第12話「平和への種を撒く」

その日から、戦はひとまず終息した。


人間軍は魔族の予想以上の抵抗にあい、撤退したらしい。

ただし完全に去ったわけではなく、境界線近くの森にはまだ幾つもの陣営が残り、次の機会を窺っている。


「……結局、いつまた来るか分からないってわけだな」


畑の端に座り込み、土を掌で撫でながら呟いた。


風が吹くたび、緑の葉がこくんこくんと頷くように揺れる。

ハルゥが「きゅいっ」と鳴き、俺の足元に鼻先を押し当ててきた。


「ありがとな。お前のおかげで、畑もみんなも……守れたんだ」


小さな頭を撫でると、ハルゥはくすぐったそうに目を細めて尻尾を振る。


(でも……これからもずっと、こうして守れるとは限らない)


そう思った瞬間、胸の奥が冷たく強張る。


この畑は小さく脆い。

剣も魔法もない俺には、また人間軍が攻めて来たらどうにもできない。


「それでも――」


鍬を掴む手に自然と力がこもる。


「それでも、俺はやるしかないんだ。だって、ここは……俺が作った場所だから」


ハルゥが「きゅいっ!」と元気よく鳴き、まるで「当たり前だろ」とでも言うように胸を張る。


「リク」


振り返れば、ルキナが立っていた。


鎧は今日は着ていない。

黒と赤の軽い上衣に、腰には短剣だけを帯びている。

その姿は、いつもの戦士然としたルキナとは少し違って見えた。


「ルキナ様……その服、珍しいですね」


「……剣を置く日が来たら、お前の隣に立つための練習だ」


小さく照れくさそうにそう言って、目をそらす。


「それに……今日は剣を振りに来たのではない。私も鍬を握りに来た」


「え?」


目を丸くする俺に、ルキナは自信なさげに小さく肩を竦めた。


「……畑のことは何も分からない。だが、お前の隣で土を触れてみたくなった」


その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


「……ありがとうございます。じゃあ、これ使ってください」


俺は少し小振りの鍬を渡した。


ルキナは恐る恐るそれを持ち、刃をじっと見つめる。


「……軽いな。剣よりもずっと、頼りない」


「そう見えますか?」


「……ああ。でも、不思議だ」


鍬を握ったルキナの表情が、少し和らぐ。


「手の中に小さな命を抱いているみたいだ。お前はこれで、魔界を変えようとしているのだな」


「はい。俺にはこれしかないですから」


「……そうか」


ルキナは小さく微笑み、それからおずおずと土に鍬を入れた。


「……?」


「力入れすぎです、ルキナ様」


「む……っ」


「もっと優しく。土を撫でるくらいのつもりで……」


俺は後ろからそっとルキナの手を握り、鍬の動かし方を教えた。


ルキナの体が一瞬強張り、すぐに僅かに震える。


「な……っ、お、驚かすな。急に後ろから抱くな……」


「抱いてるわけじゃ……って、顔赤いですよ?」


「黙れ……!」


ルキナは耳まで真っ赤にしながら、でも鍬をちゃんと動かした。


刃が柔らかくなった土をすくい、静かに返す。


「……うまいです。初めてとは思えない」


「……ふん。当たり前だ。私を誰だと思っている。魔王の姪だぞ」


そう言いながらも、嬉しそうに目尻が下がっている。


「これからも、ずっと隣で一緒に畑をやりましょう」


「……馬鹿だな」


そう言いながら、ルキナはそっと俺の手に自分の指を重ねてきた。


その掌は戦士のものとは思えないほど、少し冷たくて細かった。


「ルキナ様」


「……なんだ」


「いつか、剣を置ける日が来たら……俺の畑をもっと広げます。その時は……」


「一緒に昼寝だろ?」


小さく笑って、ルキナは俺の肩に額を預けた。


「そうだな。お前の隣で眠るのも……悪くない」


俺はその肩をそっと抱き寄せる。


ハルゥがくるっと回って畝に転がり、ごろんと寝転がった。


「きゅいっ」


「お前も昼寝したいのかよ」


ルキナが小さく笑い、その頭を撫でる。


魔界の空はまだ赤黒いけれど、風は少しだけ優しくなった気がした。


「この種……お前の世界のものなのだろう?」


ルキナが小さな袋を取り出した。

それは俺が転生する時に唯一ポケットに入っていた、日本で買った種の袋。


「……ああ。多分、向こうじゃ普通の野菜になるやつです」


「撒いてみよう」


「でも……魔界の土地には合わないかもしれない」


「試すだけ試せ。失敗したらまた次を考える」


そう言って笑うルキナに、俺もつられて笑った。


「……そうですね。やってみましょう」


俺たちはそっと種を土に落とした。


ルキナの白い指が小さく土を被せ、優しく撫でる。


「……芽吹くといいな」


「絶対に芽吹きますよ。ここはもう瘴気だけの場所じゃないですから」


「……そうだな」


俺はその手を取って、そっと握りしめた。


ルキナが一瞬驚いた顔をして、それから嬉しそうに小さく頷く。


この畑は、きっとこれからも苦しいことや辛いことがある。

また人間軍が攻めて来るかもしれないし、瘴気が強まって全てが枯れるかもしれない。


それでも――


「……絶対に、この畑を緑でいっぱいにする」


俺は空を見上げて小さく宣言した。


ルキナが隣でそっと笑った。


ハルゥが「きゅいっ」と鳴き、足元の土を軽く掘る。


それだけで、未来は少しだけ暖かく感じられた。

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