洗礼か、祝福か

全国天気予報で、以前の居住地を見てしまう。

住所は覚えたけれど、郵便番号が覚えられない。

見慣れないバスの色に、毎回新鮮に驚いてしまう。


しかし少しずつ、確実に馴染んできた新しい土地。キッチンの片付けが終わると、料理ができる。スーパーで食材と、徐々に調味料も揃えていく。

今日の夜ご飯のメインは……ざく切りキャベツと薄切り豚肉をレンジ蒸しにして、それをポン酢で食べる、アレ。名前もきちんとしたレシピも無いような、何でもない日常の料理。振りかける酒も目分量だし追加の野菜も豚肉の部位も固定はしていないから、毎度味も違う。

家庭料理ではこうして味のブレがあったほうが、かえって飽きがこなくて良いのだと聞いたことがある。だからあえて目分量にしている。……もちろん、几帳面とは程遠い人間のただの言い訳だ。


この辺りではお馴染みの店舗。今後の我が家の生命線。長年世話になったかつてのローカルスーパーには、きっともう通うことはない。そう思うとすこし寂しい……。


買うものが決まっていてもとりあえず店内を一周、まずは野菜から。そのまま鮮魚コーナーへ――


……え? 思わず二度見する。

のどぐろが、2匹で200円台? 安すぎでは……。


のどぐろ、正式には赤ムツ。その名の通り、口の中が黒いことからのどぐろと呼ばれる。

深海において発光性の小魚などを捕食した際、それが腹のなかで光ってしまうと、光によって更に大きな魚に見つかって自分が食べられてしまう。だから光を透過させないために黒い、という説があるらしい。

以前の居住地では高級な部類で、高い時期には700円近くしていたように思う。

まさかこんな値段で売っているとは。夕方の見切り品とはいえ、小ぶりとはいえ、安い。安すぎる。豚肉とキャベツのレンジ蒸しはまた後日にして、今日のメインはこれにするしかない。

どこか、この土地で生きていくことを祝福されているような気がした。新しく作った支払い用電子マネーで、さもこの辺りの人間かのような顔をして颯爽と支払う。

私、やっていけそうです、この土地で。


小さな魚2匹、卵焼き器で煮付けにするとちょうどいい。水、砂糖、醤油、みりん、生姜……冷蔵庫に常備してある菊正宗銀パックを料理酒として少し拝借。煮立たせている間に今日の戦果、のどぐろを冷蔵庫から取り出す。

……なにか違和感が。 

ラベルをよく見る。

「のどぐろ(ユメカサゴ)」と書いてある。


……?

赤ムツではなく? ユメカサゴって、なに……。

ネットで調べる。

「ユメカサゴをのどぐろと呼ぶ地域もあります」

「のどぐろと呼ばれる魚は地方によっていくつかあります。ユメカサゴもそのうちの一つです」


…………。

そんなこと、考えたこともなかった……。のどぐろ=赤ムツ、という先入観、そして安すぎる値段による高揚感でラベルをよく確認していなかったようだ。しかし今日はもう、これを煮付けにするしかない。

試練は続く。下処理もされていない。以前通っていたスーパーでは内臓処理済みのものが当たり前だったから、未処理だとは考えもしなかった。……だから安かったのか?

とにかく、やるしかない。腹を裂いて内臓を掻き出し、洗い、先程準備して沸かしておいた煮汁へ投入。アルミホイルを被せて煮汁が行き渡るように煮付けていく。


……立ち昇る、甘辛い香り。見た目も匂いも私の知る〝のどぐろ〟と大差ないように思える。

アルミホイルを外し、沸いた煮汁を身に掬いかけつつ煮詰めていく。

やがて出来上がるのどぐろ(ユメカサゴ)の煮付け。

味は……?



――美味しい。とても。

これが2匹で200円台……信じられない。

淡白でふわふわとした白身。濃く煮詰まった煮汁に浸すとちょうどいい。黒ムツや赤ムツと比べても遜色ない。多分、分かる人にはきっと違いが分かるんだろう。だが米もお酒も進む。それが一番、大事なことだ。小骨が多いからそこだけ注意。

予定外の労力ではあったが、この値段、新たな出会い、印象深い魚となった。


新しい地で初めての洗礼を受けたわけだが……なんとか、やっていけそうに思えた。




そんなある日の日記、おわり。






その後、激安ユメカサゴには出会えていない。

――ユメ、だったのかも。

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