第3話「さざなみ流星と、全校生徒から、生き延びる!」

流星学園、彼女公募事件(三)


あの日の放課後、さざなみ様が私の周りを「ウロチョロ」してからというもの、私の学園生活は一変した。平穏? そんなものは遥か彼方の記憶となった。私の周りには常に、目に見えない嵐が吹き荒れている。


始まりは、本当に小さな変化だった。朝、昇降口で靴を履き替えていると、ふと、視線を感じる。顔を上げると、少し離れた柱の陰に、さざなみ様が立っている。ただ立っているだけだ。何も言わない。ただ、こちらを見ているような、見ていないような、曖昧な視線。


気のせいか、と思った。が、翌日も、その翌日も同じだった。私が昇降口にいる時間に、必ずさざなみ様が現れるのだ。そして、私が教室棟へ向かって歩き出すと、彼は少し遅れて、同じ方向へ歩き始める。まるで、私の後ろをついてきているかのようだ。


教室にいても油断できない。授業中にふと窓の外を見ると、中庭に立つさざなみ様の姿が。まるで、私の教室の窓を見上げているかのように。休み時間には、私が購買部へ行けば購買部に、図書館へ行けば図書館に、彼がいる。


これはもう、気のせいなんかじゃない。私は、あのさざなみ流星に、完全にロックオンされている!


理由が全く分からないのが、さらに恐ろしい。あの「彼女公募」の応募用紙は、まだ引き出しの中だ。提出してない。なのに、どうして? あの日、私の周りをウロチョロしたのが「期日前投票」だったとして、なぜ私がリストに入ったのか?


そして、この状況は、私の周りの生徒たちを、狂わせ始めた。特に女子生徒たちだ。


最初は、ただの好奇心と羨望の視線だった。しかし、さざなみ様が露骨に私の周りに現れるようになるにつれて、それは明確な敵意へと変わっていった。


すれ違いざまの囁き。

「ねえ、あの北村って子、何なの?」

「さざなみ様が気にしてるって、やばくない?」

「応募もしてないくせに、ズルい!」

「生徒会長に色目使ったんじゃないの?」


廊下を歩けば、背中に突き刺さる視線。食堂で一人でご飯を食べていれば、他のテーブルから向けられる冷たい目。まるで、私が学園の秩序を乱す、得体の知れない悪者になったかのようだ。


こうなると、もう逃げるしかない。


朝、さざなみ様らしき姿を昇降口に見つけると、私は慌てて裏口から学園に入る。授業間の休み時間には、教室から一歩も出ないか、あるいは人通りの少ない裏階段を使って移動する。食堂は危険すぎるので、お弁当を教室で一人寂しく食べるようになった。購買部へ行くなんてもってのほかだ。


まるで、学園中に張り巡らされたさざなみレーダーから逃れるための、孤独なサバイバルゲームだ。彼は常に優雅で、私に直接話しかけてくるわけではない。ただ、そこにいる。私の視界に入る、あるいは気配を感じる場所に。それが余計に不気味で、逃げ出したくなる。


「うわあああん!もうヤダー!」


私は、人気の少ない体育館裏の倉庫の影に隠れながら、心の中で叫んだ。息が切れる。さっきまで、図書室で本を選んでいた私のすぐ隣の棚に、さざなみ様が何食わぬ顔で現れたのだ。そして、彼は私が選んだ本の背表紙を、優雅な指先でそっと撫でた。それだけ! それだけなのに、周りの女子生徒たちの殺気は凄まじく、私は文字通り、本を放り出して逃げ出したのだ。


もはや、憧れとか、シンデレラストーリーとか、そんな甘い考えは吹き飛んだ。今の私の目標はただ一つ。


「さざなみ流星と、全校生徒から、生き延びる!」


逃げ回る私と、時折姿を現すさざなみ様。学園内では、「さざなみ様の追っかけっこ」「北村さん逃走中」なんて、あらぬ噂まで立ち始めていた。爆笑恋愛? いや、これは爆走恋愛だ! 私は笑えない! むしろ泣きたい!


倉庫の影からそっと顔を出す。誰もいない。よし、今のうちに教室に戻ろう。そう思った次の瞬間だった。


倉庫の反対側から、ゆったりとした足音が近づいてくる。そして、私の隠れているすぐ横に、見慣れた純白の制服の裾が見えた。


「…そこにいらっしゃるのですね、北村さん」


さざなみ様の、甘く澄んだ声が、すぐ耳元で聞こえた。


「ひぃっ!」


思わず声が漏れる。彼は、私の隠れ場所を完全に把握していたのだ。まるで、私がどこに逃げようとも、お見通しだと言わんばかりに。


彼は、優雅に腰を折ると、私の目の前で、にっこりと微笑んだ。その完璧な顔立ちが、至近距離にある。


「公募期間は始まったばかりですが…フフ。やはり、わたくしの勘は間違っていませんでしたね」


間違っていませんでした、って何を!?


私の心臓は、もはや悲鳴をあげていた。全校生徒を敵に回し、さざなみ様から逃げ回る私の学園生活は、まだ始まったばかりらしい。そして、この「爆笑(しない)恋愛」は、一体どこへ向かうのだろうか? 私は、倉庫の影で、ただただガクガクと震えることしかできなかった。

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