第九話:勝敗の瀬戸際、そして…
鳳凰院麗華が差し出した婚姻届が、
悠真くんの目の前で揺れている。
その白い紙切れが、
私の心臓を、直接えぐるようだった。
麗華の瞳は、熱い感情を宿し、
私への明確な勝利を確信している。
悠真くんの顔には、
戸惑いと、そして、
究極の選択を迫られる苦悩が、
深く、深く刻まれていた。
私の胸は、激しく波打つ。
座敷童の加護をかけた花婿争奪戦。
ついに、決着の時が来たのだ。
私の全身の血が、逆流するようだ。
息が、苦しい。
まるで、呼吸の仕方を忘れたかのように、
肺が、苦痛に軋む。
その場を支配するのは、
まるで時間が止まったかのような、
張り詰めた、重い静寂だった。
遠くで鳥がさえずる声さえ、
やけに大きく聞こえる。
悠真くんの視線が、
麗華と私との間を、激しくさまよう。
彼の瞳の奥には、
どちらも傷つけたくないという、
深い優しさが揺れているのが見える。
しかし、彼の優しさが、
今、彼自身を、そして私たちを、
この極限の状況へと追い込んでいるのだ。
どちらを選ぶのか。
彼の選択一つで、
桐生院家と鳳凰院家の未来が、
そして、私の、彼の、麗華の運命が、
大きく変わる。
それは、あまりにも重い決断だった。
私の全身の血が、逆流するようだ。
頭の芯まで熱くなり、
目の前がチカチカする。
息が、苦しい。
このまま、倒れてしまいそうになる。
だが、ここで私が倒れるわけにはいかない。
彼の選択を、この目で、見届けなければ。
麗華は、悠真くんの手を、
そっと、しかし確かな力で握りしめた。
彼女の指先が、彼の掌を、
まるで誘うように、優しく、
そして、執拗に撫でる。
「藤堂様…どうか、わたくしを。
わたくしがおそばにおります。
鳳凰院家の名にかけて、
あなた様と、あなた様の家を、
この上なく幸せにすることを、
お誓いいたしますわ」
彼女の声は、甘く、誘うようだった。
その言葉の一つ一つが、
まるで蜜のように、私の耳にまとわりつく。
同時に、私の心を深くえぐる。
悠真くんの体が、びくりと震えた。
彼の顔が、みるみるうちに赤くなる。
それは、私が見てきた、
彼の戸惑いの反応。
だけど、今、この極限の状況で、
それが何を意味するのか、
私には分からなかった。
彼が、彼女の魅力に、
屈してしまっているのだろうか?
私の胸の奥で、黒い感情が渦巻く。
許せない。
私の心臓が、耳元で激しく鳴り響く。
ドクン、ドクン、ドクン。
まるで、破裂しそうなほどに。
このまま、彼が、麗華を選んでしまったら?
桐生院家は、座敷童の加護を失い、
没落するだろう。
私自身も、不幸になる。
生徒会長としての立場も、
完璧な人生も、全てが崩れ去る。
彼との、この温かい同居生活も、
私の秘めたる欲望も、
全て、無に帰してしまう。
そんなことは、絶対に許されない。
私の内側で、秘めたる欲望が、
叫びを上げた。
「私を選んで! 私を見て!
私だけを、選んで!!」
その叫びは、声にならず、
ただ、私の全身を震わせるだけだった。
身体が、勝手に熱を帯びていく。
理性では抑えきれない、
抗いがたい衝動が、私を支配する。
私の指先が、無意識のうちに、
ぎゅっと握り締められる。
爪が、手のひらに食い込むほどの力で。
悠真くんの視線が、
ゆっくりと、私に移った。
私の瞳を、まっすぐに見つめる。
その瞳の奥に、私は何を見るのだろう。
希望か、絶望か。
彼の視線から、彼の心の奥底に潜む、
深い葛藤が、ひしひしと伝わってくる。
彼もまた、どちらも傷つけたくない。
その優しい心が、彼を苦しめているのだ。
だが、今、選ばなければ、
全員が、座敷童の警告通りに、
不幸になる。
彼に、この重圧を背負わせてしまう。
それが、私には、耐え難い。
だけど、私も、引き下がれない。
私の、彼のへの想いが、
それを許さない。
私は、彼の瞳を見つめ返した。
私の心は、悲鳴を上げていたけれど、
表面上は、完璧な生徒会長の仮面を被ったまま。
だが、私の瞳の奥には、
彼への切なる願いと、
そして、彼を誰にも渡さないという、
鋼のような強い意志が宿っていたはずだ。
どうか、気づいて。
私の、この身体が、彼を求めていることを。
私の心が、彼に囚われていることを。
私がどれほど、彼の存在を渇望しているか。
その全てを、彼の澄んだ瞳に、
伝えるかのように、私は彼を見つめ続けた。
唇が、僅かに震える。
息を吸い込むたびに、胸が痛む。
この緊張感は、いつまで続くのだろう。
悠真くんは、深呼吸をした。
その胸が、大きく上下する。
その息遣いが、緊張で張り詰めた空気を、
微かに震わせる。
彼の指先が、麗華の手から、
ゆっくりと、ゆっくりと離れていく。
私の心臓が、高鳴った。
ドクン、ドクン、ドクン。
まるで、勝利のゴングを待つかのように。
彼は、一歩、私の方へ足を踏み出した。
その動きに、麗華の顔が、
わずかに、だが確実に、歪んだ。
彼女の完璧な笑顔が、
一瞬だけ、崩れ去った。
私の胸には、微かな希望が芽生える。
悠真くんの視線は、まだ定まらない。
だが、彼の足は、確かに、
私の方へと向かっている。
私の身体が、彼を迎え入れるように、
じんわりと熱を帯びる。
彼の、少し汗ばんだ手が、
私の手のひらに、触れる寸前。
その熱が、私の指先に伝わる。
「悠真くん…!」
心の中で、彼の名前を叫ぶ。
あと、ほんの少し。
彼の顔に、選ぶことへの覚悟と、
選ばないことへの不安が、
複雑に交錯する。
その表情は、苦しそうで、
だけど、どこか決意に満ちていた。
私は、彼が何を言うのか、
固唾を呑んで見守った。
私の体中の感覚が、研ぎ澄まされる。
周囲の音は、全て消え去り、
ただ、彼の息遣いだけが、
私の耳に響く。
時間が、本当に止まってしまったかのようだ。
心臓の音だけが、やけに大きく響く。
この空間には、私たち三人の、
張り詰めた感情だけが存在する。
彼の口が、ゆっくりと開く。
その唇が、言葉を紡ごうと、
わずかに震える。
「私には…決めることが…」
彼の声が、かすかに震える。
その言葉の続きを、私は、
息を詰めて、全身で待った。
麗華も、その言葉に耳を澄ませる。
彼女の瞳も、私と同じように、
期待と、そして、恐怖に揺れている。
この瞬間、世界には、
私たち三人しか存在しないかのようだった。
彼の口から、どちらかの名前が、
紡がれようとしていた。
勝敗がつきそうになった、
極限の瞬間。
彼の視線が、私に、
そして、麗華に、
何度も、何度も行き来する。
まるで、最後の確認をするかのように。
彼は、どちらの名前を、
口にしようとしているのか。
私の身体が、熱く、甘く、
そして、恐怖に震えながら、
その答えを待つ。
私の運命が、今、まさに、
彼の唇から告げられようとしていた。
この緊張感は、もう、最高潮。
次の一瞬で、全てが決まる。
私の、彼の、そして、麗華の未来が。
長い、長い、一瞬だった。
彼の唇が、動く。
そして、その名前が、今、まさに。
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