みっちり詰まった、記憶と人生①

巣穴を掘り返すように家の大片付けをしていると、次から次へと溜め込んだ品々が顔を出す。不用品も、残したいものも……思い出も、悲喜交交ひきこもごも

物を捨てるとスッキリする人のほうが多いのだろうか。私はどうにも、胸の中にぽっかりと穴が空いてしまったような気持ちになり、なかなか踏み出すことが出来ない。だからこんなに溜め込んでしまったのだけど。ミニマリストな生活に憧れはあるけれど、きっとそんな生き方は生涯無理なのだろう。

しかしそんな事も言っていられないので、見ないふりをしてどんどん捨てていく。特に御祝儀袋、凝った作り、お洒落なものも多くて、とっていても仕方ないのに捨てられず……やっと、捨てた。



まずはクローゼットから。1年着なかった服はもう着ることはないから捨てたほうがいい、という話もあるけれど……1年どころか、5年以上着ていない服もゴロゴロ。試着では合っているように見えても家で着てみるとイマイチなのは、きっとお店の鏡になにか秘密があるから。そしてハンガーが100本ぐらい出てくる。ここはクリーニング屋じゃない。捨てよう。

8年ぐらい着ていない冬物コートのポケットから、失くしたと思っていたアナスイのタオルハンカチが出てきた。このコートはもう、絶対に捨てよう。ハンカチは洗って使う。お金とか出てこないかな、と全てのポケットを探ったが……残念。

クローゼットの奥では、編み棒もついたままの編みかけのカーディガンがじっと息を潜めてうずくまっていた。もはや編み図も、どこまで編んだかも、なにもわからない。……そろそろ、きっぱりと諦めるべきだ。

ハマっていた時期にはセーターやカーディガンを編みあげたこともあるけれど、もう編み方すら忘れてしまった。編み棒、本は捨てずにとっておく。趣味にはちょうどいい時期というものがきっとまた巡ってくるから。


積ん読も同じように、すっと読める時期、全然読み進められない時期と、いろいろあるように思う。たいていはその本のせいではなく、自分の内面や環境に左右されているのだと考える。だからいつでも手に取れるように、積んでおくことも大切な時間だと、私は思う。長期保存の缶詰みたいなものだ。何度か挫折し、ずっと積んでいた『百年の孤独』を読み進められたのは、きっと〝今〟また手を伸ばしたから。

……なんて、溜め込み癖のある人間による、格言風の言い訳をひとつ。




長くなったので、続く。

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