第19話 鳥は飛ぶ 下界のことなど 気にもせず

「あの鳥、大きいですね」

西木が空を見上げて言った。


「ああ」

多々子が短く答えて、桜の木に寄りかかった。

「木葉、呼ばれて来たんだろ?」


「そうです」


「わたくしもですわ」


三人が顔を見合わせた。

藍音が何か言いたげに腕を少し上げたが、考え直したようだった。


「お待たせ〜!」


名花と氷乃が小走りで現れた。


「わ、あの鳥大きいねぇ……!」

空を見上げる癖のある名花が、真上の鳥を指差した。


「さきほどからずっと上をくるくると回ってます」

西木が右手で拳銃を作って、空に向ける。

「ばんばん」


「撃ち落としちゃだめだよ〜……!」

名花が西木の右腕を掴んだ。


「私たちを獲物と勘違いしてるかもです」

西木が無表情でボケている。


「えぇ〜……? そうなのかなぁ……」


「おい、氷乃」

多々子が呟いた。


「ん? ああ……」

西木と名花のやり取りを嬉しそうに眺めていた氷乃が我に返った。

「じゃあ、ブリーフィングを始めるよ」


「プリーフィング?」

藍音が聞き直す。

「なんか、格好いいですわね!」


「ん、いいかい? よく聞いてね」

氷乃が明朗に声を上げて、微笑んだ。

「今日を短歌同好会結成の日にする!」


「するっ!」

名花が右手を上げた。


三人が氷乃と名花を交互に見ている。

西木の目が輝いた。

藍音が胸に両手をおく。

多々子はそっぽを向いた。


「うん、いい反応だね」

氷乃が肩をすくめた。

「さて、諸君、いいかな? 結成のためにはひとつ解決すべき問題がある」

彼女は低い声を出している。


「顧問か」

多々子が腕組みをした。


「その通り、顧問が問題だ」


名花が多々子を見て、腕組みを真似ている。


「質問!」

藍音が右手を上げた。


「はい〜どうぞぉ〜」

名花がゆっくりと手を差し出した。


「短歌同好会の活動目的はなんですの!?」

藍音が勢いよく発言する。


「綺麗なものを見て〜! 詠う〜! 以上だよ〜」


「それだけ?」


「うん、それだけ」

氷乃がプリントを取り出して、見せつけた。

「同好会はその辺ゆるいみたいでね。あ、でも、予算はもらえないよ。部室は空いてるところもらえると思うけど……」


「規則などは?」

西木が控えめに手を上げた。


「ないよ」

氷乃が微笑む。

「自由に集まって、うん、それなりに……」


「ああ、上出来だ。顧問はどうする?」

多々子が遮るように言った。


「私に考えがある」

氷乃がウインクした。


「聞かせてくれ」


「吹谷先生だ」

人差し指を口元に当てる氷乃。

「あの人はいける」


「え……」

西木が声を漏らした。

「吹谷先生、ですか」


「ふいちゃん〜!」

名花のテンションが上がった。


「ふいちゃん?」

多々子が目を細めた。

「名花、そう呼んでるのか?」


「んぅ? そうだよ〜?」


「……そうか」


「うん、ふいちゃんこと、吹谷先生は今の所、部活の顧問をやっていない。去年まではチェス部の顧問だったけど、廃部になったからね」

氷乃がニヤリと笑う。

「そこでだ……みんなも知ってると思うけど、吹谷先生は可愛い子に目が無い人だ。めーちゃんもさいちゃんもたこちゃんもあいちゃんも、彼女のストライクゾーンど真ん中で間違いない」

氷乃が続ける。

「ん、あとは分かるね?」


「んぅ?」


「まさか、ひょーさん……」


「誘惑するのか?」


「ゆ、誘惑っ!?」

藍音が顔を真っ赤にする。

「む、む、無理ですわっ! わたくしにはとても……」


「いや、いけるよ。信じて」

氷乃が歩き出す。

「さあ、時間がない。そろそろ教室の見回りに来る頃だ。急いで一年四組に行くよ! 詳しくは移動中に話そう」


* * *


「ふんっふっふ〜んふ〜ん♪」

吹谷先生はご機嫌だった。


「は〜い! 悪いお残りさんはいないかな〜!?」


吹谷先生が一年四組の教室へ入っていく。

その瞬間、彼女のお腹に衝撃が走った。


吹谷先生の見下ろすと、銀髪の少女の笑顔がそこにあった。


「ふぐぇっ!」


吹谷先生は額に銃弾を受けたかのような動作で仰け反る。

鼻に手を当てて、赤い液体が垂れないように必死だった。


「ふぇ、ふぇー花ちゃん……!?」

呂律が回っていない。


「ふいちゃんだぁ……! ふわふわだねぇ〜……」

名花が吹谷先生の胸に顔を埋めている。


「あぁ……夢か……」


意識が飛びそうになっている吹谷先生の背中に暖かな温もりが添えられた。


「吹谷先生、すきです」

西木は無表情だ。


「ぬおおおおおっ!? 木葉ちゃん!?」


「すき……」

ほんのり顔を赤らめる西木。


吹谷先生の鼻から血が吹き出す。


「ふえ……んひ、ふぁんなの……? へんごくか?」


「……よし!」


氷乃の号令とともに、藍音と多々子が教室に突入する。

名花と西木が吹谷先生から離れた。


間髪入れずに吹谷先生をの両腕に抱きつく多々子と藍音。

二人は先生を近くの椅子にゆっくりと座らせた。


「えええええっ!? 何!? なんなの!?」

吹谷先生がブンブンと首を回している。

「あ、まって! もうちょっとだけ、めいかしゃんとこのはしゃんと……」


「ダメです」

氷乃が冷笑を浮かべ、吹谷先生の鼻にティッシュを入れた。


「ふぐぇっ」


「少々、お話をよろしいでしょうか」


「氷乃……? 月似、と藍音さん……?」

吹谷先生が怯えるような声を上げる。

「え……ご褒美?」

彼女は素早い動作で、両隣にいた多々子と藍音の胸を揉み始めた。


「ひぃっ!?」

藍音が尻餅をつく。


「おい、やめろ」

多々子のしっぺが炸裂した。


「吹谷先生、短歌同好会の顧問をやってください」

氷乃が早口で言って、机に申請書を叩きつけた。

「あとはあなたのサインだけです」


「……?」

吹谷先生はぽっかりと口を開けている。


氷乃が微笑んでゆっくりと近づいていく。

吹谷先生に正面から抱きつく彼女。


「ひょ、氷乃……いい匂いするぅ……」

吹谷先生が抱きつき返す。


氷乃が吹谷先生の耳元で囁いた。

何を言ったのか、他の四人には聞こえていない。


吹谷先生の目が見開く。

彼女は勢いよく書類にサインを書き入れた。


「よし、撤退!」

氷乃が書類を高らかに持ち上げて叫んだ。


五人が蜘蛛の子を散らしたように教室から出ていく。

彼女たちは長い廊下を颯爽と駆けていった。


嵐が去った。

わずか三分にも満たないオペレーションが終了したのだ。


「……え? 何?」

一人残された吹谷先生が呟いた。

「……藍音さん、胸大きかったな……」

彼女は左の掌を眺めていた。


* * *


廊下を走っていく名花が詠う

「飛ぶ鳥を〜人は落とさず、地を歩く〜」


名花は今日も、詠うのをやめない。

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