ストレス解消のための小説集

@kz369ii

野に咲く

 花は昔、貴族が嗜むような高貴なものだった。そこら辺に咲いているし、見ることや育てることを禁止しているわけではないが、それを娯楽として楽しむ人はほとんどいなかった。花を扱っていたのは主に栽培機関に所属する栽培員か、花を認定する選花官くらいなものだった。王都セントリアでは年に一回、花の認定議会が開かれた。選花官が美しいと選んだ花は、名を付けられ、知られることになった。知られると言っても、これも一部の栽培員達の間だけだ。民衆は興味がない。少なくとも、僕の住む田舎、ハンシではそうだった。

 

 僕の幼馴染である彼女だけは少し違った。小さい頃から花を育て、14になった今でも家の手伝いの傍ら、花を育てていた。栽培員にならないの?とは聞けなかった。彼女は元々体が弱い。激務と名高い栽培員にはなれないだろう。選花官は栽培員の経験がある者しかなれない。彼女は正式に職業として育てる道はなかった。

「最近は何を育てているの?」

 僕は、草を手入れする彼女に聞いた。

「これはセリオンよ。初めて育てた花もこれだったわ。この花はね、浜辺で拾った貝殻を砕いて粉にしたものをあげると、黄色がより綺麗になるの。」

 花の名前なんて聞いてもちっともわからなかったし、育て方なんて尚のこと理解できなかった。けれど、嬉しそうに話す彼女を見ていたら、それで?なんて続きを催促してしまった。彼女が手入れする草には、ぷっくらと膨れた先っぽを持っていた。草の植わっている植木鉢には、土の上に白い粉が振りかけてある。彼女は愛おしそうに、手入れをしていた。

「なあ、花を育ててどうするの?」

 彼女はふふっと笑った。

「そうね、どうするなんて考えていなかったわ。花を育てるのが好きなだけ。ただの自己満足ね。」

 彼女はノートを開いて、何やら記録していた。ノートには天気やら水の量やら、中には付いていた虫の数や種類なんかも書かれていた。僕にはどれもさっぱりわからないが、聞いたところで何もわからないだろう。一つずつ様子を見ては記していく彼女の横顔を眺めていた。


 ある日、コンコンと窓が叩かれる音で目が覚めた。まだ日が昇り切っていない時間で、真っ赤な朝焼けと共に彼女は僕を訪問してきた。朝だから他の人を起こさないようにという気遣いは感じられたが、それ以上に日よりも赤い興奮に彼女は包まれていた。

「ねえねえ!大発見!」

 僕が窓を開けるなり、早口でまくし立てる。

「今、私が育ててる、青くて小さい花が咲く花なんだけど、そう、その花がね、びっくり、癒しの効果を持っていたの!本当よ、ねえ、疑ってるでしょ?」

 僕はまだ一言も言っていないのに彼女は不機嫌そうな顔になる。腕には大事そうにノートが抱えられていた。

「とにかく、あの花は特別なの。ちょっと来てみて!」

 僕は彼女の勢いに押し負け、部屋にかけてあったカーディガンを羽織って外へ出た。だいぶ暖かくなってきたけれど、朝はまだひんやりしていた。


 彼女の家の裏に、牛一頭分くらいの小さな花畑があった。土は耕されてふかふかで、直接植えられているものがほとんどだったが、3つくらいは鉢に植わっていた。その中の一つは以前見せてもらった、セリオンという黄色い花だった。そしてもう一つ、青い小さな花が咲いていた。確かに小さい。この間産まれた僕のいとこの手よりずっと小さい。僕の手の、小指の爪くらいの大きさだった。青というよりも白に近い淡い色で、朝露に濡れて、まるでガラスなんじゃないかとも思えた。

「ここ、さっきとげでケガをしたの。見てて。」

 そう言って、左手薬指の腹を見せてきた。確かに、ちょっとした切り傷があった。そこに、花びらをそっと触れさせる。もう一度見せた指には、ふさがった傷があった。

「即効性はそんなにないのだけれど、それでも十分でしょう?薬は高いから。」

 確かにこれはすごいことだった。僕はしょっちゅう、水を汲む時のロープにかすり傷を付けられていた。一度、ひどく腫れたこともある。これがあれば、あんな痛い思いはしなくていいだろう。

「私決めた。この花を認定してもらうの。そうすれば、小さな傷くらいなら手軽に治せるようになる。花を見ることさえもしない世の中、ましてや使うなんて想像がつかないだろうけれど、認定してもらって、栽培員の人に知れ渡れば、すぐに皆も使い始めるわ。私だったら、そうね、ティレリアと名付けようかしら。」


 それからの彼女はこれまでにも増して熱心だった。牛の世話も、畑の水やりも、全部午前中で終わらせて、後は全部花と向き合っていた。ノートは日に日に分厚くなり、2冊3冊と積みあがっていく。花のための小屋を用意し、中が空洞な棒と水で気温を測り、棒で成長の具合を記録していった。土には動物のフンも混ぜていたようだ。ちょっと匂う時があった。


 トントントン、と少し強めに窓を叩く音で僕は目を覚ます。今日もまた赤い中で、彼女は静かに叫んだ。

「やっとできた!最高の花よ!」

 僕はまたしてもついていくことになった。季節は一回りし、またカーディガンを羽織る季節になっていた。

 彼女の家の裏にある、数倍に広くなった花畑を見て僕は、わぁと声が漏れてしまった。隣にいた彼女の自慢げな顔が、視界の隅にうつった。

 たった牛三頭分程度の広さだが、そこにはぎっしりとつまった青い花が咲いている。一つはとても小さいのに、群れをなして空を写し取っていた。

「どう?すごいでしょ?」

 彼女はいてもたってもいられないという風で、僕に聞いてくる。そんなの、表情を見ればわかるだろうに。

「なんていうか、すごいよ。すごい。僕は花に詳しくないから言葉にしにくいのだけど、見ているだけで心も安らぐ感じがする。」

 ゆらゆらと風に揺れる花は、気高げにしていた。

「そうでしょう?きっと心を癒す力もあるのね。この1年、色々調べてついにここまで来たの。育つ高さや発色、わずかだけれど花弁の大きさも、育成条件によって変化するみたい。過去の認定記録から見ても、この花は名前をもらえるわ。今日さっそく王都へ行こうと思う。」

 彼女はルンルンと言いながら、移動の準備を始めた。


 昼頃。馬車は王都への荷物を運ぶために出発する。彼女は業者を捕まえ、ついでに乗せてもらえるよう依頼した。

「王都?まあこれから行くけど。何しに行くんだ?」

 男は面倒そうに頭をかいた。

「花の認定議会に行くの。私が育てた花よ。この花は癒しの力があるから、認定してもらって皆に知ってもらうの。」

 彼女は男に鉢植えを見せるが、男の顔は明らかに曇った。嫌そうな態度を隠そうともしなかった。

「花? 俺は花には詳しくないんでよくわかんのだけれど、うーん。」

 男はどうしたもんかね、とつぶやいた。

「お願い!荷物のついでに運んでくれるだけでいいの!お礼もするわ!」

 彼女は必死に頼むが、聞き入れてはもらえなかった。

「悪いがね、嬢ちゃん。王都まで運ぶにはそれなりの手間が要る。気の毒だが、自己満足で終わらせてくれよ。」


 それからの彼女は見ていられなかった。断られた直後は茫然と立ち尽くし、あれだけ大事に抱えていた鉢はかろうじて持っている程度で、今にも落としそうだった。

「ねえ。そんなに大変なことなのかしら。」

 馬車の行った先を見つめながら僕に問うた。僕は馬車で王都に行ったことがある。荷物の一つや二つ、増えるくらいどうってことなかった。入城時に、ちょっとだけ申告するくらいだ。今は取り締まりも緩い。なんなら、申告すらいらない時もあった。だけれど、彼女にそれを言ってどうなる?荷物を運ぶのくらいは簡単だよ、なんて言って、じゃあどうして乗せてくれなかったんだとなるだけだ。多分あの男は面倒だったのだろう。多分どころか、全身からにじみ出ていた。僕は彼女に何も言えなかった。

「そうだ、馬車を買うのはどうかしら。」

「そんなお金ないだろ、食べていくので僕らは精いっぱいだ。」

「じゃあ、歩いていくのはどうかしら。」

「王都まで歩いて5日はかかる。認定議会の受付に間に合わない。」

 どんどんと、現実離れした提案になっていく。彼女もそれは無理だとわかっているのだろう。何も言い返してこない。

「じゃあ、じゃあ…。」

 彼女は言葉を詰まらせる。植木鉢をぎゅっと握った。

「なんで…。」

 僕は彼女を見つめることしかできなかった。

「無理なら、運べないごめんなだけでいいじゃない…。それを…。自己満足って…。花のことなんてわからないのでしょう…?」

 座り込む彼女を道の脇に座らせて、僕は一緒に夕日を山へ見送った。


 それから彼女は、細々と花を育てていた。あの青い小さな花だけを育てていた。彼女の家の裏にあった畑は埋められ、村や山の中、川の近くなど、たまにふらっと出かけては育てていた。王都からは、別に植えることも禁止されているわけじゃない。皆ただ興味がないだけだ。彼女はほとんど抜け殻になりながら、花を育て続けた。


 月日は巡り、26になった僕らは家業を継いだ。家業といっても、ただの農業だ。生きていくための食べ物を育てる。別に興味はないけれど、やらないと生きていけないことだった。僕は森の手入れをしに、山へ入った。

「ねえ、この花知ってる?傷を癒す力があるんだって。パパが言ってた。」

 知らない女の子2人がそう話しているのが聞こえた。花のことを会話に出すのは彼女だけだったので、気になって聞き耳を立ててしまった。

「知ってる!こないだお母さんが教えてくれたよ!なんか集会で教えてもらったとかなんとか言ってたから嘘じゃないと思う!」

 二人が通って行ったあとをこっそり覗くと、そこにはあの青い小さな花が咲いていた。


 家に帰って僕は、真っ先に彼女に報告した。山にいったらさ、女の子が二人いて、それでそれで…!彼女は窓の外を眺めながら、静かに聞いていた。僕が興奮気味に全容を伝えると、彼女は

「そう」

 と返事をしただけだった。

「そう、って…。そんな興味ないみたいな。そうだ、今から王都に行こう!これだけ有名になった花なんだ、認定も通るよ!」

 彼女は窓の外を見たまま答えた。

「いいの、自己満足でやっていただけだから。」


 彼女はそれから、一切花を育てなくなった。観察することも、話すこともなくなった。あれだけ書き溜めたノートもなくなっていた。捨ててしまったのだろうか?最初からそうであったように、彼女の周辺から花の痕跡は何もなくなっていた。わが子を眺めるその眼差しに、かつて花を眺めていた面影を僕は見た。

 王都では薬の開発が進み、一般の人も簡単に手にできるようになった。これが花由来のものだと制作者が宣言したことで花への評価は爆発的に上がり、今では贈り物としてメジャーなものとなった。

 一度だけ彼女に花を贈ったことがある。ありがとう、と丁寧に花瓶へ生けられた。水替え当番は僕だったけれど、入れる時の透明な水は、いつも捨てる時には白色の粉が混ざっていた。


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