30. 交錯の三世界

「お願い、逃げ──」


 胸部を鋭利な触手によって貫かれ、血反吐を吐きながら倒れ込む母親が告げた言葉は、子供の耳には届かない。


 燃え上がる木々、崩壊する家屋、灰と炭に呑まれいく王国の全貌。

 その王国の名はリレスト。昨日までは活気盛んで平和な国であった。


 逃げ惑う国民たちはただ絶望に沈むまま、漆黒の意思持たぬ人影──黒影こくえいと呼称された存在によって破壊され続ける街並みの只中にいる。


 円形の城壁に囲まれた王都中央に聳え立つ荘厳な城の中心部では、そんな王国を救うべく盲目の国王──ヴェルディエーテ=リレストがひたすらに転移の陣を描き続けていた。


 異界の使徒による侵略は、これが初めてではない。

 過去五年ほどで幾度となく経験してきた、もはや自然災害のようなものだった。


 これまでは例え黒影が国を侵攻しようと、国王直属の五人の騎士によって尽く駆逐できていた。

 しかしどうだろう。今回の侵略は、過去の侵略全てが子供の遊びだったとでも言いたげなレベルで桁違いだった。


 明確に理由がある。それは、黒影の『指導者』が現れたことだ。

 いつものように空を割いて現れた『異門』から降り立つ、黒い人影群。それらの最後尾に、女がいたのをヴェルディエーテは側近に聞かされた。


 宙に浮かび、まるで盤上で駒を操るように黒影に指示を出し、燃え上がる王都を睥睨する女が確かにいたと。


 ヴェルディエーテはそんな黒影たちの親玉おぼしき女に、『指導者』という仮名を付けた。


 そんな指導者が指揮する凶悪な黒影の数々を前に、直属騎士と言えど全く歯が立たず、ヴェルディエーテは禁忌──『王国ごと別世界に転移させる』という策を取った。何もせずに国が滅ぶより、別世界で国を再建する方がいいと、ただそれだけを思って。


 しかしそれは仕方ないとは言え、やはり禁忌と言わざるを得ない策だった。


 焦燥に押し潰されそうな時を経て、遂にヴェルディエーテは転移陣を完成させる。

 これほど大きいのは初めてにしろ、かつて異界の少女を元の世界に帰してやるために転移陣を描いたことがあったので、成功する確信はあった。


 祈る中、白色の光源に包まれた王国全土は、目論見通り別世界への転移に成功する。


 ただ──転移先では国民全員が自我を失った異形と化し、ヴェルディエーテ自らも魔力を殆ど扱えないスライムへと変化したのは大きな誤算だった。


 辛うじて自我が残されていた直属騎士五人は、王国を守るという意志で探究者と呼ばれる人間たちが王国に上陸するのを防ぎ続け、『守護者』と呼ばれるようになった。


 守護者たちは一年もの間、探究者の上陸を阻み続けた。


 ──そう、あの日。

 英雄と呼ばれる五人が守護者全員を葬るまでは。


 力を失ったヴェルディエーテは容易に英雄たちに捕らえられ、第三禁足地に幽閉された。

 その軟体と周囲の異形たちの力を利用して第三禁足地を抜け出し、今に至る。


 ※


「黒影はこの世界でも現れ、侵略者レイダーと呼ばれているらしい。更にその侵略者は理想世界と呼ばれる別世界から襲来することが分かった。我々を狙っているのか、それとも別に狙っているものがあるのかはわからない。そもそも別世界を侵略することこそが彼らの本能なのかもしれない」


 物思いから現実に戻ったヴェルディエーテは、ワディに恐るべき事実を告げる。

 王国消滅の原因が逃げた先の世界でも姿を現したと聞いて、ワディは慄いた。


 逃げた結果文明の崩壊と国民たちの異形化を招き、更には逃げた先にも侵略者が現れた。

 その事実は絶望以外の何者でもない。しかし、


『ヴェルディエーテ様。これからどうするのですか?』


 ワディはその忠誠心でどこまでもヴェルディエーテについていくという意思を見せる。

 そんな変わらないワディの仁義に安堵しつつ、ヴェルディエーテは告げる。


「この国を再建する。異形と化した国民全員を人間に戻し、文明も取り戻してみせる。そのためにはまず他の四人も蘇らせなければならない。それから──俺のことはヴェルディエーテではなくライトと呼べ。これからお前を使い魔として、学校に戻らなければならないのだから」


『承知しました。ライト様』


 こうしてライトが異形使い《テイマー》となり、ワディが頷いた、その時だった。


 二人の脇、シデラックの死体前方に旋風が起こる。


 身構えた二人の前で旋風は人の形を模っていき、やがてそれは完全に人の姿となって顕現する。その突発性と異質な雰囲気から、ヴェルディエーテは理想教団アルカルト導師の誰かが現れたのだと思った。


 目の前にいるのは、肩ほどまで伸びた桃色の髪を揺らした、女。


 何の前兆もなく現れたその女を凝視して、ヴェルディエーテは途轍も無い寒気に襲われる。直感でわかった。理想教団アルカルトの導師ではない。


 あの時の女だ!


 ヴェルディエーテは確信する。今目の前に突如として姿を現したこの女は、王国が滅んだあの日、黒影たちに指示を出していた指導者の女に違いない。


 つまりは理想世界の住人。侵略者の支配者。


 得体の知れぬ恐怖を感じて、ヴェルディエーテはシデラックを葬ったのと同じ剣を即座に向ける。しかしその女は避ける素振りを見せない。攻撃は無駄。そう悟ったヴェルディエーテの剣が透過するのを待って、女は口を開いた。


「無駄だよ、これホログラムだから」


 女の口調は、意外にも温厚だった。

 そんなことはヴェルディエーテにはどうでもいい。ヴェルディエーテの頭の中は疑問で埋め尽くされている。


 何故今ここで現れた? 何故攻撃が通用しない? ホログラムとは一体?


 焦るヴェルディエーテの思考は加速、加速、加速していく──が、女が次に発した言葉を耳にして、戦慄に染めあがる。


「まさか狙い通りに別世界に逃げてくれるなんてね。あのさ、君らが化物に変わったのってミリアのおかげなの」


 確実にヴェルディエーテの苛立ちを引き出すように、ミリアと自らを称する少女は、衝撃の事実を告げた。


 黒影が王国を侵略したあの日、ミリアは意図的にヴェルディエーテに転移の禁忌術を使わせたのだ。そうして転移先で人間全員が異形と化し、文明が朽ちるように仕込んだのもミリアの仕業だと言っている。


「何故、なんのためにお前らは!」


 冷静なヴェルディエーテも、これには激昂を隠さない。獅子の姿をしたワディはミリアに今にも牙を向けそうだ。


「教えないよ。でも、ミリアたちが実体をこの世界に送れるようになったら君らはもう終わり。それまで精々原住民とやりあってて」


 それだけ言って、旋風は消失した。

 不気味な程に静謐な空間で、ヴェルディエーテは思考を巡らせる。


 本当にそれだけを言うために、わざわざ姿を現したのか? ──いいや違う。ミリアの目的はこれを告げるだけでは無かった。


 シデラックの死体が消えている。何に使うのかは知らないが、ミリアは英雄の肉体を持って行った。


 それを見て嫌な予感を覚え、ヴェルディエーテは社殿──自らの赤子が眠るはずの産屋へと駆ける。


 全身が震えるほどの悪寒が、警鐘と共にヴェルディエーテの脳内を埋め尽くしている。

 ヴェルディエーテは開けた。小さな小さな産屋の、木造りの扉を。


 そこには、何もいなかった。


 シデラックの死体同様、持って行かれたのだ。我が子を。ずっとずっと探し続けていた、シェイラとの愛の結晶を。


 ヴェルディエーテは深く深く項垂れ、絶望する。


 自分が対処しなければならない、理想世界の侵略者が底知れぬ実力を有していること。

 ミリアたちという文言からして、理想世界の指導者が複数いること。

 そして、探し続けてた赤子を奪われてしまったことに。


 途方も無い巨悪が王国とこの世界を狙っている。


 この世界を支配するのは、英雄か、魔王か、それとも侵略者なのか。


 三者三様の計画が、思惑が、野望が──交錯する。

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