き、笑顔を深めて2人を導く。

 眉を下げたままのアイリスと、やや緊張感を表したアステルは卓の前で向き合い、目を合わせた。


「アステル様、今更ですが……本当に婚姻届を出してよろしいのですか?王と聖堂に出してしまえば、受理されてしまいます。聖女としての資格を試すだけで宜しかったのでは?」

「ダメだ、きちんと届を出さなければ王に疑われるだろ?」

 

「そ、そうだとしてですよ?聖女の像に愛を誓われるのです。その、嘘を重ねてしまうのはとても良くない気が致します」

「さて、嘘を重ねることになるのかな。アイリスはどう思う?」

 

「え……?」





 静かに、優しい笑みを浮かべたアステルはアイリスを見つめて目を細める。聖堂の脇から次々と聖職者が入ってきて、彼女の頭からヴェールをかけ、花束を渡し、祝いの言葉を口にする。

 驚きっぱなしの姿に、誰も彼もが笑顔を浮かべている。入り口の扉で警護をしている近衛のアギア以外は。


「アステル様……」

 

「立会人がいれば式らしくなるだろ?事前に相談したらこうなっただけで、オレの仕業じゃないぞ。仮とは言え初めての婚姻だろ?オレも、君も」

「それは、そうですけれど」


「パナシアとは、別の場所に君がいるんだ。オレは嘘をつかない――アイリスには」

「…………」




 戸惑ったままのアイリスはアステルの言葉の真意を受け止めきれずにいる。アステルは今までたくさんの嘘をついてきた。パナシアに対しても、それは変わらなかった。

 嘘をつくのは彼が自分を犠牲に差し出して、その人を守るためだった。自己犠牲の象徴のような〝嘘〟をつかない――その言葉は、いつかパナシアに捧げる言葉だったはずだ。


 その後の、彼の言葉は……なんだったろう。


 アイリスの思考はそこで途切れた。司祭の帽子を被った聖職者が肩を叩いたからだ。




「はい、ではサクッと式典をしましょう。各所の聖堂からお偉いさんばかり来てしまっておりますからね。早くお仕事に戻っていただかないとなりません」 

「……えっ!?」

 

「確かに、位の高い聖職者ばかりだな」

「私が司祭をしていいものか悩むほどには、ですね。

 アイリス様は人望がおありですから」


 聖職者たちは聖堂の椅子に座り、じっと2人を見つめている。たしかに、聖堂を巡ったときに責任者だと言った人ばかりだ。

思わず頬が熱くなったアイリスは目を逸らし、目の前にいる人にも熱い視線を送られて目を瞑った。逃げ場がないのだ。


 

「まだ、誓いのキスには早いぞ」

「違います!!!!」

 

「ねー、隊長ー、キスはダメだよー」 


「む……そうなのか?」

「に、に、人魚がキスをすると番いに認定されてしまいますから!」

 

「それは構わないんだけどな」

「……っ!?」



 

「はい、誓いの言葉はもう十分っぽいので指輪を交換してくださいー」

「し、司祭様まで!?ま、待ってください……私、は」

「そうしよう。アイリス、モタモタしていると聖堂の仕事が滞るぞ」


「う、うぅ……」

 


 アステルがひざまづき、アイリスの左手を取る。透明な石がついたシルバーのリングをはめて、得意げな顔が目線を逸らしたアイリスの顔を覗き込んだ。


「指輪は間に合わせだが、ちゃんとしたのを落ち着いたら買おう。そのときにもう一度、きちんと話をしような」

「……ひぃ、」

 

「オレにも嵌めてくれ」


「………………」


 アイリスは手に握らされた大きなリングを震えながら彼の指に嵌めて、自分の指輪に口付けを受ける。

 そして、アイリスと同じく頬を染めたアステルの眦が優しく垂れた。


 

「これからもアイリスを守るよ。聖女としてだけでなく、オレは、オレの意思であなたのそばにいます。

 ……何もかもが整ったらこの指輪が本物になるって期待してる」

 

「……………………………………………………キュウ」




 倒れ込むアイリスを抱え、アステルは幸せそうに微笑う。小さな彼女の体温と鼓動は、どこまでも幸せなものに感じた。


 ━━━━━━


「……誕生日って、青の国ではお祝いしないのですね」

「うん、祝日だから個人的なお祝いはしない。アイリスは『お誕生日おめでとう』って言われたことがないんだ」


「そうですか、それを彼女が望んでいたとはご存知でしたか?」

「……知ってはいたよ。ただ、アステルみたいに『お祝いしよう』って僕は言えていない」


「あんなふうに先にお約束されては、後出しできませんわね」

「…………」



 

 モスグリーンの外套を纏い、頭をフードで隠した女性は、聖堂の帰りに街の屋台を覗く2人を見つめている。暮れなずむ柔らかな夕日の中で微笑み合う姿は長年連れ添った夫婦のようにも見えた。


 2人は終始お互いのことしか話していないし見ていない。アイリスが誕生日をきちんと祝われたことがないと聞き、そしてもう直ぐその日を迎えると聞いた男たちはアステルを筆頭に『お祝いをしよう』と口にしていた。

 

 片手に花束を抱え、片手にアイリスの手を握った彼は幸せそうに微笑んでいる。不機嫌そうにしていたアギアの面々も、その話題に釣られて同じように笑顔を浮かべていた。

 

――まるで、ゲームの中のように。




「聖堂が聖女を隠すだなんて知らなかったわ、これは誤算ですわね」 

「そうかな?計画には支障がないでしょう。あなたはそのために王城に籠っていたのだから。……いや、その姿を見ていると、そもそも引きこもりたかったのかい?」


「うるさいですわ」

「ふっ……そこまで変わると思ってなかった。そろそろ動けるようにしておかなきゃだから、少しは軽くなった方がいいよ」 

 

「わかってます」

「頑張ってね。それにしても、転生者ってのは複数いるものなんだね?アイリスだけかと思っていたけど、君もそうだし……テティスのアナスタシアもそうなのかな」


「おそらくは。私は転生ではありませんがアナスタシアはそのように見受けられますわ。ただ、理解しているかどうかは別ですが……あまりにも出生がひどいので」

「複雑なそのあたりの分類はどうでもいいよ、関係ないし。僕はそろそろいくよ?王様とのお話進めておいてね」

「えぇ」



 

 建物の影から離れた青年は紙袋を手に、屋台の串焼きを口にしている仲間たちの元へ戻っていく。それを見送った彼女は小さな舌打ちを落とし、反対の方向へと歩き出す。


 すっかり重くなってしまった体を抱え、のしのしと歩いていく女性の姿を、もう一つの影が見送っていた。

 

 

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