受け月

西野 夏葉

受け月

 世界は誰も置いていかないと言いながら、どいつもこいつも網の目からすり抜けて排水口に吸い込まれてゆく野菜クズなどには目もくれない。そもそも私たちが生きているこの世界は、すべての存在を等しく受け止めるような構造になっていない。結局は、なんとか網の目にへばりついて踏ん張るクズまでなら仕方なく一緒に皿へ盛ってやる程度の気持ちを持ち合わせているだけで、すべての人間が米粒どころか胡椒の粒ひとつ残さず皿を舐め取るようなエコロジー主義者というわけでもなく、なんなら料理を写真に残してSNSで承認欲求を満たした後は腹も満たさずゴミに捨てるような本物のクズが混ざっている。

 最近では品行方正に生きるほうがよほどの狂気に思えてくるおかしな世界で、私は昨日も今日も、そして明日も、網の目から零れ落ちないように踏ん張って生きるのだろう。


 どれだけ残っても賃金の出ないエクストラステージを途中で切り上げ、会社のビルを出ると艶のない真っ暗な空に浮かんでいたのは、細い三日月。それもまるで杯のような形をしている、みごとな受け月だった。

 子供の頃、馬鹿正直に赤服の髭老人におもちゃを願って眠りに落ちて、あくる朝に枕元でジグソーパズルがこちらの寝顔を眺めていたときから、私は何に対しても、何も祈らなくなった。受け月に手を合わせて祈ると願い事が叶うなど、自分の給料から天引きされた分の年金が将来支給されるということと同じくらい朧げで、嘘くさい。


 願う以外に行動を起こさないうちは何も叶いやしない。本当に求めているのなら、死ぬ覚悟で今すぐに何かを始めなければならない。宝くじを仏壇の前に置いたところで大金は当たらないし、売り場に並ぶ時間があるなら一文字でも多く何かを書いて売り込むとか、食べ物を粗末にして変な笑い声を上げた動画をYouTubeにアップロードして羞恥心を捨てるとか、そういう「無」から「在」を生み出すベクトルの行動が必要なのだ。



 だったら、どうしろというのだ。

 大量の水みたいな「在」にし潰されそうになりながら、懸命に「無」になるまいと世界の網の目にへばりついている、私は――。



 月の光は万物に向かい平等に降り注ぐ。

 その代わり、誰に対しても答えを寄越すわけではなく、あたたかく包みこんでくれることもない。だからと言って冷たく肌を刺すこともないのが救いだ。



 気づけば、掌を杯のように丸くしながら、手元に受け月をつくっていた。

 せめて月の光だけは零さずに受け止めたいと、無意識に感じたからかもしれない。



 月の囁きの代わりに、行き交う車のエンジン音を耳にしつつ、帰路に就いた。やがて駅に着いても、月がその表情を変えることはなかった。



/end/

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受け月 西野 夏葉 @natsuha

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