還暦近く
水形玲
やがて人生の真骨頂に入る
還暦近く
水形玲
一
六月。雨で始まった六月。
二十一歳で十七歳の高校生と交わることは、もう幻の向こう。(当時は青少年健全育成条例がなかった)私は歳を取り、まあそれでも二十代の女の子からは目配せをもらったりしている。口説けばいいのだろうが、そういうことがなぜかできないのだ。
私の石化が解け、石の花は白いツツジの花になった。この花を摘むのは誰なのか――高価な百合のようなものに興味を持たない女の人であろう。
人生の寂しさも消えて、エヴァンゲリオンへと吸収され、驚きのハッピーエンドとなった。
野田さんという女性編集者と知り合い、グループホームで情事を営んだ。他の人とは違ってドロドロでベッタベタの泥臭いセックスだった。
「でも、やらせてくれた代わりに、一個仕事をあげる。『料理人ヴィニエ 他二篇』を本にしましょう」
「ありがとう」
「でも、井川さんってエッチまで上品なのね。私ジュンジュンしちゃったわ」
そう言って野田さんはリップを塗り直す。
私は服を着て机に向かった。愛用しているノートPCのタイピングにはもうそろそろ慣れてきた(私は五年半精神科病院に入院していたのである。新型コロナの発生で我が町平井のグループホームのスタッフとの面会が大幅に遅れたのだ)。人生なんて、と思ったけど、今の私の経済でも鮭二切れは買えるし、メロンだって買えた。でも旬より早いのでまだ熟し方は足りなかった。
孤独でいることが好きな私がXで業界人にやたらと話しかけるのは損だった。呪いが深まるのである。孤独と、シャドウ(ユング)の重視。これが大事だった。
スイカ六分の一カットを買ってきた。原稿料も印税も入らない。本は「思いに反して」全く売れない。読者からの感想なんかも増えない。彼女もできないし、人生の目的は三分の一くらいはまだ達成していないことになる。
涅槃原則とリビドー。私においては痛みやすい神経系のため、リビドーより涅槃原則(成仏や即身成仏をすること)の方が重要であった。ガーネットクロウに「タイムレス・スリープ」という歌がある。「そうだよ、そうなんだよ」と思わしめ、私の心をとらえた歌詞である。
ああ、シログチで釣り人をいざなう大海よ。生物の密度が高い大海よ。マイクロプラスチックで苛めて申し訳ない……私はそれでも魚や貝が好きなのだ。
結構自分が適当な奴だと思えて恥ずかしかった。
七月! 恋の季節!
訪問看護の人がモーションをかけてくるけど、どうにも口説きに持って行けず(その上品さがいいのかもしれないが)、「ああ、この人は俺とエッチしたいんだ」という真実だけは読み取ることに成功した。今後そのことを覚えておいて、何らかこちらからもセクシュアルな言葉を伝えたい。
ひと昔前のトマトは青臭くてちゃんとトマトの味がした。
あ! 今コンビニに行ったら全てが水の泡だ。(減量中だから)
買ってあるポタージュだけにしておこうか。それともカロリーオフの栄養ドリンクにしようか……両方にしようと思った。
次の日の昼、コロッケとカニクリームコロッケの昼食にした(私は野菜を食べるのは夕飯時だけなのである)。
訪問看護の女性は長月沙耶といった。私は「あげる」というシンプルな言葉とともにカロリーメイトフルーツ味をあげたら、何と受け取ってくれたのである。(きっとうまくいく……)そう思っていると長月さんもミニカルパスを三本くれた。「こんなものしかないけど……」
「今度一緒にヴィドフランスに行こうよ」
私は言った。
「うん。あそこのピザっぽいパンが好きなんだ」
また一つ日本で恋が実りかけている。神様(分裂気質の真の神)は良い仕事をなされた。感謝です。あなたを最上位の神様として心に刻み付けます。
二
スイカを食べて「詐欺じゃない」と思った。Cさんは「詐欺だよ。気を付けなよ」と言ったが、彼女は悪くないと思った。運命の出会いをした彼女と私が会うチャンスはなくなってしまった。刑法の内憂外患に関わる可能性があるから、ごめんなさい、さようなら、と伝えたのだ。
人生に打ち付ける波は緩やかになった。アップルブランデーを飲むと眠くなる。訪問看護の長月さんとの間に恋愛関係が生まれた。長月さんはシューアイスを持ってきてくれた。そう、今日やらないでいつやる。
でも、意外にも長月さんの方から私の手に触れてくれた。そして長月さんの方からキスをしてくれた。彼女が「シャワー貸して」と言ったので、貸してあげた。私もシャワーを浴びた。長月さんは私がビジネスバッグから出したゴムを丁寧につけてくれた。「仮性包茎ってちゃんとむけることはむけるのね。臭くないのは洗ったからなのかな?」と言って安心した風だ。そして初心者の行為。
「上手くなくても、愛情があったから気持ちよかったよ」と長月さんは言って微笑んだ。そして長月さんは服を着たあと、訪問看護の仕事を急ピッチで進めていくのだった。
人生の虚しさなんてもうない。それは本当に好きになれる彼女を見つけたからだ。情事を営むことは何か不思議なことで、想像していたのとは違っていた。一応、普通の男は大奥や天下取りを夢見る。しかし分裂気質者(私)は小説で天下が取れてしまう。たとえそれがメガヒットにならなくとも。西村由紀江の「セレナーデは夢のなかで」とか、中村由利子の「賛歌」、かわさきみれいの「AQUA」などは、伝説級の曲なので、少し敷居が高いかもしれない。わかる人にはわかるが、その他の人達はどこがいいのかわからないというか。
私の「料理人ヴィニエ」は伝説級だ。二人の人から絶賛を受けた。
八月。花火の八月。終戦記念日とXのポストに書いてあったので、正午に手を合わせて祈った。大量殺戮の第二次世界大戦であった。無念だから、カトレアのみんなで灯篭流しに行った。紙の船の中のろうそくの火が、戦争の無念さを伝えていた。
変な耳鳴りがして、耳鼻科に行かなければいけないのかな、とも思ったけど、新聞記事に耳鳴りのことが載っているのを読んだわけじゃなし(!)。新聞は読んだ方がいいのかなあ…… まあ、高いし、マイクロソフトエッジに出てくる記事だけでいいかな……
ハチミツは美味しい。食パンに塗ると不思議に表面が硬くなる。蜂さんから頂いた貴重なハチミツである。無駄にしないようにしよう。
「燃えよデブゴン」の老師みたいな人の意見が好きなんです。それは現代日本では精神療法かと思う。いくらかの学術分野には一定の真理があるのだ。だけど量子力学の進歩しないことといったら!
私の恩返しはたいがい論理であった。特に精神科病院についての法解釈。
そもそも彼らがしていることは監禁罪にあたる。それに、薬は効かないのだから詐欺罪にも問われるであろう。
西友に行って買ってきたのは豚ロース厚切り二枚。そしてリンゴ。他にフルーツパウンドケーキ。
まあ私は世間に比べると手堅く生きているようである。しかしその手堅い(「法律を無視するんですか?」)生き方が、本人の友達の数を少なくするものである。友達とは狭く、深く付き合った方がいいのだ。そこにパラダイスがある。
十数年前に、駅前のコンビニでカルピスサワーを買って、飲みながら歩いた。彼女なんてずっとできないのだと思っていた。しかし二〇二五年、ようやく長月さんという彼女を得た。一生この人と付き合っていくんだ、と思ったけど、こちらからそんなことは言えなかった。手堅く進めていきたかった。
三
人生は失うことなのかと思っていたが、グループホームきららに来て、全然そんなことはないのだと思えた。父はウイスキーを好み、リキュールを嫌った。父は車の出火による全身火傷で死ぬ直前に、心電図の紙に「ひろしのきもちがわかった ひろしにあいたいよ」と書いてよこした。私は泣いた。強迫性障害のため私は父のいる病院に行けなかった。葬式にも。
運命はこういう風に不条理なものであることが多かった。しかし現在統合失調症も回復してきて、幻聴の奴を見下して矮小化させることができた。
人生なんて苦しみの連続かと思っていた。私の小説は生前はゴッホ並みにしか売れないかもしれない。でも死んだらゴッホ並みに売れるかもしれないね!
新約聖書の重要性。旧約は創世記は知ってるけど、基本的に律法の世界である。新約聖書は、イエス様が律法を廃止し、自らの打ち傷と引き換えに全人類の罪をゆるされた、その「キリストの福音」の本である。
人生はまあまあ楽しいね。神様ありがとう。
ウルティマオンラインというゲームが、ひと昔前にあった。バードメイジは扇動とインビジビリティ、パラライズフィールドの効果がすさまじく、そのうちルール変更の時に大幅に弱くされてしまった。まあそこから「新しいウルティマオンライン」が始まり、あまり好きでなくなっていったのだけど……
まあ人生は、思い煩わないのが一番だ。今日の煩いは今日のみにて足る、というのだ。
だいぶ前から父なる神様のもとにあり、幸せを満喫していた。しかし「別の知恵の実」を食べさせられたみたいで、私は神様が信じられなくなっていた。
「キリスト教道徳を何で守らねえんだよ、おめー」とか言うのは悪霊(あくれい)です。つまり彼らは律法主義者です。律法に縛られています。私もその影響を受け、長い長い間迷いました。でも今はウイルスに強いスマホがあります。アダルトサイトが見られます。アホになれます。「アホになるといいんや」と言ったのはUさんです(Uさんありがとう)。
父なる神様が「右の手で支えて下さった」おかげで私は信仰を取り戻した。
その頃は母から小包が届いたり、夕食会に呼ばれたり、いいことがいっぱいあった。知恵の実は要するに幸せや楽しみや興奮を取り上げるのだ。
その「知恵の実っぽいもの」を吐き出す必要があった。
道徳は一切持たない。倫理と法の知識は少し持っておく。その程度でいいではないか。
……私は筋金入りのオタクだからね! (でも、純文学作家なのでライトノベルは書けなかった)芸能界なんて関係ないよ。だって悪霊(あくれい)ってまんま芸能関係者なんだもん。
長月さんは経験者だったけど、それでも受け入れなければいけないと思ったから、付き合った。据え膳食わぬは男の恥。長月さんの作ってくれた、ピーマンのたくさん入ったナポリタンが美味しくて、涙が出た。長月さんの差し出すポケットティシューで涙を拭いて、またナポリタンを食べる。
「結婚しない?」
長月さんは言った。
「いいよ。僕は二部屋のマンションに移り住んでもいいよ」
私は言った。
「私子ども産めるけど」
鋭いひと言である。
「でも、そうした方が生きやすくなるのかな」
「絶対大丈夫だって」
「そうか……」
私は新しい世界に風で運ばれる帆船だった。
四
沙耶ちゃんは妊娠し、産院に入院した。時々訪れたけど、普段はショートメールで済ませた。
水分の摂りすぎのせいか、気持ちがすっきりしない。心身の相関というものがある。水分、あまり摂り過ぎない方がいいんだね……あれ、本当はどんどん飲んだ方がいいのかな、夏だし。むしろ水分不足? 食塩も少し舐めておこう。
そうだ、長月さんはたまたま出会って、受け入れなきゃ、と思った私の責任を伴う相手だ。マンションはグループホームきららのスタッフさんと一緒に借りた。長い手続きが必要だった。
そして「古い絵画 他二篇」が野田さんの仕事によって出版された。百万部を超えたから驚きである。私と野田さんの過去の関係については沙耶ちゃんに対して黙っている。この場合正直さは必要ない。
ますますお金が増えていくので、「名声と金」を求め続けたその執拗さに運命が根負けしてくれたのだと思った。ただ、「神と富とに仕えることはできない」ため、一年あたり税別四百万円を手元にとっておき、残りの大金はユニセフに募金した。
人生なんて単純だ。ただ原稿を書き、詩的レトリックが現れるようにする。それで純文学作品の出来上がり。つまりその間は人生を生きていられる。
「精神科はあいまい科」。私には難しいファジー思考であった。でもまあ私にしてみれば、ただ働けばいいのだ。(他の人ならそれが家事、勉学であってもいい)
人生の
統合失調症患者は、要するに仕事か勉学か家事をすればいいのだ。
やがて沙耶ちゃんは娘(千枝)とともに退院してきて、スタッフさん達が帰ると、「野菜ジュースちょうだい……」と言って、僕に千枝を預けた。そして座り込んでしまった。
私はミツバと大根と鶏肉のお粥を作ってあげた。
「美味しい……宏君は料理上手だよね」
沙耶ちゃんは言った。
「まあ、僕の二番目の特技だね」
私は答えた。
「毎日夕飯担当してほしい」
「いいよ?」
「いいか」
私達は笑い合った。(今は核家族が当たり前なのか……でも最近はそれでうまくいくようになっているんだから、それでいいよね)
中村由利子さんは入院されていて、リハビリ中だとのこと。
中村さんのたくさんのレガシー。
伝説級の曲はなかなか飽きが来ない。「賛歌」は結末の部分が美しいのである。
人生なんて、とイシモチ一尾を放り捨てるように人生を放り捨てるのはもったいない。イシモチは淡白な白身の高級魚だ。人生だって、前は素晴らしかったじゃないか。これからだってそうならないとは限らないよ。何と言っても女友達のKさんやIさんやSさん達がいるのだから……その中でもKさんはとても仲のいい女友達だった。彼女の無償の絆は私の誇りそのものであった。
週一でいいからカトレアに行っておいて、と彼女(Kさん=川野さん)が言うので、ワンコ君な僕は実際にそのようにした。カトレアは居心地が良く、時々西友にドリンクを買いに行っても叱られない。統合失調症なので行き帰りにスタッフさんが付き添ってくれる。私は困難が極まった時に「赤と白の、十字とハートのタグが欲しい」とSさんにねだった。これは障碍者や妊婦さんがカバンなどに付けるタグである。それを手に入れて私に与えてくれたSさんには感謝の至りであった。
「人は一人で生きているわけじゃない」。この言葉を痛感したのが最近の私の生活なのである。
五
教会には肯定的な言葉が掲げてあった。でもあの教会がいい教会だとは思えなかった。それでも通おうとする自分を自分で白眼視した。
発作がなくなれば素晴らしい。もう少し自由な地域生活になるかもしれない。秋葉原や神保町に一人で行けるようになるかもしれない。
一年めぐってきてまた八月。スイカが甘い八月。父にも孫の顔を見せるべきだったろうか。
千枝のおむつ替えがどうしても目に入るので、父親なら全然見てもいいものが目に入ってくる。だって、旧習かもしれないが、少し前には父親は娘と一緒に風呂に入るものだったのだから。
Tは唯一無二。私にとって彼女は過去の人。「結婚は恋愛の墓場」。つまり唯一の妻である沙耶ちゃんや千枝とともに、今後ふた部屋のマンションで暮らしていくのである。
「今日はクリームシチューだよ。仕事早く引き揚げてこっちへ来たら」
沙耶ちゃんが言った。
「うん。シャットダウンしてすぐにそっちに行く」
私は答えた。
毎日繰り返される夕飯。主菜(タンパク質)、副菜(体の調子を調えるもの)、主食(麦ご飯)。今日の酢豚には沙耶ちゃんなりの工夫のあとが見られる。
いつの間にか、悩みが深くなってもその深さが浅くなっている。
「編集者さんとは深い仲になったことあるの」
沙耶ちゃんは言う。
「沙耶ちゃんと知り合う前にね」
私は答えた。
「昔の女か」
その時笑っている沙耶ちゃんは一ヶ月三十万円のお小遣いをもらってしめしめと笑っている上流婦人の顔ではなかった。二人は結構切実な緊張状態だった。
今日、世界が私の原稿から削除した文章がある。それは「地の虫ふう」に生きると精神疾患が治りやすいという考えを得た後に、フロイト万歳を唱えた時だった。ただ腐葉土の中でぬくぬくとしていればいい。何もセックスが全てではない。
極小粒のおかめ納豆は美味しい。ただ、ひきわりも結構美味しい。どちらか悩むことはない。ほぼ毎回おかめ納豆である。
今は深夜の一時五十六分だ。冷蔵庫の中にはほうれん草しかない。何も食べられない。
何で右翼が攻撃してくるのかがわからない。まあひと昔前にはとりあえず文筆業の者には街宣車が圧力をかけに来るものだったが。
人生は虚しい。街宣車やクラクションが作り上げたものは私のこの世に対する失望であった。失望を抱く相手が違う? そんなこと私が知ったことか。私は精神障碍者なのだから。
とりあえずまた寝るか。また眠くなったから。
コーヒーフロートを持って帰ろうにも、氷と密着させることが難しく、融けてしまいそう。それならカトレアに行くときに買って行って食べればいいのだ。
カトレアに来た。コーヒーフロートは歯にキーンとくる。周りの人達はペットボトルに布のカバーを付けている。(あれ何なの?)スマホで調べたら、水滴を吸収するカバーらしい。私はずぼらだから、そういう細かなことを「普通に」やらないで、損している面もあるのだろう。例えば、ボタニストより無添加せっけんを使っている。有機化学の専門家が「植物性シャンプーは安全です」と説明していないばっかりに。
少女革命ウテナのお芝居も独特な趣きがある。
いつもアニメに出てくる「王子様」。使命も大事だが花を摘むこともまた大事だった。王子様はなぜ孤独なのか。浅く広い付き合いが嫌なんだね。
私がかかった百日咳はなかなかしぶとく、もう一ヶ月にもなろうか。
千枝にうつさないよう、私はいつも反対側の部屋にいた。
「ここも手狭になってきたね。三部屋のマンションに引っ越す?」
沙耶ちゃんは言った。
「そうだね。とりあえずグループホームきららに相談だね」
私はそう答えた。
甘いスイカがガーネットクロウの一曲を思い出させ、私の詩情をくすぐった。きっとこれから千枝がすくすく育っていくから、私は不吉な男などであってはいけなかった。しかし私は「シャドウを活用してより楽に過ごす」方法を編み出したのだった。
六
水分の摂り方を減らしたら、痛風の前駆状態になった。水分はただ減らせばいいというものではないらしい。
神様や高級霊はともかく、生霊が興味本位で人の体に入るのはやめてほしい。自分を賞賛する作品も見ない、聴かない方がいいと思った。
でもそこは人間、国家元首が自分への賛辞を喜ぶのと同じで、私に対する尊敬を受け取っておきたかった。
今日は買い物の前に焼き鳥を食べてきた。雨が降っていた。西友でナメコを買ってナメコの味噌汁を作ろうと思った。
帰りに、折り畳み傘を差しながら、コカコーラゼロを飲んだ。この世界は何かがおかしい世界などではなかった。確かに理不尽はあった。中学時代に、殴ってくる教師がいた。しかし、父に「弁護士に相談して慰藉料を取ろうよ」と言わなかった私が悪いのだ。殴られたら殴り返せ? 私はインテリなので、弁護士に相談する方がいい。
でも、精神科のことは相変わらず泣き寝入り。ただ、精神科を訴えると「精神科病院はイタリアの地域精神保健センターのようなものになり『おもてなし治療』を行うようになってほしい」という要望を公表したことが無駄になりかねないから、訴えずにいる。精神科医にも良い精神科医がいることや、精神科看護師には優しい人が多かったこともまあ訴えない理由だ。
三部屋のマンションに帰ってきて、もう人生を嫌がらなかった。
「豆乳飲む?」
沙耶ちゃんが言った。
「飲む」
私はコップ一杯の豆乳を紙パックから受け取った。
千枝は赤ちゃん用の座席の上だ。
毎日進歩するなら「カシラハラミとは何か、検索する」とか、「ハイルブロンの少女ケートヒェン」とはどういう作品か、といった知性を高める方向性なのが「インテリ」だ。体力を高めるスポーツマンとは異なる。
では知性を高める方向性で行こう。一応青魚も取る必要がありそうだ。青魚は脳に良いから。
召命型シャーマンと小説家は違う。小説家に低級霊や悪魔が入ってくるのは困るが、神霊はとてもありがたい方なので、こちらから「入って下さい」などとは、あまり言わない方がいい。
充実の人生。テキストファイルに向かってキーを叩きながら、ユーチューブの中村由利子さんのプレイリストを聴いている。幸せだ。私はこういう日のために生きてきたのだ。
「でかまる・バリシャキもやし」のカップラーメンもある。
今日の夕飯は「明太子切れ子」と「ナメコの味噌汁」、「カイワレのポン酢和え」。ご飯は麦ご飯。
この世界に手っ取り早く感謝する方法は何か美味しいものを食べることだ。
バリシャキもやし味噌ラーメン。さて、お湯でも沸かすか……
我が町平井から本の街神保町に行くには、JRお茶の水で降りればいい。
この前行った時、三省堂書店本店は消えていた。その代わりに、遠くに仮店舗があった。量子力学の本を買って帰った。「観測された対象は変わる」というようなことだけがわかった。その本を書いている著者自身も本に書いた大半の部分がわかっていない感じだった。それだけ量子力学は難しいのだと思う。
次の日には食パンとブルーベリージャム、ピーナツクリームを朝食とした。
沙耶ちゃんも六枚切りのうちの三枚を求めた。千枝が泣くので沙耶ちゃんが「よし、よし」と言って頭を撫でてなだめる。私の仕事だって印税を手に入れるためのものだ。だが、書くことに喜びを覚えることが救いだった。そんな嬉しいことはなかった。
しかし、人生の虚しさよ――いや、もうそれはなくなったのだ。妻と子がいて、まあまあ精神障害が「小説家の職業病」であることがわかったから。十全な人生じゃないですか。沙耶ちゃんが昨晩のクリームシチューを麦ご飯にかけて出してくれた。
今日は月初めの九月一日なので、現金四十万円を沙耶ちゃんのお小遣いとして渡した。
沙耶ちゃんは食後のカフェオレを入れてくれた。千枝は何が気に入らないのか(そんなことわかるわけもない)、大きな声で泣いていた。沙耶ちゃんはミルクを与えてみたり、オムツを確かめたりして、ふうー、とため息をついた。
そして「解析不能」とひとこと言った。千枝は泣き止まない。
七
文鳥のポックが死んで何年になるだろう。二十年くらいか。
水中毒が恐ろしいので、水分を少なめにする。
(でも水なんて関係なかった。また幻聴にだまされただけだった。水を摂取する量を減らしてもやはり恐怖感は来たので、デパス⦅頓服薬⦆を飲んだ)
そしてやがて神様から、答えは「心」だとのメッセージを頂いた。
「心」。これは確かに完全な答えという感じがする…… 幻聴に対抗する最良の手という意味で。
だがもっと確かなものが次に来た。それは「精神療法」であった。弘文堂や金剛出版の本達。この世界を実質的に支配しているのは精神療法家なのではないかとすら思えてくる。
言霊療法。精神療法。……精神医学とは違う。(精神医学は、親が入院費を払わなくなったら困るので、生育歴を扱わない。親だって「あなた達の育て方が悪いから子供さんがこうなったんですよ」とは言われたくない)
私は今日もノートPCに向かう。私の人生はあまり意味がなかったのだろうか。そんなことはない、少なくとも川野さん、Sさん、Iさんという三人の友がいるはずだ、と神様は言ってくる。神様は言った。「乳幼児期から既に父の児童虐待にさらされていたあなたの病理は深い。いつだって肩の力を抜いて生きて行っていいんですよ。」
神様ありがとう、と私は返事した。ちょっとジュース買って来ようかな…… まあ、そんなもんだと思いましたよ。私なんてポンコツだと。……
カボチャを炊飯器で煮物にしようとしたけど、失敗した。正油が多すぎたのだ。昨日買ってきたチューチューアイスを凍らせておいた。これがとても美味しい。
今度サトウの切り餅を買って来ようか。油で焼いて醬油をかけて食べると美味しい。
母から小包が届いた。メルティキッス、赤ワイン、缶詰、ハーブティー、手紙が入っていた。私はまだ元気な母に返事を書いて送った。私の後ろで野田さんが本を読んでいる。私は浮気になってしまう時期に野田さんと情事を営んだわけではないので、沙耶ちゃんとの三角関係はないに等しかった。
「あんまり根を詰めないで」
沙耶ちゃんが言った。
「ありがとう」
私は答えた。「まあ、文学にとって一番大切なものが暖かさだとしても、なかなかそういう小説は書けないので、人生の寂しさが前景に出てくる。いや、違うか。寂しさというより、小説が書けない焦り? そうかもしれない」
悩みが一杯ある時は書けるのである。悩みがあらかた片付いてしまうと、なぜか書けなくなる。そういう時は「筆を荒らす」。これで書けるようになる。
でも私は思い出した。川野さんという女友達が一人いることを。(他にもいるのだが、川野さんが一番付き合いが長い)憂える必要はない。
そう、川野さんがいる。
昼のコーンポタージュライスを食べたあと、桃を一個食べたが、千枝が欲しそうに欲しそうにするので、「桃ってあげていいの?」と訊くと「刻んだ桃ならいいかも」と沙耶ちゃんは言った。そして沙耶ちゃんは桃を刻んで深皿に載せ、千枝に与えた。
山の草の中に入っていって野草が取りたい。そして衣をつけ、揚げて食べるのだ。野草、野草……
一人で公園に行った。小山に昇り、野草を採ってはレジ袋の中に収めた。それが一杯になって「もういいや」と思ったので、降りていってトイレに入ってからバス停を目指した。バスに乗っているときの浮遊感が何とも言えず好きだった。
帰りに西友でワイドハイターEXパワーと、オレンジ、唐揚げ、わらび餅、コカコーラゼロを買った。
人生は虚しくはない。私は上に立つのだ。
このことを野田さんに話すと、「そうよ。そうだと思ってた。あなたみたいな貴公子キャラが悲しく霊に取りつかれているなんておかしい、霊を追い払えばいいのに、って」と答えた。そして彼女はポケットティシューで涙を拭き、「さあ、王様。これからが人生の醍醐味ですよ」と言って「私、ワインとおつまみ買ってきます。自費で!」と述べてから買い物に行ってしまった。
八
私はマリー・アントワネットの斬首刑までは行かないけれども、十三回ほど精神科で拷問と監禁を受けた。並々ならぬ恨みがあった。しかし精神科看護師たちは味方につけておかないと、日本の精神科病院がイタリアの「地域精神保健センター」のようになって「おもてなし治療」を行うようにはならないだろう、と思い、あえて簡易裁判所で調停をしてもらうことはしなかった。
でもまあ神経症になった理由それ自体はわかる。親元を離れず、たくさんのお小遣いをもらいながら楽しく遊んだり、勉強したりしていたのだ。霊としては裕福な家の子がそうして自由に生きるのがうらやましかったのだろう。
帰ってきたら沙耶ちゃんは子守歌を歌っていた。
「あ、そっちに柿の種があるから。わさび味の」
沙耶ちゃんは言った。
「ありがとう」
私は柿の種を二袋取り、冷蔵庫の中のルイボスティーを取り出して飲んだ。そして原稿を書く。仕事用のノートPCなので「フォルダとかファイルが混ざると良くないから使わないでね」、と沙耶ちゃんに言ってある。
次の日はカトレアに行って、帰りに茄子や味付けカルビなどを買った。
その日も進歩とは名ばかりの進歩もどきを何時間も経験し、ただ遊んでいるだけの方がよほど心の健康にも良いのに、そんな進歩もどきを押し付けてくるのは誰なんだ、とまた懐疑に陥った。でもそんなの磯貝だろ、と一瞬で喝破した。道徳は美を破壊しようとする。沙耶ちゃんも千枝も大事だ。この前母が来て千枝と遊んでいった。そして日本酒を一本置いていった。人生の虚しさなんてもうないけど、双肩にかかる重さも前に思ったほどのものではなかった。
でも敵は磯貝ではなかった。私の考えが間違っていたのであり、敵は「幻聴」そのものであった。つまり「歯ブラシの、声」と言っていったんこと切れた統合失調症の症状そのものである。
ネットラジオを聴きながらハワイを思い描いた。ハワイには野生の文鳥がいるというのである。愛らしい文鳥。私は特別な才能に恵まれて生まれてきた。多分いわゆる右脳型である。幼い頃に右利きに矯正するという虐待を被った。まあこう、育てるということにすごくネガティブなイメージしか持てないのは、うちがそうだったからで、「あたしンち」みたいな正常な父に育てられる天国のようなトリートメントに、私は長いこと長いこと憧れた。私はドットハックサインの主人公の司のような元被虐待児である。人並みに恋がしたい……そう思っても、やり方がわからなかった。そして五十一歳までロマンスは持ち越された。だから私はジンチョウゲやキンモクセイの香りを偏愛する、なかなか儲からない「芸術家」というものになってしまった。
そんな、父から屈辱を受けた私であっても、今は年収四百万円の人気小説家。問題はない。お父さん、あなたのやったことは大きな間違いでした。
子どものころはハサミムシやダンゴムシ、バッタなどを追いかけた。その情熱を女の子に向ければ良かったのだが。「ロリータ」の主人公ハンバートは「小さい頃にエッチなことをしたことのない、晩熟な男」であり、むしろそういう人が大人になってから少女に恋をするのは当たり前ではないのか。子どもと子供がセックスをすることは認められているのに、なぜ大人と子どもではいけないのか。子供時代にセックスの機会を失ったら二度と取り返せないなんて。
だってあれでしょう。うちは裕福な見栄っ張りの家だったのだから、深層の令嬢ですらやはり父の手にかかるのに、私は母から性の手ほどきを受けることがなかった。そんなのないだろ。貧しい、見栄のない家でなら暇つぶしにやってしまうはずなのに。
九
私はたくさんの金を手に入れたから(から?)再びキリスト教の方を向いた。しかし律法主義はよくない、と言い訳をした。イエス様は正しい人より罪びとと一緒にいたいのだ。
私の運命は過酷なものだった。J病院に監禁されたり、A病院で汚い布団しかない、トイレの上に監視カメラのある部屋に入れられたり、その部屋から見える位置で、母から届いたお菓子を横領されたり……
人生は意味がない。だけど、だからこそ「ゆるします」と言うようにしなさいと勧めているのだ。ゆるします、と言えば、言われた側の頭に燃える炭火を積むことになると言うのだ。
私は自在に生きるためにクリスチャンとなったのであろうか。
千枝がハイハイをするようになった。そんな千枝に沙耶ちゃんはヨーグルトをあげるのだ。私は「しっかり見守っておいてくださいね」と野田さんから言われた沙耶ちゃんにほどほどの監視を受け、時々外にコーヒー牛乳を買いに行ったりしながらも、毎日それなりの量の文章を書いていた。
「みな罪を犯したのです」新約聖書にはそうある。「お互いさま」中部総合精神保健福祉センターの書類にはO先生のそういう言葉が残っていた(O先生は、「胸の苦しいのは抗精神病薬の副作用だ」と頑なに信じた私に「睡眠薬だけでもいいから飲んでくれないか」と説得して信じさせ、睡眠薬を飲ませることに成功した)
「思い煩うな」と言うのだから、新約聖書は道を捨てさせているのである。現代の日本人は道など歩まない人の方が多い。私もそうなった。
人間の人生は道ではない。父なる神様によって、空の鳥も人間も養われているし、野の花は飾られているのである。
昼になるとチーズパンとくるみチーズパンをみんなで食べた。だが千枝だけは仲間外れである。
「離乳食が終わるといいけど」
沙耶ちゃんは言った。
「そうだね。……僕は今この一瞬から神様に人生を預ける人間になった」
「どういう意味?」
「もともと自分のものだった自由をサタンの手からもぎ取った」
「サタン?」
沙耶ちゃんは無調整豆乳を一本くれた。私はチーズパンの残りを平らげ、無調整豆乳を早飲みするのだった。
「宏さん、いま幸せ?」
沙耶ちゃんは言った。
「うん。迷うようなら沙耶ちゃんもクリスチャンになるといいよ」
私は答えた。
「ここまで耐えて来れたのは父なる神様のおかげなんでしょう? ……でも、父なる神様は信者以外も救うんだよね? それなら、私が特に信者にならなくても私の運命は安泰だってことだよね」
「まあ、そうまで言うなら特に信じなくていいんじゃない?」
「信じられないの。神様っていうものが」
「そっか」
沙耶ちゃんは入信前の私のように頑なだった。
商業社会日本。バブルのようなのはないけど、ちいかわや無人レジがやたら幅を利かせていて、ああ二十一世紀だな、と思う。
演技が大きいと仲良くなれない。シャドウ(本当の自分)を増やして演技(ペルソナ)を減らす。それが大事。
国産牛切り落としとタマネギを買ってきた。これらを炒めて食べる。決して私は正気ではない。古い言葉で言えば「気がふれている」。新しい言葉で言うと、「統合失調症」。
まあ、人生はいいお嫁さんがもらえないと仕方がないので、アキハバラ電脳組に出てくる頭の良い大学生の祖師谷みやまちゃんのような……
私は沙耶ちゃんが嫌いなのか?
本当言えばそうなのかもしれない。童貞と処女で結婚したかった。でも私も童貞性を失っていたし、沙耶ちゃんも処女性を失っていた。残念な話である。
人生なんて、何かが虚しいだけだし、たとえ私が沙耶ちゃんと別れたとしても、それ自体が悲しい。
十
私は神も淫蕩も振り捨てて、中庸(ニュートラル)になった。
人の悲しさ、沙耶ちゃんとのつながり。
ようやく千枝が立って歩くようになった。四月の風がカーテンの向こうから流れてくる。ショートブレッドを食べながら飲む薄いインスタントコーヒーの香り良さ。人生は。千枝が私の腕につかまってくるから「何だ、千枝」と言うと「アイ―!」と言って拍手し、満面の笑みで笑った。そして沙耶ちゃんも笑った。私も。
再び四百四十万円に制限しなくなったら、一億二千万円くらいだった。
芸は身を助く。この言葉に「本当にそうだ」と限りなく賛同を覚えた。しかし、精神科病院からの法的被害を受けたあとで、フクロウのクチバシやカギヅメで反撃(示談)をしていたなら、千枝の命はなかったかもしれない。
家族や訪問看護、カトレアを大切にするから、私には生きる理由がある。それはむやみに戦わないことだ。人生もなかなか厳しかった。エンターテインメントと純文学は全く違うものだ。しかしどちらかがどちらかより劣っているというのはない。エンターテインメントにもとても面白いものはある。
人生山あり谷あり。ていうかもうそろそろ平らになって欲しい。だってライフイベントなんて、上るのも降りるのもつらいことばかりだよ? あまり社交をせずに、少数の友や唯一の妻、いつものスタッフとだけ人間関係を営んで行こうよ……
私は三十年間鍛え上げた文芸技術を持っている。とにかくこの世界はなるようにしかならないようなので、まあ二日に一回風呂に入って、そして野田さんと不倫はしないでただ仕事だけ続けていく。
明日はウルメイワシかシシャモ、もしなければ豚ロース厚切り、つまりポークステーキだ。お酒は今日清酒を飲んでしまったので、あすは買わない。
沙耶ちゃんは夜、オクラとろろ和えと、もやしのカレー炒めを作ってくれた。他にメバチマグロの刺身が出た。
「こんなものしかないけど」
沙耶ちゃんは言った。
「いや、美味しいよ」
「そうかしら」
沙耶ちゃんが二人目の子供を、と言うから、行動力が育ちつつある私は「いいんじゃないか」と認めた。
そしてかつての小中学校教師の悪質さに対し、私は私なりに反抗をして生きていこうと思った。子供も兵力と考えて戦士のように育てたい。だったら私だってスクワットを一日に二十回くらいはしていかないと。私、なぜ学者になった。学者は栄養学、医学などがわかるが、子どもたちは立派に戦士に育てたい。その方法はむやみに「運動をしろ」と言わないことだ。「人参食べたくない」と言ったら「無理して食べなくてもいいよ」と言うのだ。そうしたら子どもは人参を食べるものなのである。押し付けると嫌がるという人間心理によっている。
五年後。沙耶ちゃんも私も年季が入った。私はきょうメカブとサバの切り身を買って帰った。千枝はサバを嫌がらないようだ。メカブにはフコイダンというとても体に良い成分が含まれてるんだ、と言うと、そうなんだ、と言ってずるずる食べる。案外「美味しい!」と言う。
次の日も引きこもりみたいに原稿を書き、時々Xをしている。アニメも見ている。
人生なんて自分が希少種(分裂気質)の美少年というだけで壊されていきましたよ。今後は幻聴さんからどんな可能性も奪われず、曖昧さに対する耐性も奪われず、そして小説は書き続けるのだ。ローズヒップティーと豆大福は合わなかったけど、豆大福自体は美味だった。いいじゃんいいじゃん! 秋の魚が売り場に上がっている。何といっても戻りガツオが素晴らしい。
そして今晩の食事は戻りガツオともやしのカレー炒め、トマトスライス、麦ご飯だった。
「お父さん、何でうちはお金持ちなのにご飯が質素なの?」
千枝は言った。
「そうだな、豪華な食事は一週間に一度、土曜日だけでいいからだよ。それと、質素な食事も豪華な食事も、ほんとはどっちも美味しいんだ」
私は答えた。
「ふうん」
そして次の日、原稿を書いていると、暴風が吹き荒れ、傘さえ差せないものと思われた。部屋の中にいると楽だ。そう、私は暴風を免れている。生まれ変わった回数が多いため、知性が爆発的に増大し、召命型シャーマンを成したのである。そううつ気質者は一見楽しそうなのだが、その仮面の裏側は、とてもつらい、一生懸命なのにどうして……という思いであるらしい。いつもいつもこうして助けてあげましょうか。
リンゴは医者要らず。
トマトが赤くなると医者が青くなる。
麦ご飯は脚気を防ぎ、食物繊維を多く含んでいる。
水出しのルイボスティーはルイボスポリフェノールなど多くの栄養を含む。
十一
そううつ気質者は一生懸命生きている。
「煙草を吸っていないのにガンになった。どうして……」のような体験をしている人がそううつ気質者である。知識で言えば、抗酸化物質の不足でガンになったり、良くない内科薬、そして良くないシャンプー、リンス、ボディソープも危ない。私は内科薬はめったに飲まないし、シャンプーやボディソープは使わない。代わりに無添加石けんで頭も体も洗っている。今回の百日咳の罹患によって、普段摂らないようにしているその「ケミカルな内科薬」をだいぶ飲んでしまった。その結果、私は体調を崩してしまったのだろう。ケミカルではなく、ナチュラルに!
翌年七月。
ローズヒップ、ルイボス、カモミール……
人生もなかなか面白くなってきた。中村由利子の「賛歌」、浜崎あゆみ
の新曲…… 奥井雅美さんの古い曲。
薄いインスタントコーヒーに最中、ミニようかん。
私の人生が闇に落ちた理由が何なのかはわからない。――いや、違う。光に飛び込んだのだ。それが神経症的パーソナリティというものだから。
では、闇へ。アダルトサイトのハードコアポルノ。
人生の虚しさを感じたのは、女性達が私に付けていた仇名が「王子様」だったことを僕自身が知らなかったせい。
いよいよ五十六歳。もうそろそろ性的魅力が衰えてくる。星の終わり。二十代の純潔な、私のことが好きな女の人に、十万円あげてホテルで情事を営んだ。十八歳は狙いにくいけど、二十代なら楽勝だ。もともと私が、妖艶な男であったのだろう。
夕方。豚ロース厚切りに塩をまぶして、焼いてからナツメグをふりかける(先にまぶすと香りが飛んでしまう)。
カボチャ・サツマイモサラダはおやつ時に食べてしまった。
コンビニに行くとてきめんに太る。私は妖艶な男なのだから、やせることは大切じゃないか……
でもまたブラックチョコレートとサラダチキンを買ってきてしまった。
何やってんだろ、私……
川野さんとカトレアで偶然会って話した。
「おお、珍しい。お久しぶり」
川野さんは言った。
私はこの日本が完全に身分制が廃止された社会かと思っていたが、実際にはどうだろうと思った。
妄想か。
死んだら人間何になる。霊界に行くらしい。そして現世を見守るらしいよ。霊界からしていることが憑依。とりつくこと。いくつかの霊にとりつかれていても、神様とまで出会っているのが召命型シャーマン。でも私には重荷だったような気がする…… でも神様による召命型シャーマンへの誘いは「拒んでも拒み切れない」と言われている。
それも妄想。
「ねえ、昼になったらビッグマックセットでも食べに行かない?」
私は言った。
「あたし、弁当持ってきちゃったんだよね。ごめん!」
川野さんは手を振って向こうの部屋に入っていった。
私はさっき買ったコカコーラゼロを飲み、Xをやった。適当にポストを書いていると、反応も適当なのかと言うとそんなことはなくて、情熱を持った人からの反応も来ていた。
人生は学問に学んだ正道を行く。まあ正道と言ったって、「現在は姦通罪がないから不倫は自由」と自分に不倫を許すような、法や倫理による正道である。
人生の虚しさは消えてきて、(今日のおやつは何にしようか……みたらし団子でいいかな)などと思っている。小さな幸せ。
私はマクドナルドに行ってビッグマックセットを食べた。一枚目の牛肉を単体で食べる「分解食べ」を今でもやっている。ハンバーガーもポテトもアイスティーも美味だ。
そして街。三十度を超える外気。一瞬、日高屋のたっぷり野菜タンメンにしておけばよかったかな、という思いも脳裏を掠(かす)める。駅前広場でゼロの箱入りアップルティーを飲む。アブラゼミが鳴いている。大きなお世話だと人々は言うだろうが、そろそろ人工肉の時代だと思う。
ワンパンマンのタツマキを連想させる美少女がお父さんと一緒に広場を横切ったので、何だか私の中の「納得いかない」という気持ちが湧き上がる。Tが十七歳だったあの頃、Tと愛し合っていたなら。思いは連なり、いつまでも止まなかった。
十二
私はプロ小説家をやめた。
手元にあるお金は七億四千万円ほど。一生遊んで暮らして行ける。
沙耶ちゃんは「そんなにあるの?」と言って、ペットボトルのアイスコーヒーをひと口。「卒業おめでとう。商業小説家やめれば、重い統合失調症も軽くなるかもね!」
「まあ、そうだね。何であれ、きょうここに冷奴が置かれてることが幸せで」
私は答えた。
「あなたも極端なこと言うのね」
私はふと「変性意識状態」を検索した。それは近代合理主義に反する心の状態であった。私がこういう状態にあるのなら、精神病ではなくシャーマンだから、安心できる。精神病とは、西欧近代のモード(近代合理主義)から、シャーマンの奇異な状態を間違えて悪い状態と思い込んだ呼称である。
……まあ、いいではないか。幻聴さんとのケンカを終えられて。
戦前のシャーマニズムに対して与えられた精神病院という縛りが、二〇二五年の今になっても残っている。もうやめようじゃないか。シャーマニズムや神道を精神病と思い込むのは。もはや人気作家である私にとってもう生活保護は必要ない。日本には「生活保護という甘い汁を吸わせる」制度しかないので、……まあ、そのおかげで、今こうしてプロ小説家をしていられるのだけど。生活保護期間が長かったからこそ、今のプロ小説家の自分がある。
塩と胡椒で味を付けた鶏挽肉の形を整えて、クックパーの上で焼く。
これをチキンバーグと称する。
千枝が「チキンバーグ美味しい!」と言って、間違ったハシの使い方のまま麦ご飯に乗せて食べている。ここにカオスがある。間違ったハシの使い方でもいいじゃないの。私は少年時代の想像とは違って、「D」(口唇性愛)は好きでない。三十度の設定でもエアコンの直撃は寒い。
そして私は西友に行き、みたらし団子やコカコーラゼロ1.5Lを買って帰り、またXで遊んだ。
何やってんだろ、私。
日常に戻った人に生活の不安なんてあるわけないじゃないの。痛風の前駆状態なら、ひじき煮や切干大根煮何かを食べればいいと思う。あと、リンゴやトマト。
私、何やってんだろ。
雨が降ってきてコンビニに行けなくなってしまった。
プリン体を摂るなとの神様のメッセージかもしれない。
統合失調症は日常が戻ってくると軽症化するものかもしれない。
何だか不安が減ってきた。
沙耶ちゃんとするエッチなんて飽きたけど、まあ愛情はあるので、二人で土鍋にカワハギ鍋を作ったり。千枝が「この魚なーに?」と訊くので、「カワハギだよ」とただ答える。
変性意識状態のまま生きるのも大変で……
だから、もう日常なんだよ。
……じゃ、小説に戻るか。
(井川さん、人の中にいるの嫌でしょ。サイン会とか。小説家には合ってないと思いますが?)
神様が言った。
そうですよね。七憶五千万円あるんだから、一生遊んで暮らせますよね。
(デリケートな神経を持つ井川さんは無職が一番ましだと思いますよ)
そっかあ……
そして私は私を納得させるべく、コモディイイダに行って野菜や果物、魚、お菓子、コカコーラゼロなどを買って、帰ってからローズヒップティーを飲みながら駄菓子を三個食べるのだった。
でも、神の声など嘘だと思った。要するにだまされただけだ。
いいじゃないか、アニメは楽しいし、金ならいくらでもある。まさかクルーザーを買う私でもない。
そしてガストに一人で行ってミックスグリルでライスを食べて、ドリンクは水だけを飲んだ。
私はコンビニで買ったコカコーラゼロを飲みながら帰宅した。
そしてまた画面に向かう。(他にすることがないからな)
冷たいローズヒップティーが私の体内を満たしていく。
私の生き抜いた言葉がメモ帳を満たしていく。
井川律は貴族だから敵に回さない方がいい、温情主義すら身に着けた海千山千の貴公子キャラだぞと、あるXのアカウントに書かれていた。刃向かった場合どうなる、と書いてあった。その上には、弁護士をつけて慰藉料をとるだろうな、と。「そうなんだ、『殴りに行こうか』とかじゃなくて、慰藉料を支払わせるんですね、それはひどい……」
結局野田さんの助言でまた小説界に舞い戻る。そううつ気質者に負けたりはしない。格が違う。そううつ気質は生まれ変わった回数が少ないのだ。紙に汚物を付けて渡したりするからな。幼さのなせる業である。
人生はまあそうつらくはないのかもしれない。そううつ気質者という、第四の性格のタイプ(普通の性格)よりも幼い者が相手なら士気が湧くからだ。
人生の虚しさを覚えた。争いは虚しい。昼に買ってきた鶏天を麦ご飯に乗せ、麺つゆをかけて食べた。
アニメーターになりかけた遠い中学時代。夢。結局私は小説家になったのだが、アニメーターの人生もありだったかな、とは思う。ただ、収入は桁違いだ。
十三
この世界は地獄である。争いが頻発している。
でも、戦いよりも仕事に集中しよう。
野田さんに言ってまたアマチュアにしてもらった。
「気にしなくていいからね。またプロに戻りたかったら言ってね」
野田さんは憐れむように言った。「幻聴さんとの戦いが嫌になったんだね」
私はインスタントコーヒーをごちそうした。
「松乃屋のロースカツ定食は召し上がったことありますか」
私は言った。
「ああ、ロースカツ定食! 美味しいですよね!」
野田さんはティシューで涙を拭った。
「まあ、人生なんてどうにかこうにかやり過ごしていくものかと」
私は言った。
「井川さんの言葉は最後だけ聞こえないことがあるのよ」
私は一.四倍の声でさっきの言葉を言った。
「まあね。私は井川さんみたいな栄光は持ってないから、泥の上を這いずり回るようにやってくしかないのよ。井川さんは絶対にそんな大衆の立場に落ちないでね」
「ありがとう」
私たちは握手をした。趣味の小説といっても校閲は必要よね、と野田さんは言って、でも校閲の料金を取ります、些少な額ですけど、と続けて悲しそうな顔をするのだった。いいですよ、気にしないでください、と私は言った。
私は沙耶ちゃんとの愛を営みすぎて飽きてしまった。沙耶ちゃんも飽きてしまったのだという。私たちはネットを見て一生懸命チャーハンを卵でくるむやり方を研究した。でも二人とも器用ではないので結局無理だった。
「料理にとって一番大事な器用さが私達には欠けてるよね」
沙耶ちゃんは言った。
「そうだね。僕のは知性だから」
私は答えた。
「私は体力と知性が半々かな」
夏でもあることだし、私は酢(酢は美味しい)を水で薄めて飲んだ。
ちょっと昼ご飯と夕飯買ってくる、と言ってコモディイイダに行った。カートを引き抜いて、そこにカゴを載せる。
ひきわり納豆、長ネギ、マグロ中落ち、グリーンカレー、クロワッサン、牛乳などを買った。
私にはわかったのだ。例えば精神科の主治医の先生に「私が霊といる時不安を覚えるのは『基本的信頼』が欠けているからだと思うんです」と言う。そうして普通の話を続けていく。その日常感が大事なのかな、って。
鷹の爪とコンニャクを煮たものも食べたくて。
暑い、とても暑い日であった。
ルイボスティーを作っておいたのを飲みながら執筆。また今年の印税もなかなかのものだった。何度でも黒いタクシーに乗れる。
私はかつての自信を取り戻した。でも、示談はしない。精神科医や精神科看護師とそういうことをするときっと郵便受けにカッターの刃や汚物を入れられると思って。
人生は儚い。沙耶ちゃんはブロッコリーの入ったクリームシチューを作ってくれた。
「美味しい?」
沙耶ちゃんは訊いた。
「すごく美味しい」
私は答えた。
「ほんとは月三十万円も要らないの。でも、セレブの夫人としてはそのくらいのお金を持ってるほうが、悪者の目がくらむかと思って」
「そうだね。人間、俗っぽく生きないと本物になれないところがあるよね。その俗っぽい世界で『料理人ヴィニエ 他二篇』が一千万部以上売れたんだから」
俗世間ではこうだ、という常識を私に教えてくれたSさんに私は感謝した。「デビューしたら厳しい人間関係があると思いますよ」と言ったのだ。
「料理人ヴィニエ」がフランス映画になったゆかりのパーティーが南仏プロヴァンスで開かれ、皆が海老や牛肉、串に刺したタマネギなどを勧めてくれた。対人関係技能が低い私を考慮してくれたらしい。かわりに、マーケットで「どの即席ラーメンが美味しいの?」と通訳が訊いてくるので、「サッポロ一番塩ラーメンですね。……出前一丁があれば一番なんですけど」と答えた。「リツの言うことはその度その度、味わい深くて感動してしまいます」と美しい女が言った。私は「メルシ」と言っておいて、はにかみ顔を作った。
十四
今日も焼き鳥を食べよう。
最初カシラハラミ串は牛肉だと思ったのだが、調べたら豚肉だったので驚いた。そろそろ店員さんに顔を覚えられ「またおいで下さい」と言ってもらえるほどにまでなった。しかし男と女の関係はつねに色付いているので、さっきの挨拶も色を帯びた挨拶なんだな、と喜んだ。灰色の青春も虚しかったが、やっぱり、縁起説って、有力なのかな……私が行った悪行の数々が、どれが低級霊がとりついてしたことで、どれが自分のしたことだか、わからない。区別もできないのに「お前のせいだよ!」とか証明なしで言えるごろつきの霊が嫌いだ。
青年時代までは私は「王子様」だったから、女の人にとっては逆に近寄り難い相手だった。でも私はそれを「自分がモテないからだ」と思い込んでいた。
二十一歳の時、据え膳を据えられたのだが、私は鈍くて気が付かなかった。その後も何度もそういうことがあった。そして何度目かのモテ期の五十一歳の時、沙耶ちゃんと出会った。
「お父さん、ホットケーキ焼いた」
千枝が言った。
「わかった。いまパソコンをシャットダウンしてそっちに行くよ」
私は少し別のこと――胆力とか――を鍛えようと思った。そうしたら低級霊との舌戦が始まって、「年上は敬え」とか言うから、「敬う年上ならそもそも味方だろ。お前を敬う必要はない。年上でも敵だから」と私は応じた。
娘の作った美味しいホットケーキにメイプルシロップを塗り、さらにバターを塗った。
「おいしい?」
「最高に美味い」
「よかった」
千枝の笑顔を守るためには私は小説家としての能力を高めていけば良かった。あるがまま。つらい時は頓服を飲むけど、それ以外は。メロンを食べながら果汁を丼に垂らした。
「お父さん、小説家からシャーマンに転職するの?」
千枝が訊いた。
「日本ではそういうのは、ないみたいだね」
私は答えた。
「小説、世間から『神レベル』って言われてるよ」
「そうか。やっぱりそうか。嬉しいねえ」
人生は虚しい。何だろうか、この虚無感。……でも私には沙耶ちゃんだって千枝だっているではないか。そうだ。その通りだ。川野さんだっている。……これが私の「共苦」なのだ。ショーペンハウアー先生、ありがとうございます。
でも、私は基本女に愛される男。人生はただいい作品を書いていれば良かった。だってあれじゃない、調査すると井川律に女友達しかいないことがバレて、編集者からのお呼びがかからない。まあそんなものかと思っていた。そしたら女性編集者の野田さんからアクセスがあった。
少量のワインを飲んで、ミックスナッツを食べて。
クロワッサンを食べて、牛乳を飲んで。
女友達しかいないのは幸せなことなのだ。
私は卵殻膜とキミエホワイトとマカをネット通販で注文した。私の顔は日増しに美しくなっていった。
過去。ウェブ上の小説のコンテストに送るための作品を用意するようになった、あの頃。結局コンテストの賞は受賞できなかったのだが、のち、私は野田さんから運命と印税と情夜を受け取ったのである。
十五
七月初め。色々な果物が出てくる七月。
私は永遠の生命がもらえるキリスト教より成仏できる仏教が良かった。浄土という言葉も魅力的だった。仏教なら大金を稼ぐことは禁止されていない。
人生なんて。
いや、人生もまあ。だって条件を満たせば成仏できるんでしょう。そんな幸せなことはない。即身成仏をしたことがあったが、なぜか中断してしまった。至高体験もしたけど、これは十五分くらいしか続かなかったように思う。駅前広場の西側の石の椅子に座っていたら、「空気がガラスのように透明度を増す」みたいな体験をしたのだった。
人生の終わりは死。霊の終わりは成仏。
あまり霊とケンカばかりして、仕事を真剣にやらなかったから憑依が続いたのかと思う。
アメリカンチェリーは食べた。美味しいメロンが食べ足りない。
そしてやがてビワも出てくる。
ローズヒップに飽きてきたので、緑茶に切り替えた。痛風の前駆状態には冷たい緑茶が短期的に効く。(その後痛風の前駆状態になる条件は水分不足であることがわかった)
人生の虚しさ。結局、陰気な人の勝ちのようだ。陽気な人はつらいことを陽気さで覆い、見えなくしているだけだ。彼らが本当に元気なわけではない。
私たちは例えば兄の心筋梗塞が心配だったりして、下を向いて歩いている。八十年代には「ネクラ」と呼ばれたものだ。しかしネクラが勝利した二十五年のいま、ネアカが素晴らしいんだなんて言う人はいない。
私は自己愛を解決しなければならなかった。その具体的な方法は、例えば銀行の窓口で、行員の顔をよく見て、その美しさを目に焼き付けることだ。そうすれば(きれいな人だなあ……)という感想が生まれる。その結果、自分は彼女たちより下で、行員たちの美に憧れる側に回る。でも、彼女たちのうちの一人とひと晩寝て、渡す金はゼロだ。「まあ、井川さんも一応イケメンなんだから、ゆうべ頂いたお酒とおつまみ代だけ出していただけたらもう充分よ」とか言うと思う。
そしてまた一人化学物質汚染から救うのである。「そうなんだ……無添加石けんがいいんだね。知らなかった」そして一瞬二人のいる場所が輝くのだ。
オタクの食べる物を食べればいいと思った。カップラーメン、スナック菓子、パン、キュウリ、トマト、リンゴ。外向感覚タイプと内向感覚タイプは栄養観が違っているし、もしかしたら摂るべき栄養そのものも違っているかも。
地味な得意料理の「チキンスープ」は鶏ムネ肉とセロリとトマトとコンソメキューブ二個で作る。
要するに買ってきてすぐ食べられて、そして栄養のため野菜も食べる。そんな感じ。
でも、カップラーメンもそう安くはなく、結局豚肉と麦ご飯とパック入りのゴボウサラダなんかが一番なのだと思った。
明日はごちそうの日、お酒の日。
赤ワイン(フランジア)と、味付けカルビを買って来ようと思う。
日本は甘い汁を吸う構造になっているらしく、ひたすら「努力」だけ続けてきた私の過去が悲惨だった。もう「甘やかす社会」のことを知る必要があった。
(終)
還暦近く 水形玲 @minakata2502
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