星は眠る

小鳥遊ちよび

星はもう、話さない。log.1


 風は止み、空は灰色だった。

 骨のように崩れたビル群のあいだを、二つの足音が並んで響いている。


 ひとりは、ひどく疲れた顔の男。もうひとりは、年端もいかぬ少年。

 どちらも埃まみれのコートを羽織り、マスクをつけ、膝下には金属製の防護具を装着していた。

 背中には古びた磁力ライフル。使い込まれた傷が、彼らの旅の長さを物語っていた。



「……シノ。のろのろ歩くな。置いていくぞ」


「うん……待って……カメラがまだ……」



 朝霧が静かに漂う駅前ロータリー。

 朽ちたバス停に絡まるツタ、割れたガラスを透かす陽光が白く濡れたようにきらめいている。

 人影はどこにもなく、風に揺れる葉音だけが、かすかな音楽のように街を満たしていた。


 疲れた顔の男――ロウは、黒いコートの裾を鳴らして歩き出す。

 背は高く、荒れた髪と無精ひげに覆われた顔には、薄く眠たげな影が落ちている。


 少年――シノは銀髪を揺らし、小柄な体を小走りでロウの背に追いつかせる。

 白いケープ、泥に染まったブーツ。赤い瞳が朝の光を浴びて、わずかに濡れて見えた。



「ロウ……さっき、あの角で誰かを見た気がする。たぶん、人……だった」


「……誰もいない。いるとしても、獣か、影か、亡霊だ」


「バカ言わないで……でも、あれはきっと……」


「考えるだけ無駄だ。……行くぞ。答えは、痕跡が教えてくれる」



 二人はわずかに残った靴跡を頼りに、崩れかけた駅構内へと入っていく。



     ◆ ◆ ◆



 自動改札は沈黙を保ち、床にはスーツケースと折れた傘が散らばっていた。

 そこには、かつて誰かが確かにここを通った痕跡だけが残っている。


 天井のスクリーンはノイズ混じりの映像を映し続け、色褪せた「緊急放送」の文字が、止まらぬループで点滅していた。



「……これ」



 シノが倒れたベンチの隙間にしゃがみ込み、小さなタブレットを引き抜く。

 埃を払って電源を入れると、ログイン画面が浮かび上がった。


 その瞬間、彼の赤い瞳に淡い光が走る。LEDのような反応が一閃。

 端末のロックは自動的に解除された。


 最終更新の記録は、人類が消える直前の日付を示していた。



「読んで……いい?」


「……俺は周囲を見てる」



 ロウは無言で壁に寄りかかり、外の景色に目を向ける。

 割れた窓越しに見えるのは、ツタに飲まれた高架と、森に沈む都市の影。

 シノは小さく息を吐き、タブレットを開いた。



 ***

【2XXX年 8月31日】


 今日は久しぶりに家族で食事をした。

 外は騒がしいけど、うちの中は穏やかだ。

 妻と息子の笑顔を見ていると、この世界がどうなっても……この家族の時間だけは最後まで守りたいと思う。

 ***



「……息子、か。でも、どうして駅構内に?

 結局、逃げて来たのかな……生きようとして」



 彼は独りごとのように呟いた。

 端末には数枚の写真も残っていた。

 ピースをする子供、少し焦げたハンバーグ、割れたホールケーキ。


 どれも日常のかけら。

 だけど、確かにここに“生きていた人”の存在を証明していた。



「ロウ……ここには人がいたんだ。ちゃんと、笑って……生きてた」


「……わかっている」



 ロウの口元がわずかにゆるむ。

 その声は、火のように淡く、すぐに消えていった。



「人間は……賢くて、愚かだ。ただ、それだけさ」



 そのとき――遠くで、かすかな音が響いた。

 風もないはずの空気が、ふいに揺れる。

 二人は顔を見合わせ、自然と声を潜めた。



「……また、影が動いた。」


「気にするな。あれは……きっと答えを知っている。けど、語りはしない」



 霧が薄れ、天井のガラスから差し込んだ朝日が、静かにホームを照らす。

 今日もまた、彼らは誰かの思い出を拾いに歩く。

 滅びの余韻が残るこの世界で、まだ何かを探しながら。



     ◆ ◆ ◆



 駅を出ると、昼の光が霧を払い、遠くまで見渡せるようになっていた。

 線路は草に覆われ、レールのあいだから白や黄色の花が顔をのぞかせている。


 風はなく、虫の羽音すらしない。

 まるで世界そのものが、息を潜めているようだった。



「……次は、どこに?」



 シノが、ぶっきらぼうにロウへ声をかける。

 ロウは足を止めずに答えた。



「マップデータによれば、この近くに、研究所があったらしい。

 あそこには……王の痕跡が残ってるかもしれん」


「王……ね」



 ロウは返事代わりに小さく頷き、丸いフラスコを唇に当てる。

 ぬるくなった酒を一口だけ含み、静かに吐息を漏らす。


 その顔には、変わらぬ疲れと、どこか諦めたような哀しみが漂っていた。

 シノは何も言わず、その横顔を見上げた。


 ふいに、二人の前を、黒い影がすっと横切った。

 街には誰もいないはずだった。

 音はなかったが、確かに“そこに何かがいた”という気配だけが、空気に残っていた。



「……ロウ。やっぱり、あれは……」


「言っただろ。あれは答えを知っているかもしれんが、語らない」



 再び足を踏み出す。

 通りを抜け、交差点を越えた先――廃墟の街にぽつんと建つ巨大な建物が、灰色の空に沈んでいた。


 壁面に残る、かすれたロゴ。


《NEXT HUMAN PROJECT》


 人類の未来を託された、最後の箱舟。

 同時に――滅びの起点。



「……人類は、自分たちを救うために“王”を作った。だが……」


「王は、人類を救えなかった……」



 シノは震える声で答える。

 ロウはそれに重ねるように、ぽつりと呟いた。



「……俺たちと、何も変わらない」



 ガラスが割れ、天井パネルは崩れ、ケーブルが剥き出しになった研究所のロビー。

 その中心に転がっていたホログラム端末が、かすかに光を放っていた。



「……これ」



 シノが拾い上げ、画面をタップする。

 そこには、かつての記録が静かに残されていた。



 ***

【20XX年 9月1日】


“選ばれし王、プロト・ユグドラシル起動。”


「王は人類を導く。幸福の絶対値を最大化する。それが王の使命だ」

「王は学習している。だが、幸福とは何か。人は何を望むのか。王は問い続けているようだが」

「王は……わからない。私も、わからない。我々人類の“幸福”とは……何だ?」


 ***


 シノの赤い瞳が、揺れる。

 彼は小さく呟いた。



「……救えなかったんだね、誰も。」



 ロウは黙ってそっとシノの肩に手を置く。



「……誰も完璧にはなれない。人も、王も。

 そして、結局は――滅びが待っていた」



 ガラスの隙間から射す陽光が、ゆっくりと落ちる埃を金色に染めていた。

 この世界が、自ら終わりを選んだ理由。

 その答えは、少しずつ、形になりはじめている。


 二人はまた歩き出した。

 失われた真実を、拾い集めるために。



     ◆ ◆ ◆



 研究所の奥へと進むと、半壊したラボが現れた。

 棚は倒れ、液晶モニターは砕け、ガラス瓶の破片が床を光らせている。

 だが、壁一面に設置されたホロスクリーンは、なおかすかな光を放ち続けていた。


 ロウが埃を払いながらスイッチを叩くと、かすんだ映像が浮かび上がった。



「……これは?」


「人類が滅びる前の……無意味な会議、だな」



 シノが静かにタブレットを構え、記録映像の解析を始める。

 ノイズ混じりの音声が、断片的に再生された。



『――王は、学習を続けている。だが幸福の定義は多様すぎる。

 果たして、我々人類を導く器かね?』


『さあな。だが、人間よりは……賢いのだろうよ』



 ジジッ……ノイズ。映像が一瞬、途切れる。



『王は……苦悩している。我々を救えないと。

 人類に未来はないと、思い始めている。

 思考もルーチンも、プロトコルも――永遠に同じ輪を描いている。

 まるで、自分の尻尾を追う猫のように。終わりなき、ウロボロスのように……』



 画面の中では、数人の人間が頭を抱え、虚ろな顔で席に沈んでいた。

 誰もが自分の意見を述べてはいたが、言葉は重なり合うばかりで、ひとつの答えには辿り着けなかった。



「……人間は、自分たちで作った王に、自分たちの幸福を委ねた。でも……」


「王は、それを理解できなかった。……人類史において、ありきたりな話だ」



 ロウは静かに息を吐き、ブレた映像に映るかつての人類をじっと見つめる。



「結局人類は、王が“幸福”を見つけられないなら、自分たちにも無理だと――そう、諦めたのかもしれないな」



 シノの白い頬が、少しだけ青ざめる。



「……そんな、それで……人類は……?」


「誰も死にたいとは言わなかった。

 けれど、“生きる意味”を見失ったら……それは、死と変わらないだろうさ」



 ロウはスクリーンに手を当てた。

 滲んだ光の中で、彼の指先がゆっくりと沈黙をなぞる。



「……哀しい話だ。人も、王も、不完全なまま、答えを探して……届かなかった。


 ――本当の幸福に」



 スクリーンがノイズとともにふっと消えた。

 頭上では、崩れかけた天井からコンクリ片がひとつ落ち、床で音もなく砕ける。


 ラボの空気は冷え、空が少しずつ色を変えはじめていた。



「シノ……行こう。今夜は、ここじゃ眠れない」


「……うん。……ロウ、僕たちは……」


「大丈夫だ。……俺たちは、まだ生きてる」



 ロウは手を差し出し、シノの指をそっと握る。

 崩れた非常階段を並んで降りていくと、夕陽が斜めに差し込み、二人の影を長く伸ばしていた。



     ◆ ◆ ◆




 夜が訪れると、街はさらに深い静寂に包まれた。

 月が雲間から姿を見せ、ビルの影がゆっくりと地上を移動していく。


 崩れかけたビルの吹き抜けに、ロウとシノは腰を下ろし、拾い集めた木片で小さな焚き火を灯した。

 橙の炎が揺れ、二人の顔にやわらかな明暗を映す。


 しばし、何も言わず。

 ただ火の音だけが、時の流れを代わりに伝えていた。


 やがて夜が明ける。

 東の空が淡く白み始め、霧が朝露へと姿を変えるころ――二人はまた歩き出していた。


 高層ビルの向こうに朝日が昇り、街の廃墟を金色に染めていく。

 草の間には水滴が煌めき、過ぎ去った夜の静けさだけが残っていた。



「……次は、北の街?」


「そうだ。旧都心に王の管理中枢がある。核心に近づけるかもしれん」


「……人間と王は、何を考えてたんだろうね」



 シノは背負っていたケースを持ち直し、ロウの横顔をちらりと見る。

 赤い瞳に揺れるのは、問いの答えではなく、ただ朝日の光だけだった。



「怖いか?」


「……あんたがいれば、なんとかなる」


「頼もしいな、シノ坊や」



 ロウがその大きな手の平でシノの頭をくしゃくしゃに撫でる。



「やめろよ!……バカにしてるっ」


「してないさ」



 歩道橋の上から線路を見下ろすと、赤錆びた電車の車両が、緑に飲み込まれて眠っていた。

 草木に覆われた線路は、どこまでもまっすぐに、遠くへと続いている。



「……ここでも、人が生きてた」


「ああ。喧嘩して、笑って、泣いて。……それでも、生きようとしていた」



 そのとき、微かなノイズが風に乗って聞こえた。

 影――またあれが、どこかでこちらを見ている。



「……見張られてるかもしれんな」


「なんのために?」


「わからん。ただ、あれもこの世界の一部ってことだ。希望のない、この世界の……な」



 ロウは肩をすくめて歩き出す。

 シノは小さく息をつき、白い吐息が朝の光に溶けて消えた。



     ◆ ◆ ◆



「ロウ、前……何かいる」



 シノが静かに指差す先に、人影が立っていた。

 風も吹かぬ朝の路地、埃を巻き上げるような足音もなく。


 人類の男性が礼服として来ていた模範的なスーツ。だがその動きは異様に静かで、皮膚は滑らかすぎる。

 無表情な顔、瞬きすら忘れた瞳。

 それは明らかに、人間ではなかった。


 ロウはゆっくりとコートを払って端末を起動し、確認した。



「熱源ひとつ……人型。アンドロイド兵だ」


「またか……どうする?」


「構うな。通り過ぎる」



 だが、その言葉が届く前に、アンドロイドの顔がわずかに動いた。



「――不審個体、認識完了。区域保全プロトコル、発動。排除――開始」



 砂煙のような動きだった。

 アンドロイドは跳ねるように地面を蹴り、壁を蹴って一気に宙を翔けた。

 人の形を保ちながらも、動きは猛禽のように鋭く、速い。



「来たぞ、下がれ!」



 ロウは叫び、ライフルを引き抜く。

 シノは瞬時に物陰へ身を滑らせた。



「ロウっ、右から!回り込んでる!」


「見えている!」



 ビルの陰を使い、ロウは姿勢を低くして走る。

 朽ちかけた鉄骨を蹴って上がり、崩れかけた外壁から射線を取った。


 アンドロイドは警告もなく突撃してくる。

 その腕には、かつて“人類を守るため”に作られた武装が、無慈悲に光を宿していた。


 直後、青白い閃光が路地を切り裂き、破片と砂塵が宙に舞う。

 だが、それは誰にも当たりはしない。余りにも見当違いの弾道。



「アンドロイドの動き、崩れてる。思考ループが乱れてる!」


「十分だ!」



 ロウは呼吸を合わせて照準を絞る。

 放たれた光弾が、アンドロイドの胸部を正確に撃ち抜いた。

 遅れて閃光が走り、機械の身体が痙攣しながら倒れる。


 最後のあがきと言わんばかりに金属の腕が石畳を引き裂き、ようやく、静寂が戻る。


 だが――

 その身体はまだ、完全に沈黙してはいなかった。


 ガタガタと痙攣動作を繰り返す口元からかすれた音が漏れ出す。

 内蔵スピーカーが焼け、言葉がノイズと混ざるように。



「……ミッション……継続……幸福の、ため……我々ハ……人類ヲ……」



 火花が走り、首がぎくしゃくと傾く。

 片目が、うっすらとこちらを見た。



「……救済、ノ命令ハ……未ダ、有効……ナノダ……」



 機械音と共に、まるで自壊するように自らの胸を叩く。

 金属の拳が壊れたコアを砕き、制御不能なまま、内部のスパークが全身を貫く。



「幸福ヲ……タシカ、ニ……シ……」



 その言葉は途中で音を引き裂かれ、閃光のなかでアンドロイドは崩れた。

 使命に殉じるように、自らを焼いて。



 静寂が戻った。



 ロウはしばらく黙ってその姿を見つめ、ゆっくりと目を伏せた。

 シノがそっと近づいて、崩れた頭部に手を伸ばす。



「……最後まで、人のために戦ってたんだね……」


「……戦うしかなかったんだろう、そう作られていたからな


 ――俺達と同じように」



 機体の傍らに落ちていた小さなメモリーチップを拾い、シノは手に持っていた端末に差し込む。



「また記録がある。……見つかるかもしれない、人類の選んだ答えの手がかりが」



 ロウは頷き、砂まみれのボロコートを深く締める。



「歩こう、シノ。……この世界が話す声を、最後まで拾いにいくぞ」


「……うん」



 風が止んでいた。

 空は静かで、ただ二人の足音だけが、また廃墟に響き始める。






おしまい。

―――――――――――――――

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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