第4話 綾香の予感

教室は文化祭の準備で賑やかだった。

机や椅子は隅に寄せられ、壁には色とりどりのポスター。

床には段ボールやペンキ缶、道具箱が雑然と並び、生徒たちの笑い声が飛び交っている。


遼は黙々と、段ボールの装飾にペンキを塗っていた。

刷毛を走らせる音だけが、静かに手元に残る。


そんな遼に、綾香が明るい声で話しかける。


「ねえ、遼。詩と話してるとき、楽しそうだよね?」


気軽な調子だったが、その瞳の奥にはどこかやさしい光があった。

遼は少し驚いたように手を止め、肩をすくめる。


「うん、まあ……普通に話してるだけだよ。別に、特別なことはない」


「そう? でもさ、詩も楽しそうだったよ」

綾香は刷毛を置き、ふと声のトーンを落とした。

「……遼は、本当に普通なの?」


遼は一瞬、言葉をなくす。

視線を段ボールの影に落とし、小さく息を吐いた。


「うん……まあ、普通……かな」


綾香はその表情をそっと見つめ、何も言わずに笑った。

「うん、いいと思うよ。詩ね、遼がそばにいると、ちょっと安心した顔するの」


「……そうかな」


「うん。まあ、これからも、4人で仲良くしていこうね」

綾香はやわらかな声でそう言うと、刷毛を持ち直し、また作業に戻った。


遼はうなずきながらも、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

言葉にできない気持ちが、心のどこかで静かに膨らんでいた。


その時、後ろからケンジの陽気な声が飛んでくる。


「おーい遼、真面目にやりすぎだぞ。祭りは楽しんだもん勝ちだろ?」


綾香が笑ってケンジの肩を軽く叩く。

「ケンジはいつも楽しそうだもんね」


遼も思わず笑って、肩の力を抜いた。


放課後、帰り道。

4人で歩く並びが心地よい。

夕暮れの空には、うっすらと秋の気配が混じっていた。


ふと立ち止まり、遼は空を見上げる。


「文化祭が終わるまでに、気持ちを伝えよう」


心の中で、静かにそうつぶやいた。


隣を歩く詩は、変わらぬ笑顔で空を仰いでいる。

綾香とケンジは、肩が触れそうなほど近くを歩いていた。


4人の間に、柔らかな風が通り抜ける。


遼の胸に、言葉にならない決意が、そっと刻まれていった。

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