5-3 テティスの偽聖女
――五色公国、赤の国。
それは西極に在し、その名の通り赤色の大地に囲まれている。活火山が多数存在し、その活動から得られるミネラル・鉄分も含む土は植物にとって大変重要な物だ。
赤い大地でしか育たない植物・薬草を名産として、公国の中でも随一の『薬草大国』とされる。
また、火山があるから温泉があり、観光産業も盛んで自然の力によって生かされていると言える。
だが、それは自然によって殺される可能性の高い地域とも言えた。
恵みをもたらす火山が噴火すれば灰を降らせて大地を覆い、太陽を隠して作物を腐らせる。
人の生命に必要な清い水を濁らせ万病を蔓延させる。
そしてそれが起こるのは聖女が生まれる周期と同一であることが多かった。
今までは、ずっとそうだったのだ。
テオーリアは普段から『冷たい』と評される硬い表情を浮かべ、胸に手を置く。先ほど届いた故郷からの知らせは……あまり良い物ではなかった。
現代の黒の国の聖女の世代が終われば、次世代の聖女は赤の国に生まれる予定だ。だが、その生誕よりも早く国内で地震が多く観測されている。
――それは、火山活動が活発化しているという報せだ。
聖女パナシアが天寿をまっとうするとして、この世界での平均寿命は80〜90年。次の生誕までその期間が開くとして、次世代の聖女を待っていては恐らく間に合わない。
赤の国の地殻学者が出した結論は、国の未来を担う『赤の国の王位継承者』を黒の国に送り出した。
そう、聖女を自国に連れ帰るために。
━━━━━━
「ここに、聖女がいるだと?」
「はい。『清い水の里テティス』に聖女が現れ、水質の変化を留めたとの事です」
「そもそも水源の穢れは
「はい、最近テティスでは人工的にエネルギーを発生させる装置を作るため、森林伐採を多く行いました。そのため水源地付近が丸裸になり、天然の濾過装置が失われたのです」
「今回の水質汚染騒ぎは、人がもたらした害という事だな」
「えぇ、そしてそれを解決したのは幼い少女だとか。実際先ほど調査した河川はとても綺麗で、飲料水として使用可能でしたわ」
「…………」
天幕の中で顔を突き合わせた面々はアイリスの言葉を噛み締め、眉を顰める。
王城から離れた地域にある黒の国の水源地『テティス』。それは国の西に在し、赤の国との境界線にも程近い。
黒の国の半分はテティスの水源が賄っており、重要な治世の拠点となっている。テティスは深い森に囲まれた、自然豊かな村のはずだった。
だが、水源地の穢れがあり聖女パナシアの潔めが求められた。村でも中毒者がおり、死人まで出たという報告があった。
最終的にパナシアが現地に向かうことになったが、道中でもたらされたテティスからの一報は衝撃をもたらした。
――曰く『テティスの聖女が水源を潔めた。国聖女の派遣は必要ない』との事だった。
「私の、力不足を知っての事でしょうか。必要ないと仰るのは……」
小さく落ちた声に、一瞬場が静まる。
パナシアは膝の上で手を握りしめたまま視線を落とした。
「いいえ、この事は聖女様を害そうとしている刺客一派の策謀ですわ」
『自身の力不足のせいで国に不満を齎したのか』と不安を漏らした彼女の言葉を、アイリスはやわらかな笑顔で受け止めた。
本当はここで聖女自身をフォローすべきだが、その役目はアステルに担ってもらわなければならない。溢れそうな言葉を飲み込んだ彼女は紙に筆を走らせる。
流麗な文字は
「これは〝聖女様の生まれが複数である〟と主張し出した団体です。……テオ、もともとバリエティがどのような内実かはご存知ですか?」
「ものの考え方の多様化をすすめ、一神教などに対して妨害工作を行っている。
多様化と言えば聞こえがいいが、対外勢力から金をもらって人々の思想を混乱させ、相手がたの勢力を削ぐのが仕事だろう」
「えぇ、その通り。お金を貰えば主義主張が変わる、タチの悪い商人のようなものですわね」
「……それが、偽の聖女を作り上げたと?水源地をどうにかしようとしているのか」
「おそらくは。ですが、村の人々は古来より柔和で純朴だと聞きます。
今回の問題で聖女様に対し、意識が変わるとも思えませんが……確認は必要でしょう。水源も、人心も」
「わかった、このまま予定通りの日程で行こう。鳥を飛ばしておけ」
アステルの命に沈黙で答えたアイリスはカイと共に天幕を出て行く。傍にいたテオの服の袖を引っ張り、アステルとパナシアだけを残して歩き出した。
「アイリス、私は」
「いけません、テオ。聖女様をお慰めするのはアステル様のお役目です」
「…………」
前を向いたままテオの顔を一度も見ないアイリスは、やや険しい顔をしている。彼の考えなどお見通しだとでも言う風だ。
テオーリアが聖女を赤の国に連れ帰るには、自分を信頼し、国を出るまでの決心をしてもらわなければならない。そのためには、今落ち込んでいるだろう彼女に声をかけて夜の星見に連れ出したかったのだ。
「アイリスは、私の事情をどこまで知っている?」
「さぁ、どう思われますか?」
「……質問に質問で答えるのはよくないと思うが」
「そうですわね、失礼を申し上げました。ですが、夜の日課からは逃しませんわよ」
彼の腕をようやく離したアイリスはフードを下ろし、月光の元に不適な笑顔を晒す。瞳に白光が宿り、冷涼な青がひたとテオーリアを見つめた。
「弓を持って30秒後に戻っていらして」
「はぁ……」
ため息で返答し、テオは自分の荷物を取りに戻っていった。
「今のところ神聖力暴走の気配はないけど、そんなに発散させないとダメなの?」
夜の冷たい気配にマフラーを取り出し、カイがアイリスの首に巻いてやる。
小さな声で「ありがとう」と呟いた彼女はテオの背中を見送りながら頷いた。
「今回の目的は暴走を抑えることではないのよ。彼が持つ、本来の能力を引き出さないといけないの」
「能力……?身体強化以外に何かあるってこと?」
「えぇ、テオはおそらく視力の強化が発現している。自身で体を鍛えてそれを弓の名手としてその価値を引き上げたわ。
でも、それだけで発散できる神聖力の保持量ではないの」
「神聖力を大量に持ってるから、溢れるってこと?」
「そうね。理知的で普段の生活も堅物と言えるほどの人物だもの……発散するのは下手っぴなのでしょう」
「ふぅん、だから毎晩鍛錬して発散させるってこと?」
「ええ、とりあえずはね。さて……明日の朝食はお肉かしら。落ち込んだ聖女様に、たっぷり脂を蓄えた鹿肉でスタミナをつけていただきましょう」
「はいはい、仰せのままに」
カイがすぐそばの木に繋いだ馬の縄を解き、背に乗る。アイリスに手を差し出し、彼女を引っ張り上げた。
「そろそろカイにも馬をくださいと言うべきかしら」
「いらないよ、僕が馬に乗るのはアイリスが必要な時だけだから」
「ふふ、そうね」
二人は静かな笑いを浮かべながら、弓を携えてしかめ面で戻ってくるテオーリアを眺めた。
━━━━━━
テティスは森の中に拓かれた小さな集落だ。木造の家々は苔むした石垣に守られ、屋根には乾いた藁や木の皮が重ねられている。
家の窓辺には薬草や野花が干され、風が通るたびにかすかな香りが漂った。
村に入るとすぐに案内役が現れた。
道の端では大人たちが静かに頭を下げ、子どもたちは馬上を珍しげに見上げている。
湿った土の匂いと薬草の香りが混じり、集落の空気はどこか温かい。
どこにいても水のせせらぎが耳に届き、この村が水と共に生きる村の気配は、そこかしこにあった。
やがてたどり着いた中心部の広場は大きな噴水がある。その周囲には小さな花飾りが吊るされ、子どもたちは木彫りの笛を吹いている。
特別な祭りではないのに、聖女を迎える喜びに村全体が祝祭の空気に包まれているようだ。
馬から降りたアギアに近づいてきたのは小さな少女だ。伝統衣装を身につけ、色とりどりの刺繍が刻まれた頭巾はてっぺんが三角になっている。顎の下に結ばれたリボンがゆれて、彼女の愛らしさを引き立てていた。
鮮やかな濃紺のジャケット、白いワンピースもまた手の込んだ刺繍が刻まれており、重厚な装いだ。
少女はジャケットの裾を握り、小さな瞳を輝かせながら歩いてくる。
周囲を囲んだ村人たちは固唾をのんで見守り、子どもたちでさえ声をひそめて彼女の言葉を待っていた。
やがて、勇気を振り絞るように前へ進み出た少女は口を開く。
「わたしが、ててぃすの聖女、アナスタシアです。あぎあの、みなさま……おみし、おみしり、うぅ……」
「お、おみりしおきを!」
「ぐふっ!!」
胸を押さえてうずくまるアイリス、眉間を揉みつつため息をこぼすカイ。他のアギアは全員呆気に取られている。
〝テティスの聖女〟と名乗る少女はぎこちないカーテシーをささげ、拙い言葉を発した。
そして、アイリスはその直撃を受けて蹲ったのだ。
「うっ、うっ、かわいい……愛らしい、尊い」
アナスタシアがこくり、と首を傾げアイリスに近寄る。蹲った彼女の頬を小さな手が挟んで心配そうに顔を覗き込んだ。
癖毛の黒髪がふっくりとした頬に降りて、耳の上でおさげが揺れる。頭巾のてっぺんにつけられた鈴が、チリリとかわいい音を鳴らした。
「おねぇちゃん、どうしたの?おむねが、いたいの?」
「うっ……!!」
「いたいいたいの、どうしたらなおる?あっ!アナがキスしてあげるね!」
「わ、ワァ……………………」
アナスタシアがアイリスの額に唇で触れ、頬を赤らめてパタパタと走り去る。完全に固まってしまったアイリスを横目に『いつもの事だな』と目線を逸らしたアギアの一行は村長の招きに応じた。
「カイ、テオ、副隊長を頼むぞ」
カイは片手を上げて苦笑いを浮かべたアステルを見送り、大きなため息をつく。
「言われなくてもそうするよ。……アイリス、副隊長、お姫様。置いていくよ?」
「ワァ……ワァ……」
「どうしてこう、純粋無垢なものや愛らしいものに弱いのだ、彼女は」
「僕にもわからないけど、青の国でもずっとそうだったよ。こうなると長いから面倒なんだ。テオ、そっち側持ってくれる?」
「…………わかった」
テオーリアとカイに持ち上げられたアイリスは呆然としながら集団の後を追うのであった。
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