テイル・バーテンの日誌

sekimennbaba

第1話 童女の亡霊

 猫背の小柄な男は、ぐったりと疲れた様子で、顔には憔悴と脂汗を滲ませていた。今にもフラフラと地面に倒れてしまいそうな体で、都心の栄華な雰囲気とは一線を画す、東京の狭間の様にも感じられる、三階建ての古びた一棟のビルの中に足を運んだ。覚束無い足取りで二階への階段を登り、『マジシャンの館』と派手な蛍光色で書かれた看板が立てかけられた、直ぐ横の自動ドアを猫背の男はするりと抜けていく。

 猫背の男が自動ドアを抜けると、ドアの直ぐそこに設置された、取って付けた様な簡易的な受付が置かれている。受付には幽霊でも見たかの様に驚いた様子で猫背の男を見詰めるパーカー姿の男、皺の無い若々しい顔の少年が座っていた。

 パーカーの少年は驚きか、一瞬表情を崩したものの、直ぐに調子を取り戻し猫背の男が声を掛ける前に、先んじて声をあげた。

 「マジシャンの館へようこそ。ご確認ですが、此処が霊媒の館であることはご理解されていますか?」

 少年には似つかわしくない、冷淡で事務的に感じられる大人びた声に、猫背の男は若干の困惑を浮かべながらも、小さく首を縦に振った。

 「それでは、こちらへ」

 パーカーの少年は席を立つと、一切の言葉を発せずに猫背の男を部屋の奥へ連れ、蛍光灯の反射もさせぬほどに黒々とした一枚の扉の前に案内した。

 猫背の男は、何処か威圧感さえ感じる一枚の扉を前に、視線でも感じたのか両手をポケットに突っ込み、周囲をキョロキョロと、挙動不審な様子で警戒する様に辺りを見回していた。

 「どうぞ、入ってください」

 猫背の男が扉の前で少しの暇を持て余した後、重厚さを感じさせる黒塗りの扉の奥から、穏やかさと冷静さを混ぜた様な、柔和な高めの声が男に掛かった。

 「失礼します」

 猫背の男がノックの後に黒塗りの扉をゆっくりと開けた。

 扉の先には、真っ暗に閉じ切られた四畳ほどの小さな小部屋だった。こじゃれたランタンの置かれた小さな机。それを隔てて、面と向かう様に置かれたソファーには、霊媒師…とは、似つかわしくもない真っ黒なスーツに身を包んだ細身の身綺麗な男が、長い足を組んでどっしりと座り込んで猫背の男をじっと見据えていた。

 男の第一印象を一言で表すなら、キツネ。彼を見る者は口を揃えてそう言っている。

 彼の名は、テイル・バーデン。…あくまで彼はそう自称している。実際の彼の名前はテイル・バーデン等と横文字の長ったらしい名前などでは何でも無く、波島勇作と日本国籍の両親共に完全な純日本人である。真意は誰にも分からないが、彼は自らをバーデンと呼んで欲しいそうだ。

 「随分と憔悴しきっている様子ですが、お体の方は?」

 バーデンは猫背の男をソファーへ促しながら、落ち着きのない様子に、僅かに眉を曇らせながら声を掛けた。

 「すみません、ここ最近はずっと寝不足が続いていて…」

 「…此処は心療内科ではありませんが、まあいいでしょう」

 バーデンは何処からか取り出したメモ帳に愛用のボールペンで、何かしらを書き込み、薄ら笑いを浮かべながら猫背の男の言葉を遮った。

 「お名前は?」

 「藤田幸盛と言います。藤田と呼んでいただければ」

 バーデンは何かしらを書き終えたのか、メモを机の上に置き、藤田の顔に目線を合わせた。

 「一様、受付でも聞かれたとは思われますが、再度お聞きします。此処が、霊媒の館であるとの認識で間違いはございませんか?」

 「はい」藤田は小さく頷いた。

 藤田の言葉に、バーデンは何処か満足そうな笑みを浮かべている。

 「それでは、まずご自身のお話を聞かせていただけますか。此処に来るという事は、何かしらの心当たりがを有りなのでしょう?」

 「ええ、では」

 藤田は辺りを二三度見回すと、不安を顔に募らせながらも口を開いた。


 「ふむ。簡単に言えば、少女の霊がずっと貴方を見張っている、と。そういう事でしょうか?」

 藤田が話す内容は至って破天荒で、ごく平凡な人間が聞けば、幻想だと一蹴する様な、それでいて使い古したような、幽霊の存在を示すものであった。

 「本当なんです!信じてください、何処に行っても誰も俺の話を信じてくれない!聞く耳すら持ってくれないんだ!」

 ランタンの明かりが照らしたバーデンの愛想のない表情を見て、信じられていないとでも思ったのか、はたまた話す内に興奮してしまったのか、藤田は焦ったように言葉を続けた。額には、冬の季節に似合わぬほどに濁った汗を浮かべている。

 「此処に来るまでも、ずっと!ずっと彼女が僕を見ているんだ!」

 「今もですか?」

 「…いや、なんでか分からないけど、この部屋に入った瞬間、視線が消えたんだ」

 藤田の言葉に満足そうにバーデンは頷いた。

 「それは良かった。それと…つかぬ事をお聞きしますが、その少女に心当たりは?」

 「いいや、無い」

 バーデンはメモに何かしらを書き足した後、もう一度藤田に視線を戻した。

 「もう一度お聞きします。お聞きした内容だと、貴方は教師をされているという事ですが、教え子の中に。その少女に、本当に覚えはありませんか?」 

 「全くないんだ!俺の生徒にあんな少女はいなかった!それに、教え子に恨まれるようなことなんて、した覚えもない!」

 藤田は声を荒らげた。バーデンは落ち着くようにと藤田を宥める。

 バーデンはメモを机に置くと、ソファーに降ろしていた腰をゆっくりと持ち上げた。壁に置かれた本棚に身を寄せると、棚の上段に置かれた比較的大きな、ラッパの様な金属部が取り付けられた機械を持ち上げ、藤田との間のテーブルにに丁寧に載せた。

 藤田は若干困惑気味な表情を浮かべたが、見覚えのあるものだったのか直ぐに口を開いた。

 「レコードプレーヤーですか、懐かしいですね。俺の父が持っていたもので、良く聞かせてもらっていたんです。それに、かなり状態が良い物に見える。随分とお高かったのでは?」

 「ええ、まあ特注ですからね。それなりには」

 藤田が僅かに感傷に浸っている間に、バーデンは適当に言葉を受け流し、レコードをプレーヤーにはめ込んだ。

 レコードは針の僅かな金属音と共に回転をはじめ、数秒後には、最近ではめっきりと聞かなくなったジャズ、哀調を帯びた何処か宗教家に近いようなゆっくりとしたメロディーが流れ始めた。

 「風情があって、いい曲ですね」

 「そうでしょう。私のお気に入りの曲なんですよ」

 暫く、バーデンと藤田は哀調のジャズに耳を傾け、瞬く間に数分の時間が過ぎた。穏やかな曲調に、本来の目的が見失われかけていた時、ようやくバーデンが口を開けた。

 「それでは、本題に入りましょう。あなたは少女の霊に追われているとの事、少女にも見覚えは無い。ただ、生憎と私は霊的な除霊方法は一切持ち合わせていません。出来ても、塩を撒くぐらいででしょうか」

 「そんなっ」藤田は机に両手を叩きつけ勢いよく立ち上がった。

 バーデンの言葉に、穏やかだった表情を悲壮へ一変させ、来ていたシャツに大きくシミが出来るほどに冷や汗を流している。

 「ああ、落ち着いてください。方法が無いという訳ではございません」

 どうぞ座って、とバーデンは焦る藤田を宥めながら冷静に言葉を繋いだ。

 「追われている原因に心当たりがないというのならば、本人に聞くのが最も手っ取り早いでしょう?」

 バーデンの言葉に、藤田は顔を更に曇らせた。

 「本人に聞くって、相手は幽霊ですよ?一体どうやって?まさかこっくりさんでも始めるって言うんじゃないですよね?」

 バーデンは小さく笑みを浮かべながら首を横に振った。

 「いえいえ、そんなちゃちな子供騙しは致しませんよ」

 「なら、どうやって」

 狼狽する藤田を余所に、バーデンは黒塗りの扉に視線を向け、扉に向けて人差し指を向けた。

 「そこにいらっしゃいますよ。彼女は」

 指の先を追う藤田だったが、その先にあるのは漆黒の扉のみ少女の霊の姿は無い。

 「はは……冗談はよしてくださいよ」

 乾いた笑いを浮かべ、冗談だと受け取る藤田に、気色のいい笑みを浮かべたバーデンは腰を上げて扉に近づいていく。それを追う藤田の視線は尋常なものではない。

 「今、ご案内しますよ。どうぞ、入ってください」

 バーデンは金のドアノブをゆっくりと回した。ドアの軋む音と、穏やかなジャズの音だけが部屋の中に響いている。

 「こんにちは、お嬢さん。お名前をお聞きしても?」

 バーデンは視線を下げて、紳士的に声を掛ける。扉の先には、一見普通の小学生と変わらぬピンクのワンピースに、傍らに小さな防水バック、ランドセルを背負った小さな子供、幽霊らしく身体は透けてなどいない。藤田曰く、童女の亡霊の姿がそこにはあった。


 「どうぞどうぞ、お掛けになって下さい」

 慣れた様子でバーデンは童女の亡霊を藤田の座っていたソファーへ招く、ソファーの上に藤田の姿は無い。

 「そんなに警戒なさらなくとも大丈夫ですよ。彼女はあなたを傷つける気は到底ありません。最も、敵意のある霊はこの部屋には入れませんから」

 部屋の隅で顔を青くし、蛇に睨まれたカエルの様になってしまった藤田を優しく絆すが、藤田は凍ったように動こうとしない。

 「そいつだ!そいつがずっと俺の事を監視してたんだ!今にも俺を殺そうと襲って来る筈だ、あんたも、あんたも殺されるぞ!」

 恐怖に引き攣ってしまった藤田に、呆れた様子でバーデンは近づき、小柄な藤田の片腕を掴み、勢いよく体を引き上げた。

 「そんなに警戒しないで下さい、怯えていては会話もできませんよ?」

 童女の亡霊はソファの上からじっとバーデンの一連の動作をじっと眺めているだけで、藤田の言う様に襲ってくる気配などは全くと言っていい程に無い。

 バーデンは今にも逃げ出さんとする藤田の腕を掴み、ソファーに無理矢理腰を下ろさせた。一つため息を吐いて、ようやく童女の亡霊に視線を向けた。

 「では、お名前を教えていただけますか?」

 「誰なんだよ、お前」

 童女は二人を交互に視線を彷徨わせながらも、ゆっくりと口を開いた。

 「花和蓮です」

 「蓮ちゃん、ですね。藤田さん、彼女のお名前に聞き覚えは?」

 バーデンは藤田に視線を向けるが、勢い良く首を横に振っている。顔には汗が垂れて、随分と引き攣っているが、本当に覚えのないといった様子だった。

 「蓮ちゃん、一つ質問しても大丈夫ですか?」

 「…大丈夫です」

 「蓮ちゃんは、藤田さんとどんな関係だったんですか?」

 傍の藤田は、何か覚えがあるのではないかと疑ってしまう程、身の潔白を示すように首を曲がらんばかりに横に振りつずけている。

 「藤田さんは、私の学校の先生です。私の、担任でした」

 バーデンは童女の言葉を聞き終えると、再度藤田に視線を向ける。

 「と、彼女は仰っていますが。覚えは無いと?」

 「知らない!こんな子供、俺の生徒には居なかった!何なんだよ、糞っ早く消えろ!悪霊が!」

 藤田は今にも童女に殴りかからんとする勢いで、侮蔑の言葉を投げた。その言葉を、童女は俯いて聞き、押し黙っている。

 「藤田さん、そうかっかしないで下さい。蓮ちゃんも怖がっていますよ?」

 「どうでもいい!早くこの子供を除霊してくれ!」

 童女はただ、藤田の侮蔑を黙って聞き続けた。

 「…藤田さん、まだ彼女への質疑は終わっていません。暫くは、お静かに」

 バーデンの高く、それでいて低く、冷たい冷静な声が、藤田の動きを止めた。藤田も、霊といえど子供の姿、流石に罪悪感を感じたのかソファーの端に寄りかかり、俯くようにして押し黙った。

 「蓮ちゃん、藤田さんに付き纏っているのは、何か伝えたいことが有るんじゃないかい?それをどうか教えて欲しい、私は君の味方だから」

 童女は俯いたまま、小さく首を縦に振った。

 「先生を、連れて行きたい所があるの」

 「はぁ?誰が幽霊の後をのこのこ着いて行くんだ。俺は…」

 「藤田さん…、はぁ。お静かに」

 文句をつける藤田の声は、バーデンに直ぐに遮られた。バーデンの酷く冷たい声と溜息に、藤田は再度不貞腐れた様に押し黙った。

 藤田が押し黙ったのを確認したバーデンは、小さく喋る童女の口元に耳を傾けた。

 「波瀬鳩海岸と、嶋田寺小学校、で間違いは無いですか?」

 バーデンはメモ帳に場所を書き写しながら復唱し、童女は黙って首を縦に振る。

 「因みにですが、藤田さん、この場所に覚えはお有りですか?」

 「…知ってるに決まってる。俺が教師をやっている所だぞ。波瀬鳩海岸だって、学校の夏の行事でよく行くんだ」

 知らない訳がない、そう言って藤田は童女を睨むように見詰めていた。

 「それじゃあ、行きましょうか。その二つ」

 バーデンは軽快に腰を上げ、焦った声で藤田が止めようとする頃には、既に扉の前に立ち、ノブを握りしめていた。

 「ちょっと、待ってくれ。行ったら何か悪い事でも起きるんじゃないのか?」

 「…大丈夫です。何かあったら私が何とかしますよ」

 バーデンは部屋の入口に掛けられた、小さな手提げかばんを片手に吊り下げて、得意げな顔で黒塗りの扉を開け放った。


 「やっぱり、潮風は気持ちがいいですね。そうは思いませんか、藤田さん」

 バーデンは意識半分でハンドルを片手に持ちながら、後部座席の藤田に声を掛けた。藤田は呆れ半分な表情でバーデンの顔を恨めしそうに睨み返した。

 「横に幽霊が乗ってちゃ、清々しさより湿気が勝つよ」

 藤田の横には、申し訳なさそうな童女が端にちょこんと座っている。

 「まあ、そんな事は一旦いい。それよりだ」

 「ん?どうかしましたか?」

 バーデンは何かあったかと首を傾げると、藤田は呆れた様に口を開いた。今のところ、一行の車は順調に目的地には向かっている。

 「そこまで寒くはないが。何で、冬場にオープンカーなんだ?」

 「…この車しか持ってないんですよ。二年前から上が閉じれなくなって、ずっとこのままです」

 気温が下がり、冷え込みも強くなってきたというこの頃に、三人は上の開ききった古臭いオープンカーを高速で走らせていた。

 「雨降ったらどうするんですか?」

 「もちろん歩きですね、車を使いません」

 藤田は愚痴の様に小さく言葉を吐いた。その言葉に、バーデンは直ぐに反応した。

 「…修理すればいいのに」

 「聞こえてます。それと、修理できなかったんですよ。パーツが古すぎて、替えが無かったんです。扱える整備士も、製造場所もなかったんです」

 それ以降、一切の会話も無く、開け切った車内には静寂のみが滞在し続けていた。高速を降り、一般道を走り抜け、ようやく海岸に到着するという所で、バーデンがゆっくりと口を開いた。

 「着きましたよ。彼女御所望の波瀬鳩海岸です」

 車体のちょうど右側には、日差しの照り付ける人っ子一人いない砂浜と、何処までも無限に広がり続ける群青色が広がっていた。

 「何で、誰も居ないんだ?波瀬鳩海岸はここらじゃ有名な砂浜だったと思うんだが」

 バーデンはハンドルに手を掛けたまま口を開いた。

 「事前に調べてはいたんですが、この波瀬鳩海岸、五年前から封鎖されていたそうですが。ご存じでしたか?」

 「五年前?それは嘘だ。今年の夏に生徒と一緒に此処に来てる。冬場だから、誰も居ないだけだろ」

 バーデンの言葉に藤田は聞く耳すら持たない。

 それから、幾つかの細い街道を通り抜け一行はようやく目的の砂浜に辿り着いた。海岸へは、通行規制のテープが張られていたが、バーデンは難なくそれを通り抜け、藤田らもその後を追った。

 「蓮ちゃん、着きましたが、ここに何かあるんですか?」

 バーデンは海岸を眺める童女に腰を折り、温和な声を投げ掛けた。童女は海岸を見詰めてピクリとも動かない。藤田は、童女を警戒しながら、挙動不審な様子で辺りを見回している。

 「…あそこ」

 「何処ですか?」

 「…あそこ」

 「視線の先ですか?それとも浜の方ですか?」

 「…あそこ」

 「ええ、分かりました。そこですね。直ぐに取ってきます」

 硬直し、真っ直ぐに海を見詰め同じ言葉を不気味に発し続ける童女から、何を読み取ったのか僅かな微笑を浮かべながら、バーデンは海辺の方へずかずかと進んで行く。

 「おい、濡れるぞ!」

 「大丈夫ですよ。どうせ、すぐに乾きます」

 真っ黒なスーツの色を変えながら、バーデンは藤田の言葉には耳も貸さず、ざぶざぶと海の中に足を進めて行く。

 藤田は困惑の表情のまま、海の中に入っていくバーデンを眺めている。分と経たぬ内に、身長なバーデンの姿は海の中に消えてしまった。

 バーデンが海面に上がらぬまま数分程経ち、藤田が心配になって海岸を覗きだした頃、海面に勢いよく大きな潮が吹いた。藤田は、突然の潮に数歩ほど後ずさりをしていた。

 海面に上がったばかりのバーデンは、直ぐ近くにいた藤田に放心したままの童女を呼ばせた。渋々と藤田は童女に声を掛けたが、童女はやはり放心したままであった。

 バーデンは浜に上がると、直ぐに童女の元へ駆け寄り、海から拾い上げた何かを差し出し、童女の肩に掛けられた防水バックの中に入れた。童女は凍り付いたように動かない。

 「……」

 「これですか?…ええ。それは良かった」

 「……」

 「そうですね。先を急ぎましょう」

 困惑からか、バーデンと童女の音のないやり取りを、藤田は黙って聞いている事しかできなかった。

 バーデンは童女と話し終えたかと思うと、固まったままの童女の体をふわりと持ち上げ、後部座席にゆっくりと乗せた。

 「藤田さん、先を急ぎますよ」

 「…あっ、ああ」

 バーデンの勢いに乗せられ、藤田は流れるままに後部座席に乗り込んだ。すぐ横には、こと切れたかの様に固まったまま動かなくなった童女の姿がそこにはある。藤田が何か口にする間も無く、シートベルトを締めると同時に車は勢いよく発進し、直ぐに海岸を離れ、国道にへの道を進み始めた。

 「なあ、質問いいか?」

 藤田がようやく口を聞けたのは、車が国道に乗れた時だった。

 「ええ、いいですよ。なんでも受け付けています」

 バーデンは片手間と言った様子で藤田の質問を受け入れた。

 「一つ目、あんたが海から取ってき物、あれは何だ?」

 バーデンには見えないものの、藤田は童女の防水バックに指を差した。

 「思い出の品ですよ。彼女にとっての、それと、貴方にとっても」

 「…俺の?」

 「ええ、是非取り出してみて下さい。思い出すものがあるかもしれません」

 固まったままの童女に若干警戒しながらも、藤田は防水バックのチャックを開け、手を入れこんだ。

 防水バックの中には、まだ塩気の残る、子供用の小さな水中ゴーグルだった。

 「なんだ、これ?」

 「思い出せませんか?」

 「…何も、な」

 藤田は少し期待を裏切られたような顔をして、ゴーグルを童女の鞄の中に戻した。そして、藤田が口を開けるよりも先にバーデンが口を開けた。

 「一つ目があるなら、二つ目もありますよね?さ、早く」

 余裕ぶったバーデンの態度に、藤田は若干に顔を歪めながらも質問を投げた。

 「何で。この幽霊は固まってんだ?」

 「レコードのせいです」

 「は?、なに?」

 「レコードです。部屋で聞いたでしょう?あのレコードのせいです」

 「レコードを聞いたからって、幽霊はこうなるもんなのか?」

 藤田の視線の先には、石像の様にピクリとも動かない童女の姿、一ミリの動作も無く、余計に彼女の不気味さを際立てている。

 「言っていませんでしたが、あのレコード。幽霊を実体化させる効果があるんです。でも、力のない霊は実体化が切れると、実態と同時に存在事消失してしまうんです。彼女は後、もって一時間と言った所でしょうか」

 「はは…ははは…はははははは!!」

 バーデンの言葉を聞き終えると、藤田は狂ったように口角をあげ、勢いよく笑い出した。

 「なんだ、あんた除霊できるんじゃないか!あと一時間も経てば俺はこの子供から解放されるって訳だ!」

 感極まった様に笑う藤田の言葉に、バーデンは小さく言葉を続けた。

 「今の貴方にとっては嬉しいことかもしれませんが、私は全く、喜べませんよ」

 バーデンは車のスピードを一層上げ、法定速度ギリギリで車の間を縫って進んで行く。一行は目的地である、嶋田寺学校へと着々と近づいていた。

 

 「ふう、着きましたよ。さ、早く行きましょう」

 バーデンは校門の前に車を停めると、直ぐに固まった童女を優しく抱え上げ、早足で校舎の中に歩みを進めた。たが、藤田は動くことができなかった。

 後者の中に歩みを進めるバーデンの背中を追う事しか出来なかった。

 嶋田寺小学校、藤田が教師を務める小学校。見知った通勤先であり、大切な生徒の学び舎の筈であった。

 つい数日前まで藤田は教師として生徒に指導を行っていたのだ。それがどうだろうか、校舎全体には細いツタが覆い、校門や鉄柵は錆び付き、大量の枯葉がそこら中に積もり積もっている。

 訳も分からぬままに、藤田は校舎の中に逃げ込むように足を進め、先日まで担任をしていた筈の教室の中に足を踏み入れた。

 窓ガラスが割れている、机は大量の埃と枯葉を被り、何年も手入れのされていない様子は、一目で見ただけで万人が理解できる。

 教室の一つの席には、一人の少女の姿があった。藤田は強烈な重圧に押されるように、頭を抱え込み、地面に倒れこんだ。

 見覚え、そしてデジャブ。藤田が感じたのは精々そんな所だろう。

 「大丈夫ですか、藤田さん?」

 倒れこむ藤田の真上から、高く冷たい声が多少の哀みを含んだような声が響いた。バーデンだ。バーデンは倒れこむ藤田に一言添えて、片手に握った古びた新聞紙を手渡した。

 「見出しを」

 藤田は頭を押さえながらも新聞の見出しに目を向け、同時に、押し倒さんばかりにバーデンの襟元を勢いよく掴んだ。

 「なんだ…なんだよ!これは!!」

 藤田は体裁も捨て去って、唾を吹きかけんかの勢いで烈火の様に口を飛ばした。

 「なんでだ!なんでなんだ!何故、何故八年前に、俺が死んだことになっているんだ!!」

 藤田は吐きつけるや否や、また頭を抱え込んで地面に倒れ伏した。

 バーデンは冷静に、ただじっと藤田を見詰めている。

 「あのゴーグル、今思い出しても、覚えはありませんか?」

 バーデンの言葉に、藤田は暫く押し黙った後、ようやく口を開いた。

 「…思い出した。校外学習で海に行った時、俺は泳げもしないのに溺れた生徒を助けに行ったんだ。その時に、助けた生徒が付けていたものだ。拾おうとして、掴めなかった」

 「ええ、よくお覚えで」

 「あの少女は、その時の生徒か」

 「はい。思い出されましたか?」

 バーデンは満足そうに藤田の顔を見詰めながら、言葉を繋ぐ。

 「あなたの死因も、あの少女の事も、全て思い出されましたか?」

 藤田は首を横に振った。

 ただ、バーデンはその返しを知っていたかの様に小さく笑みを浮かべている。

 「あの少女、蓮さんですね。彼女、生前随分といじめられていたんです。持ち物を捨てられ、水を掛けられ、給食を奪われ、仲間外れにされ、海で溺れた原因もいじめにありました。泳げない蓮さんを、無理矢理沖に運んだ様ですね。子供は時に、残酷ですね」

 「……」

 「貴方が新任の教師になってから、貴方は必死に蓮さんを助けようとしていました。蓮さんの味方は、あなた一人だけだった。でも、貴方も仮にも良いと言える環境ではなかった。職場いじめにあっていましたもの。あなたは死にたいと思う程に、精神を病みましたよね。それでも、蓮さんの為に頑張ろうとして、うっかり蓮さんの前で、死にたい、と零してしまった」

 思い出せていますか?と、バーデンは言葉を繋いでゆく。

 「蓮さんはあなたが大好きだった。尊敬しておいて、とても頼りになる唯一の味方だった。だから、貴方と一緒に蓮さんは屋上から飛び降りようとした。貴方は止めようとしたが、うっかり足を滑らせて、死んでしまった」

 此処までが、貴方です。バーデンはさらに言葉を繋ぐ。藤田は硬直した様にバーデンを見詰めている。

 「幸いにも、貴方がクッションになり蓮さんは生き残りました。ですが、蓮さんはあなたを死なせたショックと、よりどころを無くして、小学校卒業後、海で一人、溺死しました。これが、貴方たちの生前の物語です」

 さらに、とバーデンは口を動かし続ける。藤田の表情は無表情に固まっている。

 「藤田さん。貴方は、死にきれなかった。生徒を救わなければ、という意思がずっと残り続けて、生きていると思い込み、ずっとこの学校に、死んでも通い続けていたんです。ですが、幸いにも蓮さん死んで霊体化したものの、自由意志が残っていました。彷徨う事数年、教師として学校に通い続ける貴方を見かけたそうですよ」

 藤田は固まったまま、返答することは無い。

 「ええ、思い出せたようで良かったです」

 バーデンが少女の板席に視線を向ければ、少女の姿は消えている。

 「私が何故手助けしたのか、ですか?」

 バーデンは石像の様に固まっている藤田に苦笑いを浮かべる。

 「仕事だからですよ。私の、私にしかできない仕事です」

 バーデンは誰も居ない教室に向かって、小さく呟いた。

 「私は幽霊屋ですよ。満足のいく成仏をさせる。幽霊の葬儀屋です」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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