第6話 黄昏る 少女はきっと 夢を見ない

本日最後の授業を終わらせる鐘がなる。

その数分後、学校周辺が一気に騒がしくなった。


名花のクラスの生徒も、もうすでに半分以上が下校を始めていた。


「有的名花、ちょっと来なさい」

吹谷先生が神妙な顔をして、黒板の前で仁王立ちをしている。


「んぅ〜?」

ぼけっとしていた名花は眠そうな目を吹谷先生に向けた。


カバンを背負って、教室から出ようとしていた生徒たちが名花に注目している。


てててて、と吹谷先生の側に寄っていく名花。


「なんですかぁ〜」

名花はニコニコしながら背伸びをして、吹谷先生の顔を覗き込んでいる。


そんな名花に、あろうことか吹谷先生は襲いかかった。


渾身の力をこめるように筋肉を隆起させた吹谷先生の両腕が名花を捉え、がっちり掴んで離さない。


「ふ、ふわぁぁぁぁ苦しいよぉぉ!」

名花がジタバタ暴れる。


「帰りのホームルームが終わったらすぐにハグさせなさいって言ったでしょーがぁぁぁっ!」

そう言った吹谷先生の顔はとろけている。その尊顔は、この街唯一のファミレスから出てくるチーズハンバーグの中身のようだった。


「苦し……息、でき、ないよぉっ……」

両足ともに浮いた名花が暴れている。


吹谷先生がさらに力を込め始めたその時、名花が腕の中から消える。


「え? あれ!?」


解放された名花が、背の高い黒髪ショートカットの王子様に抱きかかえられる。

王子様とお姫様は何も言わずに教室から出ていった。


「ひょ、氷乃……! ま、待って、もう少しだけ……! ねえ、お願いだから!」

吹谷先生が虚空に向かってヒステリックに叫んでいる。

「うぅ……名花ちゃん……」


「ひ、氷乃先輩、すごい表情だったね……ちょっと、怖かったな……」

一部始終を見ていたクラスの女の子たちがヒソヒソと話し始めた。

「でも、シリアスな氷乃先輩もかっこいい……」


「いいなあ、お嬢様抱っこ……」


「私もしてもらいたい……」


「はぁ……かっこいいの限度を知らないんだ、きっと」


「名花ちゃん、ずるいなぁ。氷乃先輩と幼馴染だなんて」


「吹谷先生のほうがずるくない? 名花ちゃんとハグしてるんだよ?」


「あ、あんたそっち?」


「違うけど、名花ちゃんはすき」


「わかるわー」


いつもの光景だ。


「……」

崩れ落ちた吹谷先生のうめき声しか聞こえなくなった教室を支配したのは、ぺらり、とページをめくる音だった。

西木はこの事態に一切の興味示さずに、分厚いハードカバーの本を読みふけっていた。


* * *


その教室から名花が消えてから数分後、窓から夕日が差し込み出すと同時に、多々子が颯爽と入室してきた。


多々子は、黒板の前でぺたんと座っている吹谷先生を十五秒ほど見下ろしてから、屈んで言った。

「おい、大丈夫か?」


「……可愛い声だ、癒される」

絶望の淵から救いを求めるように、吹谷先生がそう言って頭をゆっくり上げる。


「どうも。名花はもう帰ったか? あんた、ここの担任だろ」


「その喋り方、月似だな!? そして、黒!!!」


「いつも元気だな、あんたは」

多々子は姿勢を変えない。


「名花は脱走した……」

吹谷先生が呟く。まるで呪詛のように。


「なに?」


「名花は脱走兵になった!! ひっとらえろー!」

吹谷先生が勢いよく立ち上がった。涙目である。


「可愛い子には旅をさせろ、とはよく言ったもんだ。これじゃあ、いやでも旅に出るぞ」

多々子はそう言って、教室の後ろの方に歩いていく。

「読書中すまない、名花、どこか行くとか言ってなかったか?」

一人ぽつんと座っている西木に、多々子が話しかけた。


「いえ、氷乃さんが連れて行きました」


「ああ、なるほど」


「名花さん、人気ものです」


「そうなのか?」


「氷乃さんも、いつも名花さんを探しています。そして、今日はあなたが来た」


「私は用があるだけだ」


「そうですか」


踵を返そうとした多々子が動きを止めた。

西木の机の上に視線を送っている。


そんな多々子を不思議に思ってか、フクロウのように首を傾げる西木。


「あ、これ、ですか」

西木が机の上に敷かれていたプリントを取り上げる。短歌同好会の案内のプリントだ。

「なぜかまた、名花さんがくれたのです。二枚目です」


夕焼け、次に西木の口元を確認する多々子。

「そうか」

口から出た言葉はそれだけだった。


「邪魔だったな。悪かった」

多々子はそう言って、教室を後にした。

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