18. 夜風と五人
ライトがシデラックの研究室に加入したその日の夜。
明かりが消された男子寮の四階角部屋、二段ベッドの下段でライトは眠りにつこうとしていた。
目を瞑る前にギシギシと音が鳴る上段の床板を見つめる。上段では今、ルームメイトであるペーレが寝ている。二段ベッドという貴族は絶対に見たことがないであろう代物を見て、ペーレは我先にと上段を奪ったのだ。
ギシギシの正体は身悶えるペーレである。ペーレは寝相が悪い。まだこの部屋で暮らして七日しか経っていないのに、既にベッドから二回落ちている。
ストッパーがないベッドの構造も悪いが、大怪我を負う前にと下の段に行かせようとしたライトの気遣いを、ペーレは跳ね除けた。
ベッドから落ちるたび「落下が人を強くする」なんて訳のわからない夢遊じみた発言をして、千鳥足のまま梯子を登るのだ。
取り憑かれてる、ライトはそう思った。
二段ベッドの上段には少年の心を掴む魔力が秘められている。あのギシギシはいつもと変わらない光景。ペーレは夢の世界で羽ばたいているのだ。
ライトは目を瞑って何の気ない考え事に耽る。思考しながら、意識が現実から夢に変わる瞬間を待つ。
そんな時、「ぬおぉぉおおおん」という異質な音が狭い四畳半の部屋に響いた。
その音で、現実と夢の狭間にいたライトの意識が突然にベッドの上に舞い戻ってきた。
飛び起きる、音の正体を確認する。
音はライトの頭上から響いていた。
ペーレの声だった。ペーレはまだ起きていた。
「なあライト。俺、ホームシックな気がするわ」
意味の無かった音が突然意味のある言葉になった。しかし突拍子がなさすぎて、ライトはホームシックの意味がわかりかねた。
徐々に覚醒しだした頭で、ようやくペーレに突っ込みを入れる。
「早くない? まだ一週間だよね?」
言って、ペーレがもがきながら奇声を発していた理由を察する。
ライトにはわかるのだ。今まで貴族の子息として広大な屋敷で過ごしてきた人間が突然こんな狭い部屋に、ましてや小さな二段ベッドに押し込まれて、そのギャップに耐えられるわけがないことは。
晴らしたい気分を何とか押さえつけて、奇声に変えていたのだ。
身悶えるのはちょっとホームシックというよりはマザコン気質のようなものを感じたが、それはいいとして。
「なあちょっと一緒に外に出てみないか?」
梯子を使わず器用に上段から飛び降りてペーレは提案したが、ライトは冷静に告げる。
「もうとっくに門限が過ぎてるよ。いざ見つかったら明日は一日中ご飯抜きになるし、リスクが高すぎる」
寮の門限を過ぎて外にいた生徒がどうなるか。その結末を、既にライトとペーレは目撃している。しかもそれを見たのはタイムリーなことに今日の昼だった。
白目を剥いて涎を垂らした男の上級生が「食わせて……くれ……」とまるで歩く屍のように食堂へ入ろうとするのをゴーレムに阻まれていた。
それを見たリディレアが「寮の門限を守らなかったらああなってしまうのよ……」と震えて言ったのは、二人の記憶に新しい。
「背に腹は変えられねえ。今夜外に出ないと、俺の中のホームシックが暴走してこの世界を蝕んじまうかもしれない」
門限を破るべき理由として、ペーレはそう言った。
男は十五歳ぐらいになると、変な妄想や自分が世界を変える人間に違いないという誤認識が加速するのだと、ライトは聞いたことがあった。
まさしくそれが今のペーレなのだと、深く感動した。──待てよ、ホームシックが暴走したところでどうやって世界を蝕むんだ?
しかし、
「わかったよ。行こう」
ライトは深く考えず了承してしまった。こうすることでペーレの寝相が良くなるならと、ただそれだけを願った。
夜の学校は不気味な程に静かだった。
夜でなくても
しかし夜はそれよりももっと静かだった。昼間は気にしない、木々の擦れる音や虫のさざめきまでも聞こえてくる。
「俺の家ってさ、兄弟めちゃくちゃ多いんだ」
二人で歩きながら、ふとペーレが口を開いた。
ただ無言のまま歩くのでも心地よかったが、友達と話すとその心地良さは倍増することにライトは気づく。
「何人兄弟?」
「じゅうに」
ライトのありふれた問いにペーレは即答した。まるでライトの心を読んだかのような速さだった。そのあまりの速さに、「じゅうに」という言葉が数字のようにライトには思えなかった。まだ寝ぼけているのかもしれない。呆けるライトに、
「十二人!」
ペーレは声を少しだけ大きくする。
この辺りは監視用ゴーレムが徘徊している。下手に大きな音を立てると二人とも歩く屍になりかねない。
「十二⁉︎」
ライトは芯のない掠れた声で驚きを露わにする。とても裕福な貴族といえど十二人兄弟なんてのはあまり聞かない。
「の、十二番目だ」
更にライトが驚くような情報をペーレは提示する。眉間に皺を寄せながら、ライトは聞く。
「もしかして、二段ベッドを見るのは……」
「寮が初めてじゃないぜ、家にあった」
なんでだよ、という言葉がライトの舌の上に乗ったがなんとか飲み込む。
家にあったのにも関わらずあれだけの執着を二段ベッドの上段に見せたのは、謎だ。
「家では上段だった?」
家で下段で寝る事を余儀なくされたのであれば仕方ないが、
「上段だったぜ」
「なんでだよ!」
遂にライトは叫んでしまった。慌てて周囲を見回し監視ゴーレムがいないのを確認する。
……いなかった。
再度訪れた沈黙を遮って、ライトは二段ベッドから話題を変える。
「もしかして兄弟仲が結構良かったんじゃない?」
「そうなんだよ、兄弟どころか母ちゃん父ちゃんみ~んな仲がいい。俺は兄ちゃん姉ちゃんにめちゃくちゃ可愛がられてたんだけど、そのせいでホームシックだぜ」
自分がいかにホームシックなのか語るためだけに、ペーレは自分が十二人兄弟の末っ子なのだとライトに語ったのだ。
ライトはそんなことよりもペーレが両親を母ちゃん父ちゃん呼びしているのが面白くて笑ってしまった。
「なんで笑ってんだよ」
「なんでもな──」
そこまで言って一度周囲を見回し、
「今何か聞こえなかった? 裏庭の方」
ペーレに警戒を促す。
誤魔化そうと思ったのではない、本当にライトの耳には夜の構内に響くはずがない異質な音が聞こえたのだ。
それは風を切るような音だった。
耳を澄ますとシュン、シュン、という音が小気味よく聞こえてくる。
ライトだけでなくペーレの耳にもその音が聞こえ、二人は恐る恐る寮舎の裏庭を覗いてみることにした。
そこにいたのは、
「ガザン君だ……」
今日の午前の授業で二人と一緒にチームを組んだクラスメイト、ガザン=バレインシュトだった。
ガザンは
ライトとペーレは察する。ガザンは努力を人に見られるのが嫌いなのだ。ルデラに模擬戦で負けてから、必死に自分を高めようと努力しているのだ。
今日見たガザンの剣は明らかに成長していた。その理由を垣間見れた気がして、二人は微笑む。
ガザンに気づかれないようにそっと帰ろう。二人の意見が合致し、忍足でこの場を離れようとする。踵を返そうとしたまさしくその瞬間、
「二人して何してんの?」
「「──っ!」」
背中から声が躍り出て、二人は尻餅をついた。
ゴーレムは喋らない、だから監視ではないと判断した二人の目に、真っ赤な髪が映る。
リディレアだった。しかもその背後に隠れるようにしてロレーヌがいた。
意図せず、こうして四人が遭遇したのは運命が引き合わせたのだろうか。
「ただ夜風に当たってただけで……」
立ち上がりながらペーレが言い訳をする。いや、言い訳をしなければならないような悪いことを二人はしていない。謝るとするならば覗き見をしたガザンにだが、
「ふーん、私たちがいない間に男二人で色々楽しもうってワケね」
リディレアはまるで嫉妬しているかのように口を尖らせた。
なにを、そっちもロレーヌと二人で出かけてるじゃんか、なんていう反論はリディレアの圧に押し潰されて消える。
「そろそろ戻るよ、見つかってご飯抜きは嫌だからな」
何事も無かったかのようにペーレがライトの腕を引いて立ち去ろうとしたが、
「ねえ聞いてよ。さっきロレーヌがエルシラ様と話してて……何を喋ってたか全然教えてくれないの」
リディレアは怒るでもなく、尋ねる。ただ二人に話を聞いて欲しかっただけだったのだ。
リディレアの後ろにロレーヌはいる。つまりリディレアが今この場にいるのは、こんな時間に部屋にいなかったロレーヌを追っていたからなのだとライトは理解する。
「ロレーヌがエルシラ先生と? 何話してたんだよ?」
ペーレが直接ロレーヌに聞いた。リディレアが聞いても答えなかったのに答えるはずがない。しかしわざわざこんな時間に寮を抜け出して英雄と話していたとなると、友達として気になるにも程があるのだ。
「本当に何でもないの……」
いつもの小さい声でロレーヌは俯いた。
その小さな声は、静かなこの場では鮮明に三人の耳に届く。
そんな縮こまったロレーヌを見るともう誰も深追いができなくなり、諦める。そしてリディレアは話題を変える。
「そういえばロレーヌったら毎日寝言が面白いのよ? 『シア』っていう人の名前を頻繁に呟いてて、恋人かなって思ったんだけど違うらしくて、」
「その話はやめて!」
突然、聞いたこともないような絶叫が夜闇を切り裂いた。
他でもないロレーヌがその大声を出したことに三人は絶句する。
まるで思い出したくない忌々しい記憶を呼び出してしまったかのように、ロレーヌは目を強く瞑っていた。
そんなロレーヌの尋常じゃない様子を見て──数秒の静寂の後、リディレアは謝った。
「ロレーヌ、ごめんなさい。……見つかる前に寮に戻りましょうか」
こうして四人が寮の入り口に戻ろうとすると、
「お前ら、何してんだァ?」
振り向くと、今の今まで裏庭で稽古に励んでいたガザンがいた。
四人はすっかりその存在を忘れていた。ロレーヌのあの声で気づいたに違いない。
「すまんすまん、覗き見ようとかそういう気持ちはなくて、」
その時、ピコンピコンというこれまた不気味な音が五人の背後から響く。
五人は絶叫する。何故ならば。
「こんな堂々と五人で集まってるなんてな。大胆にも程があるぜコンニャローども」
監視ゴーレムを両脇に侍らせた
ロレーヌの声に気づいたのは、ガザンだけでは無かったのだ。
こうして五人は翌日、食堂前で歩く屍となった──。
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